寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県福山市中心部・変わるものと変わらないもの

2014年05月09日 | 日記
国道2号線・府中分かれ交差点より北方を望む。左手がエディオン福山本店新築工事現場、右手が福山東警察署、そして私の背後にはガソリンスタンドとポートプラザ日化がある。交差点付近の町並みはここ数年で大きく変わり、周辺住民の生活環境も相当に向上した。

一方、備後護国神社一帯の文化ゾーンは余り変わらない。市民の憩いの場(遊び場)であるグランドでは式典用の仮設テントが組み立てられていた。

備後護国神社

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福山市北吉津町2丁目4・渡邊神社(吉津御番所跡)

2014年05月09日 | 郷土史
御手洗川は大仏川とも言う。御手洗川にそって北へ向かうと左手に「恵了坊跡」を示す石柱が建っている。妙政寺の末寺だった恵了坊は呉市に移転し寺号を廣本山法華寺と改めて現在に至る。

恵了坊跡を示す石柱

石柱の先に見えるのが渡邊神社である。ここが吉津御番所跡だと知ったのは最近の話だ。高校への通学路として時々利用していたにもかかわらず…。

渡邊神社前

吉津御番所前


番所跡
 渡辺伝七さんの家あたりに、昔、番所があったそうな。正式の番所ではなく、裏木戸の類だったともいう。
 ここの番所は取調べがすこぶる厳しかった。何でも手をつっこんで調べられた。木之庄・坂田の人は困っていた。
 ある農家の人が新しい米桶を造った。町へはいる時は空っぽ。帰りには天秤棒に掛けた荷をかついで番所へ来た。「これ、その方、その桶をそこへ置け、中みはなんじゃ」「へい」答えを待つ間ももどかしく、藁のふたの下に手をつっこんだ。下肥だった。よごれた手では鼻もつまめない。外を指さして「早く行け!それから、余程のことがなければ、持物改めはしないで通られるようになった。オシマイ。
 この道は今も高校横を通り、坂田へ通じる道になっている。昔は細い、人一人が通るのがやっとという道だった。…

『聞書き東学区物語(平成二五年九月増補版発行)』

常夜灯

由来記

常夜灯の近くに建つ「吉津御番所由来記」碑には長文が刻まれているが、福山藩の歴史に興味がある人にはぜひ読んで欲しい内容だ。冒頭の一節のみを引用しておく。

吉津御番所は、旧山陽道より横尾を経て福山城下に入る重要な拠点であった。
福山城主阿部備中守正邦公、宝永七年(一七一〇)役人を配して御番所を設置し、通行人の監視体制を敷いた。
其の御番所役人を明治四年廃藩置県まで勤めたのが渡邊家である。

社殿

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手にぎり竹輪の原材料 

2014年05月09日 | 日記
福山市鞆町の名産に手にぎり竹輪がある。所謂焼き竹輪の一種で高級品には鯛のすり身も入る。竹輪の面白い所は鯛のみで作っても美味しいものはできないことである。タラやグチといった大衆魚のすり身と合わせることであの独特の食感(プリプリの歯応え)と旨味が生まれるのだ。

最近ではすり身の価格が高騰して竹輪のサイズが小さくなりつつある。福山という街では高いだけの商品は歓迎されないのを熟知している製造業者は苦心して出来るだけ手頃な価格に抑えて安定供給しているのだ。「味と価格のバランス」を十分に考えた上での冷凍すり身の使用は妥当だと思うし、私は支持する。

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