今日の「田中利典師曰く」は、とても悲しい話である。〈友の死を悼む…〉(師のブログ 2017.11.7 付)、師の1つ年上のご友人(当時64歳)が、大動脈剥離(解離)で急死された。
なお「大動脈解離」とは、〈3層構造になっている大動脈壁の内膜の亀裂から中膜に血液が流入することにより、中膜が2層に解離し、本来の血管内腔とは別に新しい血流路(偽腔)ができた状態。壁が薄くなるため、こぶ状に隆起し、破裂を起こしやすくなる。動脈硬化・高血圧により起こる場合が多い。解離性大動脈瘤〉(デジタル大辞泉)。
師はわざわざ湘南(神奈川県)のご自宅まで、弔問に行かれたのである。では、以下にブログ記事の全文を紹介する。
友の死を悼む…
「どうも体調が悪いから今日の長崎出張はやめて、一日養生するわ…」といって自室のベットに戻ったきり、大動脈剥離で急逝した友人。その彼の弔いために、湘南の閑静な住宅街にある彼亡き自宅を、今日訪ねてきました。
「私はまだ主人の死を受け入れられなくて…」と満中陰を過ぎてもなお、涙ぐむ奥様の姿が痛々しく、いかに愛されていたご夫婦か、心に伝わって来ます。「ともかく経文を上げさせてください」と霊前に向いました。「なーんだくわさん、元気じゃないか」と思わず声をかけたくなる遺影。その写真を前にして、ひとしきり、お経を読みました。
「くわさん、死んだんだよ」と声明の旋律に乗せて、彼に言い聞かせるように心を込めました。「でもありがとうね。ホントにお世話になったね。感謝してます。ホントに感謝です」と、葬儀に来れなかった詫びを言いつつ、生前お世話になった感謝の気持ちをお経に込めたのでした。享年64歳。私より一つ年上の、兄のような人でした。
経を読み終えると、憔悴する夫人を気遣って毎日来ているという娘さんから、「父はみなさんの中ではどんな人間だったのですか。是非教えて下さい」と聞かれたのでした。
「くわさんはまるごと、利他の人でした。私とのお付き合いはわずか3年たらずですが、会ってからのくわさんは、常に自分に関わる人のために、その人の良いところを引き上げて、なんとかその人に役に立ちたいと労を惜しまぬ人でしたよ。私もずいぶん助けられた。つい亡くなる数日前も、いろいろと褒めてもらって、励ましてもらっていました」
そう…くわさんはホントに「利他の人」でした。そのいかつい風貌からは思いも付かない細やかな気遣いが出来る、とてもとても心優しい、素敵な人でした。惜しんでも惜しみきれませんが、そんな友人のいきざまに、彼の人生の最後の部分ではあったけれど、多少なりとも関われたことは私も幸せでした。
奥さんから聞いた話では、急逝するその前夜に、自分の財産のことやお墓のことなど、奥様の老後の心配も含めて、するべき事はすでに終え、言うべきことは全部いい伝えておられたとのこと。いま思えば、とても清らかな終焉だったそうです。私には到底まねなど出来ないなあと、改めて彼の凄さを知ったのでした。
「あんまり泣きすぎては、くわさんが悲しみますよ。もう、僕のやるべきこそは全部やり終えて逝ったのだからと、きっと彼は笑いながら、悲しみにくれる奥様のことを気遣ってくれていますよ」と、くわさんの代わりに奥様を諭して、私はなごり惜しいご自宅を後にしたのです。
彼の住んだ湘南の町は、立冬だというのに暖かな秋晴れの空が広がり、爽快な風が吹き抜けていました。まるで、彼の人柄そのものような清風の中で、私は彼との、今生の別れを告げたのでした。もう一度言います。「くわさん、ありがとね」。
*写真は彼のフェイスブックから借りました。写真をみると、涙がこぼれます。いい人でした。
なお「大動脈解離」とは、〈3層構造になっている大動脈壁の内膜の亀裂から中膜に血液が流入することにより、中膜が2層に解離し、本来の血管内腔とは別に新しい血流路(偽腔)ができた状態。壁が薄くなるため、こぶ状に隆起し、破裂を起こしやすくなる。動脈硬化・高血圧により起こる場合が多い。解離性大動脈瘤〉(デジタル大辞泉)。
師はわざわざ湘南(神奈川県)のご自宅まで、弔問に行かれたのである。では、以下にブログ記事の全文を紹介する。
友の死を悼む…
「どうも体調が悪いから今日の長崎出張はやめて、一日養生するわ…」といって自室のベットに戻ったきり、大動脈剥離で急逝した友人。その彼の弔いために、湘南の閑静な住宅街にある彼亡き自宅を、今日訪ねてきました。
「私はまだ主人の死を受け入れられなくて…」と満中陰を過ぎてもなお、涙ぐむ奥様の姿が痛々しく、いかに愛されていたご夫婦か、心に伝わって来ます。「ともかく経文を上げさせてください」と霊前に向いました。「なーんだくわさん、元気じゃないか」と思わず声をかけたくなる遺影。その写真を前にして、ひとしきり、お経を読みました。
「くわさん、死んだんだよ」と声明の旋律に乗せて、彼に言い聞かせるように心を込めました。「でもありがとうね。ホントにお世話になったね。感謝してます。ホントに感謝です」と、葬儀に来れなかった詫びを言いつつ、生前お世話になった感謝の気持ちをお経に込めたのでした。享年64歳。私より一つ年上の、兄のような人でした。
経を読み終えると、憔悴する夫人を気遣って毎日来ているという娘さんから、「父はみなさんの中ではどんな人間だったのですか。是非教えて下さい」と聞かれたのでした。
「くわさんはまるごと、利他の人でした。私とのお付き合いはわずか3年たらずですが、会ってからのくわさんは、常に自分に関わる人のために、その人の良いところを引き上げて、なんとかその人に役に立ちたいと労を惜しまぬ人でしたよ。私もずいぶん助けられた。つい亡くなる数日前も、いろいろと褒めてもらって、励ましてもらっていました」
そう…くわさんはホントに「利他の人」でした。そのいかつい風貌からは思いも付かない細やかな気遣いが出来る、とてもとても心優しい、素敵な人でした。惜しんでも惜しみきれませんが、そんな友人のいきざまに、彼の人生の最後の部分ではあったけれど、多少なりとも関われたことは私も幸せでした。
奥さんから聞いた話では、急逝するその前夜に、自分の財産のことやお墓のことなど、奥様の老後の心配も含めて、するべき事はすでに終え、言うべきことは全部いい伝えておられたとのこと。いま思えば、とても清らかな終焉だったそうです。私には到底まねなど出来ないなあと、改めて彼の凄さを知ったのでした。
「あんまり泣きすぎては、くわさんが悲しみますよ。もう、僕のやるべきこそは全部やり終えて逝ったのだからと、きっと彼は笑いながら、悲しみにくれる奥様のことを気遣ってくれていますよ」と、くわさんの代わりに奥様を諭して、私はなごり惜しいご自宅を後にしたのです。
彼の住んだ湘南の町は、立冬だというのに暖かな秋晴れの空が広がり、爽快な風が吹き抜けていました。まるで、彼の人柄そのものような清風の中で、私は彼との、今生の別れを告げたのでした。もう一度言います。「くわさん、ありがとね」。
*写真は彼のフェイスブックから借りました。写真をみると、涙がこぼれます。いい人でした。