連休最終日、私は『福山市多治米町誌』に目を通して興味深い記述を見つけた。備後の中核都市である福山は天災の少ない地域と言われるが、過去(江戸期)の地震で大きな被害が発生したことが記録として残っているのだ。
江戸期福山地方においては、宝永四年(一七〇七)一〇月四日昼大地震があった。また天保六年(一八三五)二月一四日に地震があり、さらに安政元年(一八五四)一一月四日から同月一五日までに起こった東海道沖地震は激しかったようである。この安政元年地震は特に五日が大震し、この日を中心に三〇回余りも震動したすさまじいもので、西は山陰・山陽にも及ぶという広範囲な地域に被害を出している。太陽が二つ昇ったと騒ぎ、土地亀裂し住民野宿するという。
福山は、「当国福山城下内、深津村人家いたみ多し、尤古き家甚し、神村にて田中より水新に吹出し、下は川と成、其外所々其類多し、…」(菅波信道一代記)などと被害の状況を伝えている。深津郡役所家屋も倒壊したようで、このような地震はいまだかつて経験したことのない大地震という。
深津の状況も悲惨だが、神村(かむら)で液状化現象のようなものが観測されたことは注目すべきである。今から約160年前の天災に関する被害について福山市民がどれほど把握しているだろうか。おそらく殆どの人が知らないはずだ。「福山は大丈夫だ」という勝手な思い込みは実に危険である。
江戸期福山地方においては、宝永四年(一七〇七)一〇月四日昼大地震があった。また天保六年(一八三五)二月一四日に地震があり、さらに安政元年(一八五四)一一月四日から同月一五日までに起こった東海道沖地震は激しかったようである。この安政元年地震は特に五日が大震し、この日を中心に三〇回余りも震動したすさまじいもので、西は山陰・山陽にも及ぶという広範囲な地域に被害を出している。太陽が二つ昇ったと騒ぎ、土地亀裂し住民野宿するという。
福山は、「当国福山城下内、深津村人家いたみ多し、尤古き家甚し、神村にて田中より水新に吹出し、下は川と成、其外所々其類多し、…」(菅波信道一代記)などと被害の状況を伝えている。深津郡役所家屋も倒壊したようで、このような地震はいまだかつて経験したことのない大地震という。
深津の状況も悲惨だが、神村(かむら)で液状化現象のようなものが観測されたことは注目すべきである。今から約160年前の天災に関する被害について福山市民がどれほど把握しているだろうか。おそらく殆どの人が知らないはずだ。「福山は大丈夫だ」という勝手な思い込みは実に危険である。
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