寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

日本で最初に国立公園に指定された仙酔島(後編)

2012年01月29日 | 
旅館・常磐館が作成した鞆の浦案内(鳥瞰図)より仙酔島を拡大してみた。島の左側上部に御膳山(赤枠)、御野立所(白枠)と記載されているが、大正15年(1926)5月24日、皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)はこの展望所から鯛網を御覧になられた。現在は鞆の浦観光鯛網として5月上旬から下旬にかけて行われ観光客の目を楽しませている。

海食洞

仙酔島には自然の造形美が数々ある。長い年月をかけて波や風が作り出した海食洞、流紋岩質凝灰岩の風化によって現れた五色岩(青・赤・黄・白・黒)。島の歴史に比べれば人間の生涯なんてほんの一瞬である。

日本では珍しい五色岩と赤色岩

忙しい日々を送る人たちが仙酔島を訪れて癒される理由が分かる。周りに余計な物がないから雑念が消え、大自然と向かい合っている内に生の喜びを再認識するのだろう。

仙酔島の彦浜を望む

彦浦に着いた私は笑みを浮かべた。中核都市の福山にまだこんな美しい浜辺が残っていることに感動したのである。平成いろは丸に乗って来て良かったと心から思った。

平成いろは丸

2月9日(木)から第10回鞆・町並ひな祭が始まる。冬から春先にかけては魚介類が最も美味しい時期である。ぜひとも能書きを言わぬ街・備後の本流・福山にお越しあれ!

第10回鞆・町並みひな祭りのちらし

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橋下徹大阪市長VS御用学者

2012年01月29日 | 日記
本日の産経新聞朝刊に掲載された加地伸行さんの「古典個展」。橋下徹市長のやり方が気に入らぬ某大学教授の発言を取り上げていたのには笑った。某が誰を指すのか私には分からなかったのだが、MNS党応援団の御用学者(パープーバーを始めとする頭塵)は橋下氏の言動に悉く噛み付いている。

1月15日にあるテレビ番組で大阪市長と生討論したYJ大学教授はフルボッコで見ている方が辛かった。まさに串を打たれクネクネする泥鰌であった。市長は「学者は何もしない。人に文句言うだけ。ほんと気楽」と言ってとどめを刺した。あまりにも的を射た表現である。涙目のYJは最後に「楽しかったですよ」と言うのが精一杯だった。

確かに自分の発言に責任を持たぬ政治家・評論家・学者・記者は官僚以下である。2年半前の投票行動で最悪の事態を招いた有権者は「誰が政治をやっても同じ」とのたまうが、レベルは彼らと全く同じである。

愚者とは失敗の反省をしないために同じ間違いを繰り返す輩を言う。「国家は悪ではなく愚で滅ぶ」という格言を噛み締めなければならぬ無能がいかに多いことよ。故に元外交官・天木直人さんの嘆きは尤もだ。

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日本で最初に国立公園に指定された仙酔島(前編)

2012年01月29日 | 
福山市営渡船場から鞆の仙酔島まではおよそ5分の船旅である。平成いろは丸を降りた私は標識に従い最短コースを巡ることにした。

瀬戸内海国立公園・仙酔島

国民宿舎・仙酔島 昨年12月にかき小屋がオープン

国民宿舎前の砂浜から見る海の青さ。海水浴シーズンはとうに過ぎており周辺はとても静かである。

国民宿舎前の砂浜

友人や家族から一応話は聞いていたが、これほど立派な海岸線遊歩道が整備されているとは。まさに百聞は一見に如かずだ。時間がいつもよりゆっくりと流れているように感じた。

仙醉島の勝景
鞆津には今一つ人を牽きつけるものがあつた。それは仙酔島その他の風景である。鞆津が商業地として繁栄した傍には、この風景に誘われて多數の文人墨客が鞆津に来り遊んでいる。…
仙酔島は昔は向江島と呼ばれていた。一説には仙酔島も皇后島も共に向江島といわれていたのが、仙酔島の方は「むか江島」と讀み、皇后島の方は「こうご」と音で讀むようになつたというが、それはこじつけであろう。又向江島という名の起りは、足利直冬が西國探題として下つて來たときに、迎えの船を整えて此の島で待受けたからだという説もあるが、それも怪しい話で、恐らくは尾道の前に向島があるように鞆の向側の島として名づけられたものであろう。仙酔島はまた何れの方向から見ても山の姿が同じだということから「面向不背の島」という名稱をも與えられている。
仙酔という名の起りは泉水の意味であつただろう。水野勝成が備後に入國して鞆津にから上陸したときにも、此の島の佳景を賞め、「お立て山」と定めて濫伐を禁じ、厚く保護を加えたということであるから、或は藩主の「お泉水」という意味で名づけられたが、或はまた島の姿が、恰も人工の庭園のように美しいので、泉水と名づけたか。仙酔の字は後に誰が詩人が洒落れて當て嵌めたものに相違ない。それが後になつては此の字に拘泥して、とかく酔つた仙人を聨想するようになり、頼山陽も「鞆の景勝は酔仙を以て主となす、山容秀麗、之れを望めば頽然として天僊醉て將に眠らんとするが如し」といい、その他の詩人も殆んど悉く、仙酔といえば醉つた仙人を詠み込むような習慣になつている。

『鞆の浦三千年 / 広島県鞆町教育委員会(昭和三十一年三月一日発行)』

仙酔島の海岸線遊歩道

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