青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

デハクハコンビ、乗って揺られて。

2023年06月17日 11時00分00秒 | 上信電鉄

(今やレトロな電光掲示板@高崎駅)

とある梅雨の一日、上州は高崎から下仁田を結ぶ上信電鉄に乗って来ました。今年の正月・・・長野電鉄からの帰りにちょっと寄ったので、訪問するのはおよそ半年ぶりか。ここに来て少しづつ自分の中で気になり始めて来た鉄道会社と言うか、マイブームになりつつあるのかなと。湘南新宿ラインを2時間半乗り尽くして辿り着いた高崎の駅、改札を抜けて右手に階段を降りて行くと、小さな上信電鉄乗り場への入口があります。壁に掲げられた次の列車の発車時刻を示す電光掲示板。何となく後楽園球場とか神宮球場チックな雰囲気を醸し出しています。

上信電鉄は、大きな国鉄駅の端っこを間借りするような形で高崎駅の一番西側の0番ホームから発車する。1面2線で乗降を分けるタイプの頭端式ホームは、何となくせせこましくて肩身の狭い感じの印象を受けます。高崎に官営鉄道がやって来たのが明治17年(1884年)ですが、上信電鉄の前身である上野鉄道は明治30年(1897年)に早くも現在と同様の高崎~下仁田間を開通させておりまして、今年で開業123年の歴史を数える超老舗鉄道路線なんですよね。鉄道の開通が相当に早かったのは、やはり中山道の宿場町として古くから栄えた富岡の街に、明治5年(1872年)に官営の富岡製糸場が開かれた事なんじゃないですかね。そこに絡んだ人流物流の需要が大きかったではないかと思われます。明治維新と殖産興業、日本史で習いましたよね。

ホームの先には本社と車両区が併設されていて、この日も数々の自社発注車と今や主力となった元JR107系の譲渡車である700形が寝転んでいた高崎の駅。そして、この日のファーストミーツは自社発注車のデハ252+クハ1301のコンビ!ド派手な上信リバイバルストライプを纏ったデハ251とのデハデハコンビは解消されてしまいましたが、最近は検査から出て来たクハ1301とのコンビに戻されて運用に入ってるんですよね。そんなデハクハコンビに乗って揺られて、梅雨の西上州の一日旅であります。

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安全は、輸送の使命と言うけれど。

2023年06月15日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(歪む軌道、満身創痍@下段駅)

望遠で圧縮すると、軌道の歪みと車輛の傷みと、どちらも目立ってしまう地鉄の現状。駅舎やホームなどの設備も、なかなか新しくはならなくて・・・それが独特の「地鉄ワールド」的な雰囲気の源泉ともなっているのではありますが。折しも昨年は東新庄の駅近くで軌道変異(レール径間の拡がり)による脱線事故があり、先日は保線作業に従事していた若い作業員が、安全対策の不備で不幸にも列車に撥ねられる死亡事故がありと、どうにも安全面でのガバナンスが働いてない事象が連続して発生しています。軌道線を含めると総延長100kmを超える営業キロ数に対して、特に保線に関わる安全管理が追い付いていない・・・という状況は危惧されるところ。

少子高齢化と過疎化に伴う運輸収入減にコロナが追い打ちを掛け、地鉄のみならずどこの地方私鉄もフトコロが厳しい。本当だったら手を入れなきゃならない場所を先送りにしたり、必要な人員が確保出来ないまま工事を行っていたり、どこも騙し騙しで満足な安全対策が出来ていないのが本当のところではないでしょうか。今さら抜本的に収入面が改善するとも思えないので、何とかそのレールを未来につなげるために、道路行政にかかる予算の少しでも鉄道に回してくれればねえと思いますが。

寺田で交換する10030形。使わなければ、ダブルデッカーライナーも宝の持ち腐れなのだけど、速くUNもTYも本数が元に戻るといいのですが。そして、全国の地方鉄道が、コロナ禍からいつもの日常を取り戻してくれることを願ってやみません。

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変わらぬ味を半世紀。

2023年06月13日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(お待たせいつもの富山駅前@富山駅前電停)

歩行者に車両の接近を告げる、ラバーズコンチェルトのメロディ。少し蒸し暑い、いつもの富山駅前電停。接近して来る大学前行きのデ7000はレトロ車両。向こうでは丸の内方面からやって来た軽快電車の8000系が信号を待っている。そして最新型の低床型トラムT100形が南富山方面へ出て行った。奇しくもその並び方に、富山の路面電車の進化の過程を見ているような思いがあります。

やって来たレトロ7022号に乗って、富山大橋を渡り大学前へ。土曜日ではありましたが、五福公園や富山大学へ向かう学生などで車内は混雑しておりました。電停を降りると、何やら五福公園の野球場から賑やかなアナウンスと球音の気配・・・どうやらBCリーグの富山サンダーバーズが試合をしている模様。野球の独立リーグって一回も見た事ないので、ちょっと興味もあったんだけど、そうそう大学前にはメシを食いに来たんだった。と初志貫徹。

という訳で、大学前まで路面電車に乗って来たのはここがお目当て、カレーのお店「カリカット」ですね。SNSのフォロワーさんに教わったお店で、富山大学の学生さん御用達らしくこの日も学生さんたちが席を埋めておりました。カウンター中心の飾り気のない店内、気さくな初老の店主さんが切り盛りしております。北陸方面だと昨今は金沢系の濃くて黒くて粘度の高いカレー(「ゴーゴーカレー」とかね)が流行りみたいですが、ここは割とオーソドックスなカレーをトッピングしながら楽しむ感じ。この店、ワンパクな大学生向けにカレーだけじゃなくピラフとかスパゲッティもあるのだけど、頼んだことはないな。

そしてカリカットに来るといつも頼んでしまう野菜タマゴカレー。通称「やさたま」。カレーの上に半熟の焼き卵とキャベツのサラダが乗っている。そして、絶対に忘れてはならないのがカウンターの上の謎のスパイス(ギャバンの「サラダスパイス」というものらしい)。これをサラダ部分とカレー部分にまんべんなくぶっかけて食べると美味さが二倍になるんだ。半熟の焼き卵とカレーの上にかかっているマヨネーズがだいぶカレーのまろやか感を演出しているので、このサラダスパイスでちょっとパンチを付けてあげる感じね。やさたまも他のメニューも昨今の物価の高騰により以前に比べてお値段はだいぶ上がってしまったが、美味しさは何も変わらないですね。

どうやらこの店開店して50周年らしく、常連っぽいお客さんからおめでとうなんて声が掛かってた。飲食店で半世紀も店を続けられること、確固たる商品力と集客力を持っていないと絶対に難しいはずなので、それだけ街に愛されている存在なのだなあと思いますね。

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東新庄、菱のファサード。

2023年06月11日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雰囲気のある駅務室@東新庄駅)

机の上のノートパソコンを除けば、何となく昭和の時代の学校の職員室を思わせる東新庄の駅務室。スチールの机とロッカー、雑然と壁に貼られた業務手順の数々。ロッカーに引っ掛けられたハンガーに吊るされているのは駅員の制服であろうか。土日の駅務は無人化されて人の姿は見えませんが、平日の朝夕は今でも駅員が改札を実施する駅でもあります。

窓口に残る荷物預かりの窓口。という事は、沿線への小荷物発送なども取り扱っていたのだろうか。北陸地方は雪に閉ざされる冬季の交通事情がとにかく悪く、鉄道による移動の確保と物流の維持の必要性が太平洋側よりも圧倒的に高い傾向があったのではないかと思っている。特に北陸本線からは福井鉄道の南越線や鯖浦線、京福電鉄の丸岡線、北陸鉄道の山代線や小松線、河南線、粟津線、尾小屋鉄道、加越能鉄道庄川線などなど数えきれないほどの数多の零細地方私鉄が、国鉄の駅から離れた地域へ細々と鉄路を伸ばしていた。そんな零細地方私鉄の役割は、もちろん乗客のみならず生活のための物資輸送も重要なタスクであったことに疑いはなく・・・Amazonや楽天市場でネット注文すれば一両日中にモノの届く時代に、気の遠くなるようなロジスティクスで荷物を運んでいた時代の名残りが、時を経て未だにその痕跡を残しています。

昭和初期に建てられたまま今に至る駅舎。漆喰に打ち込まれた「HIGASHISINJO(伸ばし棒)」のエッチング。富山電鐵が開通させた区間ですが、雰囲気は黒部鉄道由来の東三日市駅と共通するものが。電鉄富山から数で言えばたった三つ目、平成初期には一日に約1,500人程度の乗降客を数えたこの駅も、令和2年度の統計ではコロナ禍もあれど約750人とほぼ半減してしまいました。富山市の住宅街にあって、周辺住民はそれなりの数がいそうですが・・・

大きな菱形のファサードが特徴的な駅舎。電鉄富山へ向かう電車を駅前で待っている、金髪のヤンキー姉ちゃんのタバコの煙の匂い。東新庄の気怠い昼下がりは、立山行きの60形が迎えに来てくれました。

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地鉄の鬼っ子。

2023年06月09日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(アド・ドア@中加積~新宮川間)

それまでは2ドアクロスシートの車両しかほぼ入っていなかった富山地鉄に、突如都会からやって来た東急の8590系。こちらでは17480形という名前を貰って、現在4編成を擁する地鉄の第三勢力。東急時代からの塗装の変更もなく走り続けておりましたが、今年の2月に17481+17482の編成に関しては車両中間の2ドアが鉄板で埋められ、そこに「宇奈月温泉開湯100周年」の記念広告を貼り付けたラッピングトレインになっておりました。確かにワンマン運転では中ドア2つは締め切りで、運転席寄りの1両の車端部2つのドアしか開扉しない地鉄に4ドア車両入れてもこうなるのは分かっていたので、地鉄としたら使わぬスペースの有効活用!広告収入!という営業施策なのかもしれませんが、だったらそもそも他の車両にすればよかったんじゃないの?というのはあって・・・(笑)。ドアって結構大事な部分じゃないですか。そこを潰すってさすが稲荷町!って感じもあるんですが、一つ問題点があって、乗ると車内が暗いんですよね・・・開口部を潰すからそうなるんですけど。

17480形。2013年から地鉄に入って来ているのですが、10020とか14720辺りが経年劣化で置き換えとなる中で白羽の矢が立ったクルマ。出元の東急の方にもうタマがないのでこれ以上の増備というのはなさそうですが、正直地鉄の中では鬼っ子的存在というか・・・まあ、沿線でカメラを構えて来て欲しいのは60形>>10形>>>>30形>>>>>>80形くらいの気持ちではありますよね(笑)。まあ地方私鉄の業界においては全国どこに行っても東急の車輛というのは付いて回るものなので、これをどう被写体として仕上げて行くかは永遠のテーマではあるのですけど・・・弘南とか養老の7000系は好きなので、東急が全部イヤよ!って言ってる訳じゃないんですけど、どうも地鉄の17480とか、長電でも8500はあんま撮らんなあ。秩父の7500とかもあまり食指が動かない。18m車はOKで20m車は合わないとかそういうことなのか。

17480形と合わせる地鉄の風景。都会っぽい光モノとレトロ調の富山の景色のコラボレーション。地鉄で言うと、60形はともかく30形が結構外装も内装もボッコボコになってる車両もあったりして、そろそろ次が気になったりはするのですが、また東急なのかなあ。だいたい地方鉄道ってのは導入実績のある会社から順繰りに車両を入れて更新する傾向有りますからね。ただ、2ドアクロスで2連で動ける車両ってのも、相当に限定されそうですが・・・阪急の6300系とかか?

コメント (1)
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