寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

備後人が作るハタハタ鍋

2012年12月09日 | 家飯
日本海側で水揚げされるハタハタを食べるようになってまだ15年くらいだ。備後で生まれ育った私は金沢を旅した時にハタハタの美味しさを知った。犀川の畔の割烹で出された前菜(ハタハタの田楽)は完璧な味だった。

通常我が家ではハタハタの一夜干し(全体に薄塩をあて冷蔵庫で水分を飛ばすと旨味がアップする)を焼いて食べるのだが、思いつきで鍋にしてみた。薄口醤油のかわりに魚醤(しょっつるがあればベスト)を使うとワンランク上の出汁になる。

寒の時期のハタハタ(身)は上品な味わい。やわらかい白子がまた旨い。酒が進むこと間違いなしのシブい小鍋立てである。

プリプリの身とクリーミーな白子

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骨付き鳥足をぶつ切りに

2012年12月08日 | 食材
子供の頃はクリスマスのチキンといったら骨付き鳥足の唐揚げのことだった。昔はスーパーでよく売っていたメニューだが、最近はあまり見かけない。指先と口の周りをベトベトにして豪快に食べることが敬遠されるようになったのは寂しい限りである。

現在の私は骨付き鳥足をわざわざ買ってきて出刃包丁でぶつ切りにする。骨の周りの肉は味が濃く噛み応えがあるので水炊き(鍋)用に最適だ。手間をかけるだけの価値は十分にある。

骨付き鳥足をぶつ切りに

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福山市東深津町5丁目11の辻の坂広場の北側辺りが国鉄の踏切跡

2012年12月07日 | 郷土史
小学生の時分、王子山薬師寺の門前(松原通りの東端)に駄菓子屋(東深津町5丁目6-9)があった。インベーダーゲームが流行した折にはガキがあちこちから押し寄せて来て息苦しいほどだったことを今でも憶えている。

JR西日本の高架

小川に沿って北に進むとJRの高架である。川の右側が辻の坂広場(歩道あり)、左側が車道となる。昭和50年の山陽新幹線開通前は土手の上を国鉄の車両が行き来していた。

桁下1.8mの表示(大型車は通行不可)

母は現在の高架下辺り(井笠・松原バス停の南側)に踏切があったと教えてくれた。電車が来るとおっちゃん(またはおばちゃん)が手動で遮断機を下ろしていたという。

東深津町の松原バス停辺りから辻の坂の信号機を望む(方角は東)

高架下を潜って右折し坂を上る。丁字路に辻の坂という表示の信号機が設置されているが、昔は(高架と平行して)東へ抜ける車道はなく北東方向の坂越えが正規のルート(笠岡街道)だった。

辻の坂の丁字路交差点(信号機あり)

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期日前投票に出かける人たち

2012年12月07日 | 日記
福山市役所が期日前投票の会場である。いつも思うことだが、年々この制度を利用する人が増えている。待望の総選挙ということもあって有権者の関心は高そうである。皆さんはもう行ったかな?

投票のあんない

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寒い夜は鍋にかぎる

2012年12月07日 | 家飯
こう寒いと必然的に鍋を囲みたくなる。私が作るのは大概簡単な鍋(今回は寄せ鍋)だ。薄目のだし汁に鶏肉と好みの野菜、豆腐を入れて煮るだけ。

調理時間を短縮するために青物以外の野菜を固ゆでに。鶏肉を霜降りしておくとだしが濁らないし臭みも取れる。土鍋を使うと加熱を止めても冷め難い。材料費が安い・体の芯まで温まる・しめに麺やご飯を投入する楽しみがある、などなど鍋はいいこと尽くめだ。

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福山市東深津町5丁目の王子山薬師寺(真言宗大覚寺派)

2012年12月06日 | 郷土史
王子神社を後にし北を目指す。ミラーが取り付けられた地点(東深津町5丁目15の緑色のプレートが目印)で道が分かれるので右の細い道を行く。

愛らしい六地蔵

薬師寺門前へ続く路地

可愛らしい六地蔵を過ぎると右手に王子山薬師寺が現れる。門前の近くに自転車を止め法界地蔵尊に軽く会釈してから境内に入った。

薬師寺門前の石仏

眞言宗 王子山、正院、藥師寺
文録(祿)のころ此邊は渺々たる海なりけるか、海中に光物有、所をさためす。西入といへる法師、小船に乘て夜々覘けるに、此光り物次第に近より蛙岩まて來る。西入即舟を漕よせみれは藥師の尊像なり、急き取揚置けるに靈驗著し。牧童樵夫なと此像の口を押へて朝三暮四の事を試るに、餅飯焚炊の音をなして示したまひしとかや。毛利元康此所を領し王子山に城を築居住し、此尊像の奇特を感し、一宇を造建し被安之。寛文年中、水野家御建立有て寺とハ成侍り。夫迄は誠の草堂なりしとかや。

『備陽六郡志』

王子山薬師寺

寺の北側に涎かれをつけた地蔵がたくさん並んでいる。私は戦病死者忠魂碑の前に立ち手を合わせた。

戦病死者忠魂碑

念仏を唱える中新幹線が猛スピードで通過し静寂を打ち破った。境内からはJR西日本の高架がよく見える。その時「更に向こうまで行ってみよう」という欲が出た。

薬師寺境内から北方を望む

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1月並みの気温が続き厚着を強いられる

2012年12月06日 | 日記
12月初旬の最低気温がマイナスとなるのは久しぶりである。備後地方(沿岸部)の住民の多くがコートを羽織って街を歩いているのも頷ける。私は寒さ対策として厚手のセーターを着る。そして外出時に必ずマスクをつけ、帰宅したらすぐにうがいをして手をよく洗うよう心がけている。年末に風邪をひいて寝込むのだけは避けたいから。

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福山市東深津町5丁目の王子神社(その3)

2012年12月05日 | 郷土史
『廣島縣神社社誌(平成六年)』には王子神社に関する詳しい記述があるので一部を紹介する。

(旧称)王子権現社、王子大権現
祭神 天菩日命あまのほひのみこと、天忍穂耳命あまのおしほみみのみこと、天照大御神あまてらすおおみかみ、天津日子根命あまつひこねのみこと、活津日子根命いくつひこねのみこと、熊野久須毘命くまぬくすびのみこと
例祭 八月二十八日(旧暦)
本殿 一間社入母屋造、向拝付、桟瓦葺(間口一間、奥行き一間半)
付属社殿 幣殿(二坪)、拝殿(七坪)
境内地 三六七坪
由緒 創祀年代は不詳であるが、元禄(一六八八‐一七〇四)の頃より社頭が盛んになったという。
伝承 往古は石畳の上に神体石を置いただけの小社であったが、元禄の検地の時に、検地に用いる竿を役人が社の鎮座地へ入れようとしたら狐二匹がその竿先に立ち廻ったので検地の除地となった。(『西備名区』)

拝殿前の石灯篭には天保という文字が刻まれていた。背後のフェンス越しに市街地を一望できる。私は王子山の南東部に目をやった。かつての深津沖新田、手城新涯は建物で埋め尽くされている。私が中学に入る頃までは東深津町にはかなりの田んぼが残っていたし、王子町で牛を飼っている家がまだあった。

拝殿前の石灯篭

神社境内より南東方向(深津沖新田など)を望む


此の他勝成の行った主要土木工事は
○元和八年(一六二二年)五九才三吉新開
以上は郷土史家、森本繁氏著「水野勝成」から引用した

深津高地周辺の歴史と干拓
①深津高地の最南端の王子山の下からとうなんに國道二号線にでる、いわゆる登り土手から以西、現在の王子町から蓮池川(溜池)以東の字西浜にかけて木之端新涯として寛永十八年(一六四一)十八町歩造成これで深津村ができた。
⑤引野街道からさらに南の千間土手までが深津沖新田として干拓造成されたのであるが千間土堤は王子山端から梶島山を結ぶ線の堤防が作られた。

『深津小学校百二十周年記念史(平成七年)』

王子神社の境内から西へ歩いていくと六地蔵が祀られている。地蔵の後ろは下り坂で途中に祠(庵)らしき物がかろうじて原形を保っていた。

六地蔵

もと庵それとも祠?

墓地の端から南西方向(王子町・かつての木之端新涯)を望み、入船町・三吉町が大きく変貌していることに改めて気付いた。イトーヨーカドーの進出が大きな転機となったことは言うまでもない。

墓地より西方(王子町)を望む

王子神社動座記念碑の前で私は高低差から街の発展を知ることが大切だと思った、そしてまた写真はあくまでも記録の一手段に過ぎず自分の目(現地調査)を重視すべきだと。

王子神社動座記念碑

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企画展:行政文書からみた戦前の「大福山」構想(まなびの館 ローズコム3階)

2012年12月05日 | 日記
福山市霞町のローズコム3F歴史資料室で戦前の「大福山」構想という企画展が開催中である(月曜・祝日は休み)。明治・大正・昭和(戦前)の地図を見比べると合併によって街が発展する様子(鉄道網の整備や埋立地の拡大など)が手に取るように分かる。

有難いことに今では使われなくなった字が昔の地図にはたくさん出ている。初心者にはやや難しい内容だが、歴史資料室には優しく解説してくれる人がいるので、遠慮せずに声を掛けてみるとよい。12月8日(土)のミニ歴史散歩「福山の入り江周辺探訪(午前9時までにリーデンローズ北側広場に集合:無料)」に参加予定の人も要チェックだ。

企画展開催にあたり

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福山市東深津町5丁目の王子神社(その2)

2012年12月04日 | 郷土史
王子山山頂に到着。左手に神輿蔵と深津王子神社の社殿がある。大昔、社はなく御神体の石が祀られていたという。この地に山城を築いたという複数の記述があるが、現在遺構らしきものは見当たらない。福山志料の記述から建造中止になったと考えるのが妥当であろう。

王子大權現は王子山にある。毛利元康城を此の山に築きかけ半にして國を削られ築城のことは止んだが、其の時未だ社はなかつたといふ。建立その他一切不詳。

『土基本調査 深津尋常高等小學校(昭和三年)』

王子大權現別當藥師寺
毛利元康歡請して鎭守とせらる。水野公の時、撿地奉行豊田九左衛門、谷九兵衛両人に被仰付、王子山の下をも竿を入ンとしける時に、主庄九といふもの罷出、此所は王子の遊ひ給ふ所にて侍るまゝ御除可被下と混向願けれ共、きゝ入ざりけれハ、是非なく社に至りて色々願ひ侍れとも叶不申、此以後ハ公義の地にて候間、今迄之通に踏散したまふなど訴へけれハ、側の穴より王子の文字を負たる老狐弱ひ出て、撿地奉行の顔をまもり居けれハ、両人訴訟の趣尤に侍る、竿ハ入間敷そと云けれハ快然として、もとの穴へ入けるとそ。元祿前撿地の節も夢の告有て藥師寺并王子山迄除地に成侍る。

『備陽六郡志』

王子大權現
王子山ニアリモト遠ニ路トカク毛利元康城ヲ築キカケ半ニシテ國削ラルソノトキイマタ社ナシト云

『福山志料』

王子神社の拝殿

拝殿へ向かい賽銭を入れ家内安全を祈願した。拝殿の天井には色褪せた武者の絵馬が飾ってあった。

王子神社拝殿の絵馬

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鮭の稀少部位・氷頭(ひず)

2012年12月04日 | 食材
鮭の頭部にある軟骨を氷頭(ひず)という。魚体の僅か1%ほどの稀少部位(コリコリした食感)だが、北国ではよく食べられている。

紅白なますにスライスした氷頭を加えた酢の物が有名だ。三杯酢に柑橘の絞り汁を使うのがミソ。柚子の皮を細かく刻んで盛り込むとよりきれいである。

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いい大人が軽々しく「騙された」という言葉を吐くな! 

2012年12月03日 | 暗黒の無政府時代
明日は待望の衆院選公示日である。この期に及んで先の総選挙で裸踊りをした、いい大人が「騙された」と言い訳をしているのには笑ってしまう。

本当は騙されたかったのではないか(子供のように甘い夢に浸りたかっただけではないのか)、と私は思うのだ。ネット社会において自分で調べればすぐに分かったはずのからくり(貴重な一票を投じる候補者のルーツ・思想信条・所属団体など)なのに…。

「コンクリートから人へ」という空虚なスローガンのもと「コンクリートが人に」落ちるという悲惨な事故が発生したことを彼らは直視すべきである。結局のところ、自分の失敗を総括できぬ人間は何度でも罠に引っ掛かるのだ(そして最悪の場合命を献上することになる)

12月初旬の中央公園

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温州みかんと暖房機器

2012年12月03日 | 食材
コタツに入ってテレビを見ながらカゴ盛りのみかんに手をつけるのが昭和の家庭の風景だった。あの頃は小学校や自宅のストーブで焼きみかんをよく作っていた。手の平が黄色くなるほどみかんを毎日たくさん食べていたことがただ懐かしい。

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片口を小鉢として使う 

2012年12月03日 | 日記
片口は徳利と同様酒器の一種である。備前焼の片口は私のお気に入りだが、酒を注ぐよりも小鉢として使うことの方が多い。

片口には青菜のお浸しや小さな果物を盛る。渋い色合いの備前焼き(※水に湿らせてから使用)は原色の食材と合わせるとよく映える。画像は玉ひもときんかんの煮物である。

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福山市東深津町5丁目の王子神社(その1)

2012年12月02日 | 郷土史
どいストアー(福山市東深津町5丁目18-10)の手前まで来て久しぶりに王子山に登ってみようと思った。辻を北西へ進むと右手に葉隠饅頭(同町5丁目20-36)がある。生まれてからこの店の看板商品を何個食べたことだろうか。私にとっては思い出の和菓子である。

福山市東深津町5丁目の葉隠饅頭

饅頭屋の対面が薬師寺の墓地にお参りに来た人のための駐車場になっている。私はここに自転車を止めて深津王子神社の参道へ向かった。

深津王子神社への参道

深津王子神社と刻まれた石柱

福山の城下町が形成される前、王子山周辺は半島の様な形であったと言い伝えられている。山裾から広がる平地はもともと(干拓前)は海だったのだ。

深津王子神社の石鳥居

旧深津郡深津村で古い歴史を持つ神社の石鳥居をくぐる前に一礼して気を引き締める。手袋に白い息を吹きかけ落ち葉で埋め尽くされた坂道をゆっくりと上った。

追記(2016.8.31)
葉隠饅頭(納富さん)は平成28年(2016)8月中旬に廃業した。

貼り紙


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