(秩父を走って二十余年@波久礼駅)
平成初期に自社発注車であった300系・500系などが引退して以降、国鉄101系を譲り受けた1000系が主力を占めて来た秩父鉄道の車両たち。近年になってご多分に漏れず東急からの譲渡車が多数を占めるようになった中、現役で最古参となったのが都営三田線から譲渡された5000形。三田線からやって来たのが平成11年だから、もう秩父で走って20年以上になります。三田線なんか後継の6300形に既に置き換えの車両が出始めているので、時は流れましたよね。
5000形の緑のモケット。ふかふかの抹茶カステラのようなこのモケットに体を預け、暖かな車内で揺れに身を委ねていると、ついウトウトと眠くなってくる。秩父鉄道に譲渡された編成の製造自体は昭和47年(1972年)だということだから、今年で製造50年ということか。それなりに年季を重ね、その風合いも秩父路の四季に馴染み。
幾多の乗客の靴跡、足跡を刻んで。東京都心の官庁街を走っていた車両が、山と盆地とからっ風の中を走ります。床に写る午後の陽だまりに。指ハサミ表示のステッカーとか、最近はあまり見なくなりましたけど、これも都内を走っていた頃のモノか。
最近は、このような地味ながらも味わい深い車両に強く惹かれる。ちなみに都営三田線は、建設当初には高島平から先の大和町(現:和光市)までを東武鉄道が「高島平線」として建設し、東武東上線と相互乗り入れをする計画があった事はマニアには知られている事でしょうか。何でわざわざ東武が高島平まで支線を作るのかというのは、やっぱり都営地下鉄だから県境を越えて和光市の方までは伸ばせなかったって事なのかね。まあそんな事言っても今の都営新宿線は千葉県の本八幡まで繋がってますけども・・・閑話休題。東武高島平線計画は、東上線池袋口の朝の混雑緩和を目的に始まったものらしいのですが、さすがに東武側の「新線まで作って和光市~池袋間の客を他社に流すってのは収益的にどうなのよ?」というのと、高島平回りになる事で都心へのアクセスがかえって遠回りになり、思ったほどの乗客の遷移効果もなさそうという理由で立ち消えになりまして、結局現在の東京メトロ有楽町線との相互乗り入れに落ち着くこととなったそうな。
幻に終わった東武東上線への延伸計画ですが、往時の主力車両であった都営6000形は、秩父鉄道への譲渡という形で図らずも東武東上線の終着駅である寄居に辿り着いたことになります。もし、高島平線計画が機能していれば、高島平から東上線に乗り入れ、寄居から長瀞方面に向かう観光急行みたいなのも運転されていたかもしれませんね。
毎回UPされるのを楽しみにしております。
昭和59年頃から旧都営三田線の6000形で大手町まで通勤していた、若かりし頃を思い出しております。
それにしても天性と申しましょうか、青空さまは本当に空気感を切り取られる感覚が流石です。
今日もポチして帰ります。
今の電車にはない無骨なアルミのコルゲートがいいんです。