寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

子どもの頃よく食べたニラ冷奴

2014年05月22日 | 家飯
昔、私の家では冷奴の薬味としてニラをよく使っていた。畑から抜いてきたニラをよく洗って1cm幅に切ったのを豆腐の上に大量にのせて食べたものである。ニラの香りと辛みそして甘みが口の中で広がり、豆腐以上の存在感を示していた。ネギよりは遥かに個性的な味だが、決して悪くない。胡麻油をかけたり、ちりめんじゃこを加えることで更にパワーアップする。冷奴は本当に面白い料理である。

ニラ冷奴

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福山市の東5番ガード北交差点(今町・大黒町)そばに復元された明治期のガス灯

2014年05月22日 | 郷土史
胡町交番前から大黒町を望む。私はキツい文言を記した横断幕を見るたびに笑いをかみ殺す。確かにKマンション・オーナーの言い分には一理ある。

胡町交番前交差点

保存すべき藩政時代の遺構をガンガンぶち壊して無駄な箱物(特定の人間専用)を建設してきた恥かしい歴史は大いに反省しなければならない。湯崎知事の就任以来、市民が悪平等推進政策により厳しい目を向けるようになった。通り町(とおりちょう)の一つである大黒町の成立と歴史については『芦田川文庫8 城下町福山 / 村上正名(昭和六十一年) 』の記述を引用する。

 福山城東の惣門より新橋につづく商家町で、通称通町と呼ぶ北より胡町につぐ町筋である。商家の縁起を祈って大黒町と名付けたもので水野家時代の後期に胡町に先んじて形成された町である。
 昭和四十年(一九六五)のヘンコウで大黒町は今町・府中町・東町の一部を加えて、町域を拡大した。

大黒神社

東5番ガード北交差点近くに復元された明治のガス灯

通りの中ほどに町名の由来になった大黒さんが祀られている(大黒神社)。東5番ガード北交差点そばに復原されたガス灯にも少し触れておこう。明治期の大黒町の賑わいを偲ぶモニュメントとして建設されたものだ。

通り町と木綿橋
 三代藩主水野勝貞の時、惣門を東に移し、侍屋敷であった胡町の筋は町家になった。寛文四年(一六六四)の城下町図誌に、胡町・大黒町・今町・笠岡町の町名が載っている。今町は、当時城下三十町のうち最も新しくできた町というので、今町の町名がついた。この四町が本町などに代わって本通りになって、通り町というようになった。
 この通り町の南詰は木綿橋である。…
 …明治の末、都市ガスが普及しはじめ、通り町にガス灯がつき、その明るさと便利さに人々を驚かした。各商店競ってあかりに用い、街灯にもともした。街灯は特別に、脚立を持ち、マッチを口にくわえた点灯掛職人が夕刻やってきて、火をともしてまわった。朝起きたときにはもう消してあったと平山さんは子どものころの思い出を語ってくれた。

『聞書き東学区物語(平成二五年九月増補版発行)』

ガス灯の説明

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そら豆のすり流し

2014年05月22日 | 家飯
塩茹でにしたそら豆をすり鉢であたる。豆があんこ状になったら出汁を投入してよく混合する。フードプロセッサーなどを使えば作業は更に楽になる。

ベース作り

裏漉し

口当たりをよくするため裏漉しする。ベースを小鍋に移して火にかけ酒・塩・薄口醤油で味を調える。分離防止の目的で水溶き片栗粉で若干とろみをつけ冷却する。ガラス酒器に流し込めば見た目の涼しげな前菜となる。元気の出る和風スープをぜひお試しあれ。

すり流し

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