青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

昭和と、平成のその先へ

2019年02月15日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(立派な本社ビル@平賀駅)

まずは津軽尾上から電車に乗って、弘南線の心臓部を司る平賀駅にやって参りました。ここは弘南鉄道の本社と輸送指令室、そして検車区と弘南線の根幹をなす重要施設が揃っている基幹駅です。地上5階建ての大きなビルを弘南鉄道の本社と津軽みらい農協、そして平賀駅が共用する形となっています。津軽みらい農協は、弘前・平川・黒石・田舎館・藤崎・板柳と津軽平野南部一円をカバーする巨大な農協。金融部や農政部などの所管部署の中に「りんご部」なんてのがあるのがいかにも津軽の農協らしくて面白い。そんな農協のロゴが目立つけど、しっかりビルの左上に弘南マーク、ついてますよ。

  

平賀の駅は本社農協ビルの1階。駅の事務室の中には指令室があって、運転上の要衝らしい雰囲気。立派な2面2線の相対式ホームを持っているんですが、ダイヤ上の交換列車の設定はありません。以前平賀駅のポイントで列車が脱線事故を起こしてから2番ホーム側が使われなくなったそうなのだが、一応基幹駅なんだからそこらへんは直そう(直してるのかもしれんが)。そして、「節電してます」ということなのだが妙に薄暗いなあ。看板広告だけは蛍光灯付いてるのが救いだけど。そして、弘前東高校の広告の隣に自衛隊があるのが北国っぽい。北海道とか青森は、就職口としての自衛隊の役割と言うものも無視出来ないよね。


駅の南西側は平賀の検車区。今日は運用に入っていない2編成はいずれも中間車改造の編成でした。オレンジの帯色にしているのは、同じ東急7000系を導入している縁で、北陸鉄道のカラーリングを纏った7101編成。見えませんが、弘前側のエンドはピンクの福島交通色にしているそうだ。福島交通には、7000を東横線から追いやったはずの日比谷線直通車1000系が投入され始めていて、7000には廃車になる編成も出ています。今度は福島の地で、歴史が繰り返されているのだねえ。


平賀から再び黒石行き35列車。弘前の学生の下校時間とあって、平賀の駅ではまとまった降車客アリ。運転士さん宛てに書状が渡されたりするのも基幹駅ならでは。黒石の駅に書類でも届けるのだろうか。ちなみに駅員バイト時代、結構主管駅まで書類を持って遣いっぱさせられてたな。明けの上がりで「これ持ってってよ!」なんて頼まれるの。


列車の後方に凭れ掛かって誰もいない運転席に目をやれば、東洋電機製造の「TD」のロゴが打ちぬかれた主幹制御器と、脂に濡れたブレーキハンドルが見える。東急はこの車両の次(8000系)から日本初のワンハンドルマスコンを投入するんですけど、7000系は最後のツーハンドル車という事になりましょうか。巻き上げた粉雪で凍て付いたフロントガラスに過ぎて行く昭和と平成を映して、今日も電車は津軽の寒野を未来へ向けて走ります。
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津軽厳凍詩

2019年02月13日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(チャーシューでっか!@津軽ニボシ系ラーメン)

風呂から上がった後はお食事。やっぱあったかいものが食いたいね。という事で弘前市内に出てラーメン。こっちの方は「津軽ニボシ系」というジャンルがあって、とにかく煮干しを効かせてスープを取るスタイルが人気。最近東京でもつけ麺系だとカツオ粉みたいな魚粉がかかって出てくるものが多いですけど、どんなもんかいな。という事でスマホで調べてそこそこ評判良さそうな店に行ってみました。トンコツ系の濃厚スープと煮干しの取り合わせ、思ったほどは煮干し臭くなくて食べやすい。パツパツの歯切れの良い麺に大ぶりのチャーシュー、ラーメン食べながらご飯も頼みたくなるようなそんな味です。ごちそうさまでした。

 

朝から寒い中を撮り歩いて、温泉も入ったしメシも食ったし…となれば、ちょっと気持ちが緩み気味(笑)。線路際から離れて、ちょっくら弘南線に揺られてみたくなりました。津軽尾上の駅は、蝦夷征討に功績を残した坂上田村麻呂が建立した津軽の鎮守・猿賀神社の最寄り駅。社寺を模したちょっと立派な造りになっているのは、以前は尾上町の中心として町の顔だった由来もありますでしょうか。


両サイドを高校に挟まれた津軽尾上の駅。駅前は旧尾上町の中心として、図書館や商店、銀行などが立ち並びちょっとした商店街を形成しています。が、駅前にある銀行は店舗の統廃合のためなくなってしまう旨の張り紙が出されていた。どこも地方経済の縮小・衰退傾向は続く。待合室の改札を知らせるランプに快速電車運転の名残りが。上りの停車駅は黒石・津軽尾上・平賀・弘前東高前・弘前。下りが弘前~平賀までの各駅と、津軽尾上・黒石に停車していたそうだ。もう10年以上前に休止になったままらしいが。


黒石行き、弘前行き、どっちに乗ろうか。とりあえず朝の弘前の駅でフリーパスは買っているのでどっちでも良いのだが、黒石行きは中間車改造のペタンコ編成。構内にうず高く積もった雪の中を、スマホ片手に乗客が降りて来た。弘南線は多かれ少なかれ乗客がいて、駅も何だかんだと乗る人降りる人がいる。しっかりと津軽の足として活躍している姿が嬉しい。


地吹雪に凍て付いた弘前行きの36列車がやって来た。待合室で電車を待っていた女子高生たちと一緒に、構内踏切を渡ってホームに上がる。家路を急ぐ女子高生たちが、ワンマン電車の入口で扉が開くのを待っている。レトロな二段窓とコルゲートが凍り付いた質感を際立たせるために、ここはあえてのモノクロで焼いてみました。津軽厳凍…そんな言葉を実感するような、弘南線のプチトリップです。
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オールステンのパイオニア

2019年02月12日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(降りしきる雪を蹴って@館田~新里間)

降りしきる雪を蹴散らすように、平川の鉄橋へアプローチする築堤をフルノッチで加速して行く7022編成。昭和63年~平成元年にかけて譲渡された、言わずと知れた元東京急行7000系です。弘南鉄道は黎明期より自社発注での車両を持たず、他社私鉄線や旧型国電などの雑多な車種を集めて走らせて来ましたが、弘南線・大鰐線ともこの車両の導入により、旧来からの車両の一掃と車種の統一が図られました。トータルで12編成も投入されているのだから、当時としては結構まとまった譲渡だったと思うんだけど、弘南への輿入れはちょうど東急7000系の任務の一つであった日比谷線乗り入れに後継車両(東急1000系)が投入され始めた時期。一大勢力であった7000系の働き場所の狭まる中、地方私鉄ではうってつけの「18m・3ドア」という手頃なサイズ感もあって、ここ弘南を皮切りに新たな職場を求めて全国の地方鉄道へ転出して行ったのはご存じの通り。


東急7000系は、アメリカの金属加工メーカーであったバッド社におけるステンレス車両生産のライセンシーを受け、東急車輛製造が製作した日本初のオールステンレスカー。細かい外板のコルゲートのみならず、台車にも大ぶりなディスクブレーキがついていて、見かけ上の一番の特徴にもなっています。弘南への導入に当たって、車輪の外側に装着された銀色の円盤をクリップのようなブレーキシューで挟み込む形が、津軽のような雪国では雪を噛み込んだりしないのだろうか…?という心配があったそうなのですが、特に問題もなく30年目の冬を迎えています。


この台車は「パイオニアサード」とか「P-Ⅲ」と言われ、東急の7000系だけでなく南海の6000系列や井の頭線の3000系など、多くの東急車輛の製造車両に使用されました。昭和30年代後半~40年代に製造された東急車輛のクルマはこの「オールステンレス&P-Ⅲ」という組み合わせが多く、その防錆性と強靭性、そして重要部分であるブレーキが外側に付いている事で保守管理が容易という利点もあり、今でも地方私鉄にその姿を見る事が出来ます。特に東急7000と井の頭線の3000は一大勢力と言ってもよく、東急7000が弘南・福島・北陸・水間、京王3000が北陸・上毛・松電・岳南・伊予で現在も活躍しています(まあP-Ⅲに関してはお世辞にも乗り心地の良い台車ではなく、既に換装している事業者もあるようですが)。


東急の7000系は、当時の日本の技術水準では成しえない、「オールステンレスの躯体&パイオニア台車」という最新鋭のアメリカの技術を用いて作り上げた鉄道車両です。まさに名前の通り、時代のパイオニア的な車両をほぼ動態保存のような形で走らせている弘南鉄道ですから、この鉄道を撮るならば「とにかく台車のパイオニアⅢをカッコ良く撮りたいなあ…」という思いはありました。どうやって表現しようか?と試行錯誤しつつ何カットか撮ってみるんだけど、台車が主役だからと下から広角でアオったりしてもイマイチグッとくるものがなくて、最終的には長玉で思い切って足元をギュッと圧縮して狙った結果がこちら。

「P-Ⅲ」の特徴であるディスクブレーキを浮かび上がらせるように、粉雪に凍て付く足回り。
雪のレフ板効果もあって、光の届きにくい足元の複雑な造形に陰影が付き、お気に入りの一枚となりました。
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時を超えてもいい湯っこ

2019年02月11日 17時00分00秒 | 温泉

(津軽の名湯・日本の名湯@新屋温泉)

尾上高校前の地吹雪の中で約2時間。すっかり冷え切った体を温めるために、平賀の町はずれにある新屋(あらや)温泉にやって来ました。「みどりの天然温泉」のキャッチフレーズでツウ(マニア)な温泉愛好家の方々の高い評価を一身に集める津軽の名湯であります。一般的な旅行好きの人に「津軽の名湯」って聞いたら酸ヶ湯とか青荷とかそーいう話になるのかもしんないけど、ほら、ここはそーいう一般的な話をするブログではないのはココをお読みの紳士淑女にはお分かりいただけるはず…


この新屋温泉が「名湯」と評されるのは、やはりその泉質の良さに他ならない。浴場については撮影禁止になっていたため貰って来たパンフレットで失礼させていただきますが、まずこの湯の美しさ。クリアなミントリキュールを思わせるエメラルドに輝くお湯。そしてお湯から放たれる芳醇な硫黄臭と、少しガソリンを思わせる揮発性の刺激臭の合わさった複雑な香り。入ればツルツルと滑らかな肌触りで、湯上り後はポカポカと温まる。あまり温泉の良さを伝える語彙力に乏しいのであるが、ここの良さは入ってみなけりゃわがんねなあという事で(笑)。


ちなみにココに来たのは15年ぶり。当時のデジカメ画像を引っ張り出してみる。基本的な浴室の作りは今も特に変わっていない。浴槽の真ん中から突き出る温泉のボーリング用のケーシング管から、噴水のようにサワサワとお湯が注がれている光景もあの頃のままであった。平日の真昼間ではありましたが、浴室には私の他に常に2~3人の客がいて、代わる代わる湯あみを愉しんでいる。パンフレットにはエメラルドグリーンに輝くお湯が紹介されていますが、今回は少し白濁してクリームメロンソーダのような色。体を洗って少し深めの浴槽に身を沈めると、地吹雪で冷え切った足先からジワジワと溶けていくようで、思わず「あ゛ぁ~」と声にならない声が漏れた。


湯上がりに休憩所で飲む炭酸飲料の美味さよ。番台で番をしていたおかみさんと目が合って少し話をしたのだが、「お湯が『いつエメラルドグリーンになるんですか?』ってよく電話がかかって来るんですけど、こればっかりは分からないんですよね~」と言って笑っていた。神奈川県から夜行バスに乗って15年ぶりに訪れた事を伝えたら「それはそれは遠いところから…」とエラく驚いていたのだが、おそらく私のようなマニアは決して少なくないハズだ(笑)。


青森はとにかくこの新屋温泉のような温泉を使った銭湯がそこかしこにあるのだが、そのどれもが信じられないほど朝早くから開いていてそして安い。だいたい朝5時半からやってて料金350円と言うのがスタンダードか。そんな朝早くから開けて客なんか来るの?と思うんだけど、それがガッツリ客がいてオヤジどもがザッバザバお湯を使っているのだよね。「エクストリーム出社」なんて言葉が世に出る前に、青森の人々は「エクストリーム銭湯」をガッツリ決めて颯爽と仕事に向かっていたのであろう。ちなみにココ新屋温泉はさすがに冬の時期は9:00開店で朝湯はやってないそうだが、4/1からは朝5:30のオープンだそうだ。しかも朝湯だと湯銭は200円。そら毎日来る人が来るのも頷ける。

15年前の外観と今の外観を、ほぼ同じ位置から撮影してみる。
変わってないなあ~!!なんて思っていたのだが、よくよく見ると細かいところは変わっているね。
変わらないのはお湯の良さだけ、か。
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風雪に 耐えて津軽を 三十年

2019年02月10日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(津軽の冬を撮る@尾上高校前駅前)

今回、弘前のレンタカー屋が貸してくれたのは四駆のスズキ・スイフト。スタッドレスはグッドイヤーかなんかの履いてたけど、コンパクトで乗りやすかったなあ。割り勘出来ない一人旅でのレンタカー、おサイフ的にはまとまった出費になってしまいましたけど、やっぱ圧倒的に行動半径&行動時間が増えるし借りといて良かったわ。こういう天候で撮るのが予想されたんで、地吹雪吹いたらシェルター替わりに逃げ込めるしね。自分のクルマにもスタッドレス履かせてるけど、こと撮り鉄やるならクルマは大きくなくていい。取り回しが楽だし、サブに1台欲しくなっちゃったよ(笑)。


黒石行きの21列車。下車客2名。おそらくこの駅の利用者はほぼ尾上高校の生徒だろう。女生徒のマフラーにうずめた長い髪の毛が、地吹雪になびくホーム。この時間に通学?と思わなくもないのだけど、尾上高校は平成11年に設立された比較的新しい高校で、普通科以外にも定時制や通信制など多様な学び方が選択出来る高校になっています。高校生活などとうの昔の記憶の彼方である我々には、朝に登校して夕方に下校するというステレオタイプの学生生活だけでなく、今の時代の新しい学び方も知っておかなければならないのでしょう。

  

弘前行きの23列車からは下車客3名。猛吹雪の中、「さすがにそれは寒いんじゃないの?」と思うほどの薄着で表情一つ変えずに駅からガッコへ向かって歩いていく津軽っ子たち。雪が降るからと言って休校になったりする東京の高校生とは、基本的な皮膚構造が違うのではないだろうか…。地吹雪と、巻き上がる雪つぶてに粉だらけの大福のようになった東急7000。今ではすっかり津軽の人となった彼も、元はと言えば渋谷と横浜を結んでいたバリバリの都会っ子であった。


地吹雪のないタイミングで何とか1本でも尾上の高架橋アングルで撮影したかったので、粘って粘って3本目の黒石行き23列車で。昨年の秋に、本家の東急電鉄ではこの7000系列の派生形式であった池多摩線系統の7700系が引退してしまいましたが、ドヤドヤとマニアが押しかけた引退劇を見ながら「まだ地方で(東急7000系)元気に走ってるやん!」って思いましたよね。しかもイケタマの7700とか更新工事が入ってるのは分かるけどフツーに養老鉄道に行ってさらに走るんでしょ?東急7000系という車両は誉れ高き日本初のオールステンレス車両ですけど、どんだけ長命なんだって話ですよ(笑)。

尾上の高架橋を渡って来た原型顔の7013編成。
弘南の東急7000も、もう津軽に来て30年。デビューから数えると、津軽暮らしの方が長くなった。
凍て付く顔もサマになり、すっかり津軽に溶け込んだ、津軽っ子たちの足です。
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