青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

磯ノ浦 寄する波音 鉄の音。

2022年05月11日 17時00分00秒 | 南海電鉄

(支線の駅@八幡前駅)

コンパクトな平屋建ての駅舎に、必要最低限な駅の設備が収まりよくまとまっている。いかにも「支線の駅」と言った面持ちの八幡前駅にフラリと降りてみる。「八幡」というのはこの駅の北にある「木本八幡宮」の事らしい。近ければ次の電車までの待ち時間にササッとお参りしても良かったんだけど、駅からは1.5km程度離れているようだ。「前」というほど近くはないのだな。本殿が和歌山県の重要文化財に指定されているそうです。

加太線の沿線は、比較的古くからの住宅街という感じ。どこも駅前は狭く、小さな商店がぽつぽつと見受けられるだけで、商店街が形成されていたりする余地は残っていない。この日はGWでしたので、加太へ向かう観光客が大勢乗車していましたが、普段は和歌山市北部から和歌山市街への通勤通学路線なのでしょう。加太へ向かう親子連れを横目に、めでたいでんしゃ「かしら」。

磯ノ浦駅。磯ノ浦は古くから知られた和歌山の景勝地。下り線だけが拡幅されたホームに、今は使われていなさそうな鉄柵の臨時改札。紀ノ川の流れによって運ばれた砂によって作られた浜辺は、かつては「二里ヶ浜」と呼ばれていたほどの長く続く白砂青松の砂浜でした。その名は今でも加太線の駅名としても残っています。磯ノ浦駅も、夏の繁忙期は多客対応でてんてこまいになったのでしょうね。

終点加太で折り返して来る「かしら」を撮影し、小さな駅を降りると、徒歩2~3分で海に出る事が出来る。さすがにまだ海に来るような人は少ない時期だが、サーフィンをしている人は目立つ磯ノ浦の海岸。二里ヶ浜、と言われたからには、かつては二里(8km)程度の砂浜が続いていたのだろうと思われるのだけど、1940年に紀ノ川の河口部の土地を一括接収して建設された住友金属工業和歌山製鉄所の戦後の規模拡大によって、二里ヶ浜は東側からどんどんと製鉄工場に姿を変えて行きます。高度経済成長の波に乗り、ついに工場の敷地は磯ノ浦に迫りました。しかし、激しくなるばい煙や粉じん公害と併せ、美しい海と浜辺を守れという地元住民の猛烈な反対運動によって、最終的にはこの砂浜だけは埋め立てられることなく今に至っています。

少し風は冷たいながらも、朝の曇天からは見違えるような素晴らしい晴天に恵まれる。紀伊水道の向こう右手にゆったりと続く陸地は淡路島か。そして、その横にぽつんと小さく見える島は、淡路島の南に位置する沼島(ぬしま)か。土地の買収、漁業権の買い取り、工場での漁業権を失った漁師の雇用と生活保証。昭和の時代に全国で見られた沿岸部の工業開発のメソッドは、第一次産業従事者への金銭による国策への隷属でした・・・なんて言ってしまうと、その産業の近代化による果実を享受している現代社会の否定になってしまうのだけど、そこを大きく通り過ぎて日本の工業が競争力を失ってしまったこの令和の時代。「昔徳川・今住金の城下町」と謡われた和歌山工場も、工場の高炉停止による規模縮小が進められているそうで、栄枯盛衰を感じてしまうのであります。

新緑のレールを踏んでやって来た「かい」に乗って。座席では、海の生き物が気持ちよく泳ぐ。
昭和の時代にギリギリで残された、二里ヶ浜の形見のような浜辺を眺めながら、加太へ。


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