寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

備後福山における天災の記録(江戸期)

2014年05月06日 | 郷土史
連休最終日、私は『福山市多治米町誌』に目を通して興味深い記述を見つけた。備後の中核都市である福山は天災の少ない地域と言われるが、過去(江戸期)の地震で大きな被害が発生したことが記録として残っているのだ。

 江戸期福山地方においては、宝永四年(一七〇七)一〇月四日昼大地震があった。また天保六年(一八三五)二月一四日に地震があり、さらに安政元年(一八五四)一一月四日から同月一五日までに起こった東海道沖地震は激しかったようである。この安政元年地震は特に五日が大震し、この日を中心に三〇回余りも震動したすさまじいもので、西は山陰・山陽にも及ぶという広範囲な地域に被害を出している。太陽が二つ昇ったと騒ぎ、土地亀裂し住民野宿するという。
 福山は、「当国福山城下内、深津村人家いたみ多し、尤古き家甚し、神村にて田中より水新に吹出し、下は川と成、其外所々其類多し、…」(菅波信道一代記)などと被害の状況を伝えている。深津郡役所家屋も倒壊したようで、このような地震はいまだかつて経験したことのない大地震という。

深津の状況も悲惨だが、神村(かむら)で液状化現象のようなものが観測されたことは注目すべきである。今から約160年前の天災に関する被害について福山市民がどれほど把握しているだろうか。おそらく殆どの人が知らないはずだ。「福山は大丈夫だ」という勝手な思い込みは実に危険である。

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JR伯備線・総社駅のスタンプを記念に押す

2014年05月06日 | 
総社駅の改札を出て階段を下りた所に観光案内所がある。電車で総社を訪れる人はここで観光パンフレット(地図)を入手して係員から話を聞くと有効に時間が使えると思う。案内所と駅の階段の間に幼年雪舟像と黒姫の歌碑がある。

幼年雪舟像

黒姫の歌碑

歌碑文を揮毫したのは総社名誉市民の高木聖鶴氏で平成17年(2005)6月4日に除幕式が行われている。古事記の中の「倭方(やまとへ)に西風(にし)吹き上げて雲離れ退(そ)き居りとも我忘れめや」というあまりにも有名な恋歌である。

JR伯備線・総社駅のスタンプ

私は駅改札口の駅員に一声かけてスタンプを出してもらい旅の記念に葉書に押した。名所の備中国分寺と鬼ノ城を紹介したなかなかオシャレなデザインである。

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