青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

鉄路の輝き

2016年11月11日 22時59分03秒 | つくばEX・関東鉄道

(記憶に残す、語り継ぐ@水海道乗務区)

乗務員の詰め所である水海道乗務区の2階では、普段はおそらく休憩所になっているスペースを使って平成27年豪雨に関する写真展が開催されていました。旧石下町の鬼怒川の決壊により、常総市内の大部分を襲った大洪水。この地域は昭和61年にも鬼怒川の東を流れる小貝川の決壊による大洪水があった事を記憶しており、度々の水害に悩まされる地域でもあります。太古の昔には、霞ヶ浦から現在の下妻あたりまでが鹿島灘から続く入り江だったそうで、現在の筑波山の西麓は江戸時代以前は元々が利根・鬼怒・小貝川の大きな氾濫原となっていた事からも、地政学上でもひょっとしたら洪水の起きやすい地域なのかもしれません。今でも三妻付近の小貝川には「道仙田」と言われる三日月湖が残っていて、この辺りで川が大きく蛇行していた事の証拠が残っていますよね。


まずは平成27年9月豪雨による常総線の被害を学んでみる。冠水被害は北は下妻市境の宗道駅付近から、南はここ水海道車両基地を超え、つくばみらい市寺畑地区までの総延長17.4kmに及びました。R294バイパスと水海道市街に向かう旧道の分岐する少し南側あたりまでって事かな。程度の差はあれど、駅で7つ分と車両基地が水没してしまったという被災範囲の大きさに驚くとともに、皮肉にも鬼怒川の東側の常総市の部分だけが市境に沿ったようにすっぽりと冠水した事が分かります。

  

常総線の被害状況としては、主に道床(バラスト)の流出と軌道変位(レールのゆがみ)、それと冠水による信号ケーブルや駅舎他建物施設の電気設備の被害が大きかったようです。関東鉄道がこの水害で復旧に要した費用は概算で5億円だとか…多いか少ないか評価の分かれるところだと思うんだけれど、自分は聞いた瞬間は正直に言うと「意外と少ないんだな」と思いましたけどね。もっと甚大な被害額になっているかと思ったので。


ここ、水海道車両基地も9月10日の決壊の翌日早朝からジワジワと浸水し始め、すっぽりと泥水に覆われてしまいました。最大60cmの冠水だったという話で、車両基地に併設された全線の運転指令室(CTC)の設備関係がやられてしまったそうな。当日は既に雨量規制のため運転を抑止していた常総線ですが、堤防の決壊の報を聞いた関鉄職員は一丸となってこの車両基地に収容されていた車両を片っ端から守谷方面の高台に移動させたため、車両の被害は最小限に食い止められたんだって。小貝川の洪水を覚えていた職員が下した判断が功を奏したとの事なんだが、つくづく災害と言うものは記憶を風化させてはいけないものなんだと思う。


決壊翌日、平成27年9月11日午前11時頃の水海道車両基地付近を上空から撮影した写真(国土地理院HPより)。泥水に飲まれた車両基地が見えます。ここまでの被害を受けたものの、洪水から一週間で取手~水海道・下妻~下館が暫定復旧。広範囲に渡った被災区間も約一か月で復旧に漕ぎ着けたというのも関鉄職員の奮闘努力の末でありましょう。地方がいくら車社会だとは言え、東京への通勤圏内を走る常総線が稼働するか否かは地域の交通と流動に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。


訪問した時間が遅かったせいもあり、色々と見たいものはあったんだけど時間は既に午後3時。公開終了のお時間です。時間を過ぎてもなお、名残惜しげにカメラを向ける参加者たちの中に、晴天の下のキハ四並びに感動して写真撮りながら涙ぐんでるおっちゃんがいた。隣にいた私たち親子に向かっての話なのかどうか定かではなかったんだけど…独り言のようなそのおっちゃんの話を聞いたら、どうやら自宅が浸水した被災者の方であった。

泥水の中から立ち上がった我が街の鉄道の姿。再び光を取り戻したレールに、自身の復興を重ね合わせていたのかも。
心の中は推し量るべくもありませんが、こちらもグッと来るものがありました。
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