井山宝福寺(備中西国第25番札所)山門をくぐり大木の間を抜けて仏殿(法堂)へ向かう。建物は江戸期・享保20年(1735)の再建である。

説明板によれば正面の額に記された「祈禱」の字は後水尾天皇の御直筆らしい。慶長16年(1611)4月後陽成天皇の第三皇子が第108代天皇に即位する。


この件では徳川将軍家の意向がかなり反映されたのだが、その後両者の間には確執が生じ長く院政を敷くことにつながった。
「吉備総社ぶらり旅(地図付きパンフレット)」には井山宝福寺仏殿の秘密「水を飲む龍」について次のように解説している。
宝福寺の仏殿に行ってみるがええ、天井に大きな龍の画が描かれとろうが。この龍はな、むかしは夜になると外に出て、下の百蓮池の水を飲むもんで、村人に恐れられておったんじゃ。そこで村人は考えて、龍の目に釘を打ちつけた。これ以来、龍が外に出て水を飲むことはなくなったということじゃ。


確かに天井の龍は今にもこちらに飛び出して来そうな迫力である。御本尊を拝んでから雪舟が涙でネズミの画を描いたという方丈へ移動する。

説明板の横に柱に縛られた小僧の像があるので「雪舟ゆかりの場所だ」とピンときた人も多いだろう。残念ながら雪舟時代の方丈は天正三年(1575)の戦乱で焼失している。


説明板によれば正面の額に記された「祈禱」の字は後水尾天皇の御直筆らしい。慶長16年(1611)4月後陽成天皇の第三皇子が第108代天皇に即位する。


この件では徳川将軍家の意向がかなり反映されたのだが、その後両者の間には確執が生じ長く院政を敷くことにつながった。
「吉備総社ぶらり旅(地図付きパンフレット)」には井山宝福寺仏殿の秘密「水を飲む龍」について次のように解説している。
宝福寺の仏殿に行ってみるがええ、天井に大きな龍の画が描かれとろうが。この龍はな、むかしは夜になると外に出て、下の百蓮池の水を飲むもんで、村人に恐れられておったんじゃ。そこで村人は考えて、龍の目に釘を打ちつけた。これ以来、龍が外に出て水を飲むことはなくなったということじゃ。


確かに天井の龍は今にもこちらに飛び出して来そうな迫力である。御本尊を拝んでから雪舟が涙でネズミの画を描いたという方丈へ移動する。

説明板の横に柱に縛られた小僧の像があるので「雪舟ゆかりの場所だ」とピンときた人も多いだろう。残念ながら雪舟時代の方丈は天正三年(1575)の戦乱で焼失している。

