青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

越中の空を飛ぶ。

2021年10月21日 17時00分00秒 | あいの風とやま鉄道

(白き巨塔、高くそびえて@新湊大橋)

せっかく越ノ潟まで来たのに、名物の県営渡船は強風で運行休止。一瞬また高岡まで戻ろうかなあ?とも思ったのだけど、さすがにそれも面倒くさいので、歩きで対岸の堀岡側まで抜けてしまう事にしました。富山新港の開口部に燦然と聳え立つ新湊大橋。越ノ潟と堀岡の間は、橋脚に付けられたエレベーターを使ってプロムナードを通り、対岸に渡る事が出来ます。

新湊大橋の車道部分の下に付けられたあいの風プロムナード。歩行者と自転車(降りて手押し)が通行可能。流石に車道の下ですし、ガラスには幾重にも防護のための鉄線や柵が施されているので、大した眺望は開けません。それでも隙間から越ノ潟駅を出て行く万葉線の電車がちらっと見えたりはします。番線だらけでとてもお見せする画像にならなかったのは残念ではありますが・・・

エレベーターを降りて、対岸の堀岡へ。港に面した路地に、釣具屋が立ち並ぶ典型的な海辺の街。以前は新湊まで通じていた地鉄の射水線、新港建設により線路が分断された後は、ここにあった堀岡駅が終点になっていました。まあ、新港分断によって乗客が激減して全線が廃止になってしまいましたので、終点だったのは僅か15年弱の事です。

射水線の廃止後は、ほぼそのルートに沿って富山駅まで地鉄バスが走っているのですが、時間が合わなかったので射水市のコミュニティバスであい鉄の小杉駅まで出て来ました。200円で結構な距離を走ってくれたのだけど、コミュバスらしくグルグルと射水市内を回るので時間はかかりました。ホントは海王丸パークから岩瀬浜まで出るライトレールのフィーダーバスに乗りたかったんだよね。9月末で廃止になると聞いていたのですが、これまた時間が合わず・・・

小杉から富山まではあい鉄で。という訳で、富山の駅に戻って来たのは夕方5時。何だかんだ半日を万葉線に使ってしまった。あれ?地鉄の撮影に来たんじゃなかったっけ??って感じもあるんだけども、まあたまにはいいか。万葉線も魅力的でもう一回二回は掘り下げてみたいとこもあるしね。

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越ノ潟、波止場の風は強く。

2021年10月17日 17時00分00秒 | 万葉線

(北陸の大河を渡る@六渡寺~庄川口間)

庄川の鉄橋を、万葉線の車窓から。庄川は飛騨山脈の烏帽子岳に源を発し、上流部では御母衣ダムや庄川峡を通って小牧ダム、そして砺波平野から呉東地域を流れ、ここ新湊の街で富山湾に注ぎます。もうここまで来ると海と一体のような大きな河口部ですね。ちなみに、かなり昔に庄川沿いの156号を御母衣ダムの辺りから延々と走って富山に行った記憶があるなあ・・・確かGWの話だったような。GWでもまだ荘川桜が咲いてなくて、随分と寒いところなんだなあと思ったりして。

中新湊にて交換するMLRV1000形。本当なら、ここから万葉線が内川運河を渡る撮影地に行こうと思ったのだけど、思わぬ暑さでへばってしまい駅前の自動販売機で買った缶コーラを待合室で飲みながら一休み。9月の三連休は夏の暑さが残る天気の良い一日だったのだけど、ふとカレンダーを見たら、もう今年はこの三連休が最後だった事に気が付いてちょっとガッカリ。

コーラを飲んでいたら、コカ・コーララッピングの単車がやって来た(笑)。この日は旧型の単車3車、新型トラム4車の7運用で回っていたようです。割と電車の全面広告でコカ・コーラってのは珍しくないんですが、とにかく真っ赤な車体がド派手で目立ちます。この日の午後は万葉線周りでウロチョロしましたけど、この電車で終点越ノ潟まで参りましょうか。東新湊で最後の乗客が降り、終点の越ノ潟まではコカ・コーラ電車は暫し貸切となりました。専用軌道を軽快なツリカケ音を立ててけたたましく走って行く単車。

終点・越ノ潟。県営渡船の渡し場とぶっきらぼうな行き止まりのホームだけ。見ようによっては終着駅的な情緒よりもコンクリートじみた殺風景さが勝った場所とも言えるのですけど、それは線路をぶった切られて仕方なく行き止まりになってしまったという駅の歴史らしい風情なのではと思わせます。

と言う訳で、県営渡船に乗って対岸の堀岡に出ようと思ったのですが・・・何とこの日は風が強くて渡船は欠航。そりゃあ結構・・・ってんな訳あるか!

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伏木六渡寺、茫漠の街。

2021年10月15日 17時00分00秒 | 万葉線

(秋の草花揺れる駅@中伏木駅)

吉久の電停から出た電車は再び専用軌道に入りますが、この辺りまで来ると沿線の風景も茫漠として来ます。小矢部川と庄川に挟まれた砂州の上の低湿地帯に工場と住宅が並んでいて、万葉線はその縁をなぞりながら走って行きますが、中伏木駅は、秋の草花に揺れていました。

港湾地区の工場の燃料タンク、道と線路の間には柵もなく、消雪パイプからの地下水で赤錆びたコンクリートの道。向こうの踏切が電車の接近を告げると物憂げに遮断器が閉まって、コスモス咲き乱れる中を高岡行のトラムがやって来ます。

中伏木の街を歩くと、パルプの破片が積まれた置き場だったり、スクラップ工場のヤードだったり、何かの化学工場だったりと、それぞれの区域から何だか分からないような雑多な臭気が漂っている。まあ正直なところ良いニオイではないのだけど、それがこの街の体臭なのだろう。

六渡寺電停。「ろくとじ」なのか「ろくどうじ」なのか。駅の名前は「ろくどうじ」。JFE系列の資材のリサイクル会社の裏手にあり、なかなか見つけづらい位置にある。自分も中伏木から歩いて来たんだけど、工場街を大回りしないと行けない上にどうにも駅への目印がなく、普段の利用者の数は相応に少ないのではないかと思われる。

何もないような駅に見えますが、ここが高岡軌道線と新湊港線の分界点になっていて、構内には0キロポストが立っています。かつてはここが富山地方鉄道射水線の終点で、この駅で高岡軌道線と接続していた事に由来する訳ですが、そんな歴史も遠い記憶になりそうです。

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駅の無い 駅で電車を 待ちわびて。

2021年10月13日 17時00分00秒 | 万葉線

(でんしゃのりばはどこに@吉久電停)

「でんしゃのりば」と看板に示されてはいるものの、ハッキリとした駅の形もホームもない吉久の電停。路面電車が停留所を設ける場合、道の狭い場所ではホームが作れないケースがあるんですよね。なので、こんな感じで道路にラインを引いて、安全地帯を設けて電車の乗降場とするケースがあります。ここでは、青とオレンジのラインに囲まれた場所が吉久の電停。クルマ目線で見ると、道路の真ん中に何も標識の無い電車乗り場があるというのは、慣れた地元民でもなければギョッとしてしまうかもしれないねえ。実際、安全地帯で待っていた乗客にクルマが接触する事故とかもあるらしいし・・・

旧家立ち並ぶ吉久の家並みを抜けて、万葉線のトラムがやって来る。高岡駅周辺の繁華街と違って、いかにも潮風の吹く港町的な佇まいが優しい。郷愁の深い感じとでも言いましょうか。

安全地帯しかない電停で乗り降りする場合、一応、電車が来るまでは歩道側に設置された待合室で待っている事が推奨されているようです。この小さな風除け程度の待合室が吉久の電停。冬の雪の日なんかは、電車を待つのも大変そうですな・・・ちなみに、安全地帯において路面電車の乗客の乗降がある場合には、「車のドライバーは電車の後方で停止して乗降が終わるまで待機していなければならない」という道路交通法上の明確な規定があるそうです。関東の教習所では絶対に教えてくれなさそう。

自分も、安全地帯から路面電車に乗車するのは初体験。ちょっとドキドキ。おっさんの無駄なドキドキなど何事もなかったように停車した電車は、一路越ノ潟を目指します。

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潮風の街、地鉄の名残り。

2021年10月11日 17時00分00秒 | 万葉線

(午後の日射しの高岡市街@志貴野中学校前付近)

射水神社のお参りを終えて、広小路電停から再び万葉線の人になりました。新型トラムが配備される中、やって来たのは昔ながらのデ7000形。地鉄市内線と、三セク化される前の加越能鉄道時代からの主力車両。高岡市街を、甲高いツリカケ音を奏でながら新湊へ向けて走ります。昭和からの車両らしい使い込まれたマスコンハンドルとブレーキ弁周り。

車庫のある米島口からは専用軌道の高架橋でJR氷見線と伏木港へ向かう貨物線を跨ぎ、カーブを曲がって再び併用軌道となった新吉久で路面電車を降ります。万葉線で最も古い番号を背負う7071号車。高岡駅前の繁華街にある居酒屋の広告車になっていて目を引きます。いいなあ。自分もときときと魚と手作りおでんで優勝したかったぜ。

すっかり晴れ上がって雲一つない高岡市の郊外。この辺りは庄川と小矢部川に挟まれた低地で、小矢部川沿いに開かれた伏木港の港湾地区。古くからの漁村っぽい雰囲気と、伏木港を中心とした工業地帯の雰囲気が混じったような風景。パルプ工場の脇の貯木場から、ぷーんと木材チップの香りが漂って来た。昔はこの辺りの工場に出入りする専用線との平面交差なんかもあったらしいんだけど、鉄道貨物の衰退に伴って撤去されたそうな。

新吉久電停の前にある「TEKリサイクルセンター(高岡市衛生公社)」の敷地内では、かつて万葉線が地鉄の射水線と繋がっていた時代に導入されたデ5010形が静態保存されています。引退後は、冬季の除雪用電車として1両だけが米島口の車庫で余生を送っていたそうですが、笹津・射水線を通じて地鉄市内線に乗り入れ、富山平野を闊歩していたインターアーバン的な車両の最後の生き残りであるデ5022。ここまできれいに再塗装されて保存されてるんだから幸せ者だ。出来れば順光の時間にお邪魔したかったけど。

空高く澄み渡り、気持ちの良い秋の日射しと潮風そよぐ吉久の街。富山新港の開港による射水線の分断で、加越能側(高岡側)には17両のデ5010形が残されたそうですが、元々は地鉄の車両でしたのでね。順次地鉄に引き上げられて、最終的に残ったのは5両のみ。ステップこそあれど、高床スタイルの車両は軌道線中心の高岡側には合わなかったのか、昭和40年代半ばに加越能のデ5010は早々と引退となったんですが、このデ5022だけは除雪用の事業車両としてそこから50年近くの歳月を過ごせたというのは奇跡に近いのかもしれませんね。

北陸の路面電車には、福井のデキ11とか地鉄のデ3534とか、年季の入った事業用車のオールドタイマーがいたんですけども、福井も高岡も富山もその姿は既に消えているようです。保存されているのはこのデ5022くらいなもんでしょうか。そして、その姿は新湊と富山が鉄路で繋がっていた時代の生き証人でもあります。

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