青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

潮風を 嗅いで路地裏 加太の街。

2022年05月13日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(新緑包む終着駅@加太駅)

終点・加太駅。もう少し海の近くの雰囲気有ろうか、という勝手なイメージがありましたが、潮風の気配は少し乏しい場所にあり、かえって駅を取り囲む丘陵地帯の新緑が綺麗な色を見せていました。加太の駅が港から少し離れているのは、鉄道が開通した明治の時代に、街場の人達から鉄道に対するちょっとした反対運動があったからなのだとか。当時の鉄道となれば当然ながら陸蒸気。火の粉で火事になるだとか、騒音で鶏が卵を産まなくなるとか、とにかく各地で色々な理由による鉄道敷設の反対運動も多かった事は知られる話です。

観光客がぞろぞろと加太の街に繰り出せば、折り返しの準備に余念なく。GWという事で、職員の方々も案内や精算に大わらわ。普段は静かな駅なのだろうけど。「めでたいでんしゃ」をフラッグシップに置き、華やかに勢いよくポップに飾り付けられた加太駅舎。電車を降りて、早速自分も街歩きに繰り出して見る事にしましょうか。

加太は、狭い路地に黒い瓦屋根と焦げ茶色の板塀の旧家が立ち並ぶ、いかにも昔ながらの漁師町。和歌山県の最北部・紀伊水道に面するこの街は、紀伊水道を挟んで本州と淡路島の距離が一番近い事から、海運と漁業を中心に発展して来ました。漁村、というには立派な作りの商家が多いのは、廻船業や漁業で富を成した家が多かったからなのか・・・天気がいいせいもありますが、明るく豊かな街並みという雰囲気があります。

お寺の大伽藍、旧家の壁の琺瑯看板。まあね、最近はこういった街の景観についてもレトロ的なものを集客の柱に立てて観光誘致をする地区も多いので、どこまでが真でどこまでが虚かなかなか見極めにくいところもあったりしますが・・・人通りの少ない裏路地を燦々と照らす日の光に目を細めながら、そぞろ歩きを楽しむ。

加太の港。かつては淡路島までの航路もありましたが、今は定期の旅客船は沖合に浮かぶ友ヶ島までの観光航路(友ヶ島汽船)が残るのみ。友ヶ島は加太の沖合・淡路島との間に浮かぶ無人島で、明治時代に大日本帝国陸軍により大阪湾の守備陣地として置かれた砲台跡などが残っているのだとか。釣りやキャンプ、海水浴の好適地という事ですが、東京湾で言うところの猿島的な位置付けなのかな。去年の秋に松山に行った際、瀬戸内海の沖合に浮かぶ興居島まで船で渡ったのを思い出したのだけど、今日はちょっとそこまで渡っている時間はなさげ。

美しい森に包まれ、加太の海を眺める総鎮守・淡島神社。紅い社殿が美しい。全国に「淡島神社」と呼ばれる神社はかなりの数がありますけれども、この紀州加太の淡島神社が総本山なのだそうです。氷川神社とか琴平神社とかも、総本山からの「勧請(かんじょう)」という形で全国に広がってますけど、「勧請」の言葉の意味を調べると、「本社に祀られている神の分霊を迎え、新しく設けた分祀の社殿に迎え入れて祀ること」とあります。いわゆる神社仏閣にも「のれん分け」的なフランチャイズのシステムが太古の昔からあるのですよね。「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る淡島神社は、女性の病気回復や安産・子授けなどの願いにご利益があるのだそうで、神殿の周りを囲むように全国から持ち込まれた人形供養の神社としても有名。

時間はお昼時。せっかく漁港のある街まで来たのだから、港の近くにある食堂みたいなので魚料理でも・・・と思ったのだけど、さすがにそこはGW。めぼしい店はどこもクルマで一杯人で一杯。加太観光、鉄道利用よりもクルマで来る人間の方が圧倒的に多いようだ。大阪・京都方面のナンバーが目立ったが、その辺りから日帰りドライブで来るにはちょうどいい距離感なのだろうな。京都から加太なんか遠いだろうと思うのだけど、最近は京奈和道という無料高規格道路が宇治から奈良・五條・橋本を通って和歌山まで伸びて来ている。あまりクルマで関西まで来ることはないのだが、中京・関西圏は首都圏に比べてあっという間に高規格道路が出来てしまうよね。

昼メシは後回しにして、加太の路地裏を潮風に吹かれつつ野良猫の様にブラブラと。
味のある書き文字の海の家、夏場ならやってるんだろうか。


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