(静かな湯の里@角間温泉)
木曽路でロクヨンを追い掛けた後は、塩尻から一気に高速で長野市内へ移動。同好の氏とメシを食いながら翌日のお話なんぞを…実は今回、事前の宿泊場所を何にも決めてなかったんだけど、当日も当日ギリギリで空いていた宿を押さえてチェックイン。宿泊したのは湯田中温泉郷の中でも一番外れにある角間温泉と言う場所でした。鄙びた湯治宿と共同浴場が路地に建ち並ぶ、つつましく静かな温泉街。画像は朝ですが到着した時は真っ暗で宿がどこにあるのか分からなかったと言う(笑)。見た目よりはこぎれいな部屋で、質の良いさらさらスベスベするたっぷりの温泉付きで素泊まり4,500円。ビジネスホテルよりよっぽどいいね。
ちょっと熱めの温泉に入り、翌朝。コンビニで朝メシを買いがてら、信濃竹原の駅へ。何度か訪れた事のある駅ですけど、湯田中に続く扇状地の集落の中に、漆喰壁の小駅舎がぽつんと佇む風景が好ましい。おそらく昭和2年に鉄道が湯田中(当時は平穏)まで開通した時に作られたまま、時は流れ今に至る。屋代線が廃止され、長電からこの手の味わいのある駅舎もだいぶ少なくなっているように思う。
そこかしこに残る時代を感じさせるアイテム。駅舎の中の運賃表はいったいいつのものなのだろうか…日野駅(昭和62年復活)と付属中学前駅(昭和60年開業)が後付けで足されている事を考えると、それより前のものなんでしょう。さすがに運賃は張り替えられてるんで最近のなんでしょうけど、それでも木島方面があるから平成14年よりは前の運賃表ってことね。湯田中駅から草津や万座を通って長野原までのバス路線が引かれているあたり、まだ志賀高原周遊ルートをバスで直通出来た時代の話なのかな。
駅の湯田中寄りに残る貨物ホームの遺構。信濃竹原からは木材(パルプチップ)や農作物が積み出されていたようですが、駅の湯田中側には朽ち果ててはいるものの貨物上屋が残っており、褪せた看板が読み取れます。えーと、「車扱貨物の積卸時間に付いて」…車扱貨物=しゃあつかいかもつ、と言うのは貨車1両を単位とする輸送方式で、今の車扱貨物はA駅からB駅まで一括発送するもの(それこそ昨日のタキ貨物とか)が大半なんですが、昔は貨車1両ごとそれぞれの行き先に応じて、途中で貨車を繋ぎ替えてたんですよね。これがめんどくさくて時間がかかるってんで鉄道貨物の衰退の原因になったんだけど。それにしても火薬類は分かるが「第一種放射性物質」って何だよw
右側通行の信濃竹原駅で交換するマッコウクジラこと3500系、信州中野行きに乗り込む地元の方が1人。日中は運転間隔が1時間半近く開くこともあり、今や末端のローカル区間に成り下がってしまった信州中野~湯田中間。ちょっと前までは朝夕のB特急(2000系ですよ)がこの区間は各駅停車になって長野市内と直通してくれてたんですけどねえ。
やっぱ直通がない、ってのは心理的に鉄道利用を遠ざける一因になったりはしてないだろうか。