tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

真田丸(45)完封

2016年11月20日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
前回(11/13)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第45回 完封」、つまり幸村の完封勝利の話だった。NHKのあらすじによると、

幸村が築いた真田丸砦(とりで)に、家康は大きな脅威を感じる。徳川軍の中には、信之の2人の息子たちや、景勝らの姿もあった。幸村は、大助らとともに徳川軍を挑発。苛立った一部の徳川兵は一気に真田丸を落とそうと攻めかかる。しかし、そのことを知った家康は激しく憤る。真田丸では、又兵衛や勝永、盛親らの牢人(ろうにん)衆が待ち構えていた。

この回は素晴らしかった。この回のために今までの44回が伏線だったと思うほど、幸村の策と戦いぶりがサエていた。まさに「日の本一の強者(つわもの)」だ。真田丸砦での戦いぶりを振り返っておく。

早朝、初陣の真田大助は六文銭の旗を振り、「高砂や」を謡い始める。これは第一次上田合戦(第13回)で昌幸が行ったのとと同じ挑発だ。その挑発に乗った前田勢は、大助らのあとを追って真田丸にまで引きつけられる。ここからは幸村が采配を振るう。まず佐助が火薬を爆発させ、敵方に大坂方が内部分裂したと思わせる。



前田勢は空堀に気づくが、背後からは井伊勢が迫るので後退できない。「敵はひとつの塊ではない。所詮、人の集まりじゃ」とは昌幸の言葉。空堀を上ってきた前田勢は、鉄砲を浴びて転げ落ちる。

しかし長宗我部盛親が石落としを開こうとするが、閂が外れず手間取っているうちに真田丸の中に敵が侵入。幸村や又兵衛も刀や槍を振るって敵をなぎ倒し、内記は弓矢で敵を射る。そのうち勝永が、手間取っていた閂を撃ち抜く。そのうち前田勢は退却。

幸村は「一兵たりとも討ち漏らすな」とばかり騎馬で敵に追い打ちをかける。それを見た上杉景勝は「日の本一の兵(つわもの)真田左右衛門佐」と叫ぶ。家康はまたしても真田にしてやられた、と激怒。ひとまず前田と井伊を撤退させ、次の手を考える…。

合戦シーンは、ド迫力だった。オリコンのサイトには《このシーンを撮影するために、当時の真田丸のおよそ5分の1を再現したオープンセットを制作。VFXのクオリティーも高く、迫力ある合戦シーンとなっていた》とあったが、相当な手間をかけていたのだ。

しかしこれからは大坂夏の陣。ここで幸村は最期を遂げるのだ。さて今回の締めは、藤丸タダアキさんのブログ記事「真田丸45話完封の感想 敵をアッと言わせた真田丸の圧勝の裏側」を紹介する。



真田丸45話完封の感想を書きます。完封とは野球でいえば、一人の投手が相手に1点も与えずに試合を終わらせることを言います。敵を完全に封じ真田丸45話。題は完封。

籠城に決まった豊臣方ですが、城外の砦が次々と落とします。城外に砦を作ることは幸村たち牢人衆は反対したといわれています。しかし、籠城で城内だけしか動けなくなることを危惧した人物がいます。大野治長です。豊臣方はお城の城外にいくつも砦を設けます。

木津川砦が兵の増員前に徳川方に取られます。毛利勝永がどうも話がそとに漏れていると幸村に言います。幸村と有楽斎がお城の台所で密談をします。幸村は有楽に偽情報を提供します。それが博労砦でした。そして有楽はそれを徳川方に漏らしたようです。そして博労砦を徳川方が攻撃して落とします。これで有楽斎の裏切りを幸村は確信しました。



信之の元に、福島正則と平野長泰が訪ねてきます。なんと兵糧を大坂方に運びたいと…。家康は本陣に上杉景勝と直江兼続を呼びます。
そして真田丸を二人に攻撃するように言います。

豊臣秀頼は出陣したがります。それを幸村が止めます。そして茶々が鎧を来て陣中巡りに行きます。これは史実でもあります。そして、真田丸の開戦です。豊臣方の内通者が火薬を爆発させたことを合図に攻撃する計画が徳川方にありました。

それに対して、幸村は機先を制します。真田丸の前方に篠山という山があります。幸村の息子の大助が真田丸前方の篠山に手勢を連れて向かいます。そして、かつて第一次上田合戦で幸村が歌った「高砂」を歌います。それに挑発されて、前田勢は真田丸へ突撃を敢行します。ちょうどその際に、佐助が火薬を爆発させます。それに載せられるように前田勢が真田丸に殺到します。



真田丸は前方に大きな空堀があります。前田勢が堀に殺到します。そして、幸村が考案した4重の火砲が火を噴きます。城壁を二段にして、一段毎に2回に分けて鉄砲を撃ちます。そして前田勢が混乱した隙に、幸村は手勢を率いて打って出ます。結果は圧勝でした。真田丸45話は完封です。まさに真田丸を使っての完封でした。

45話感想も書きたいのですが、少し史実としていわれていることを書いておきます。豊臣方の裏切者は南条元続という人物でした。彼が徳川の攻城に合わせて裏切るという計画になっていました。幸村は真田丸の外の篠山を真田丸に取り込まずにわざとそのままにします。
そして、その篠山に適時狙撃兵を入れて、前方の前田勢を果敢に攻撃します。その損害に苛立った前田の家老本多政重です。本多政重は本多正信の次男です。

前田家は保身のために本多の次男を前田藩の首領にしていました。その本多政重隊が篠山を攻撃したところ、篠山は蛻の殻でした。そして、それを真田丸の兵隊たちがどっと笑います。「本多さんは朝から篠山に雉打ちですか。暇なら真田丸に攻め寄せてみなされ」それに激怒した政重は前田勢に総攻撃を命じました。そして、真田丸に前田勢が殺到しました。後の快勝は大河ドラマ通りです。



真田丸は中央に門がなく、両端に門があります。本来であれば、そこを攻めるはずです。しかし、挑発に乗った敵兵はやはり真ん中に殺到するんですね。そこには登り口はなく、大きな空堀になっています。空堀に引き付けるだけ引き付けて、火砲で敵を倒します。

これは奈良大学の千田教授曰く、真田家のお家芸であると。鉄砲を撃ちすくめて相手が混乱したスキに今度は手勢を率いて打って出ます。そして適度に戦えばまた、城内に戻ります。すると、また敵は攻めてきます。

真田丸45話は真田家のお家芸に加賀の前田家が引っかかりました。45話の感想。鉄砲で散々打ちすくめられた敵は指揮系統が混乱します。そこに打って出れば相手を倒すことは容易ですね。

真田丸の圧勝で実は初めて真田幸村の実績ができます。大坂冬の陣のクライマックスはこの真田丸の戦いです。クライマックスが終わり、家康の謀略が押し寄せてきます。

真田丸46話は砲弾です。また次回も感想を書きます。家康の周到な圧力が砲弾となり大坂城に殺到します。真田丸46話砲弾。楽しみです。真田丸45話完封の感想を書きました。
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真田丸(44)築城

2016年11月12日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
今日(11/12)のNHK総合テレビ「ブラタモリ」(午後7時30分~)は「大坂城・真田丸スペシャル~大坂城はなぜ難攻不落?~」だ。今日の深夜(正確には日曜日早朝)にはNHK総合テレビで「真田丸スペシャルin信州」(午前2時30分~)の再放送がある。出演は草刈正雄に片岡愛之助。ドラマでは亡くなったので、久々の再登場だ。ぜひ今からタイマー録画をセットしていただきたい。

さて、前回(11/6)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第44回 築城」だった。NHKの公式サイトから、あらすじを拾うと、



幸村は、大坂城の最大の弱点となる南側に出城を造ることを思いつく。しかし、同じことを考えている男がもう1人いた。さて、織田有楽斎と大蔵卿局(おおくらきょうつぼね)は、牢人(ろうにん)衆を決して信じようとしない。豊臣家の態度に業を煮やした又兵衛と勝永は、大坂城を出ると言いだす。しかし、そのとき秀頼は…。一方、信之の命を受けて松が大坂に向かっていた。

今回は、オープニングの音楽の前に、いきなりドラマが始まったので驚いた。大坂の陣に向けて、NHKもムードを盛り上げているのだろう。牢人たちが策を出すが、ことごとく退けられてしまう。しかし最後に秀頼が決断し、茶々を説き伏せる。秀頼も成長したのだ。

今回も織田有楽斎(井上順)がいろいろとちょっかいを出す。しかも「左衛門佐の父親は、裏切りに裏切って生き残ったとな」という嫌みも言う。憎たらしい男だが、井上順がいい味を出している。

大阪城の情報は、すぐに家康のもとに届けられる。かなり上の方にスパイがいるのだろう、もしかして有楽斎かも。その情報で出城を築いて待ち受けるのが真田だと知る。「また真田か」と家康は怒る。2回も徳川を負かした真田が出城を築くというのだから、これは手強い。



徳川を待ち受ける大阪城の南には、赤備えの真田勢。作兵衛に鎧を買って赤く塗るように命じていたのだ。赤い軍勢は、カッコイイ。「この城の名前は、真田丸」と幸村が言ったとたん、いつものオープニング。これは素晴らしい演出だ。

印象に残るシーンがあった。幸村が出城を築く策を大野治長に話すと、同じ考えの者がいるのでその者と協力して進めてほしいと言われる。それは後藤又兵衛。厨(台所)で酒を飲む又兵衛に、幸村は声をかける。顔見知りの台所頭・大角与左衛門を見て幸村は懐かしそうだ。与左衛門は言う。「あんた、戻ってくると思っていたよ」。そして幸村に、明石で獲れた酒肴を差しだす…。

次回(11/13)は「完封」。いよいよ真田丸での攻防が始まる。頑張れ、幸村。負けるな、豊臣! 締めは藤丸タダアキさんのブログから、彼の感想を紹介しておく。



いよいよ真田丸の築城です。真田丸44話築城の感想を書きます。真田幸村は大坂城南に出城を作る案を練ります。しかし、その籠城案は織田有楽斎に握りつぶされます。織田有楽斎は冬の陣が終わるまで大坂城内で豊臣方を妨害し続けます。そして、あっさりと冬の陣が終わると退陣します。裏切者の織田有楽斎については以下で紹介しています。

そして幸村案の出城だけが茶々の裁可で許され真田丸築城が始まります。大河ドラマ真田丸はようやく44話にしてテーマの‘真田丸’に辿り着きます。

しかし、また、織田有楽斎がいちゃもんを付け、大野治長の母、大蔵卿局が賛成します。そして真田丸の建設中に中止を命令しましたが、秀頼がそれを覆しました。秀頼は牢人衆を当初は怖がっていたといわれています。しかし、木村重成を通じて後藤又兵衛と親しくなります。そして秀頼は変わったといわれています。

あまり話題に上りませんが、実は大野治長の弟は家康の人質になっています。大野治純。彼は家康に利用しつくされます。中でも夏の陣では治純は家康の謀略に知らずに加担してしまいました。そして、大坂の陣後に自決したといわれています。ここから考えると、怪しくないのは秀頼だけだったのではないでしょうか。しかし、大野治長は最後まで秀頼のために尽くしました。彼は裏切者ではありませんでした。



真田丸は大坂城の東南部に築城されます。大坂の地形は簡単に言うと、大坂城から四天王寺までが縦長の台地です。この台地が上町台地で台地の北限は大坂城の北に大和川が当時流れていました。大和川は上町台地を迂回して北側に流れています。なので大坂城の東と北は大和川が要害となります。それに対して、西側は当時はまだ船場しか整備されておらず、デルタ地帯でした。

そして大坂城から南の四天王寺までは台地なので台地の上は平坦です。そうすると大坂城を攻めることができるのは南側からになります。ここが大坂城の唯一の攻め口なんですね。そこに真田丸を築きました。真田丸の設計などについてはまた改めて書こうと思います。

幸村は鎧の色を赤で統一します。赤備えです。真田といえば赤備えです。実はゆるキャラのひこにゃんのかぶとにも関係があります。



赤備えは実は武田家の象徴です。武田家には赤一色に統一された騎馬部隊が居ました。現代語でいえば突撃部隊ですね。これが神秘的なぐらい強く強力でした。この武田家の赤備え部隊を真似したのが徳川家康です。家康はかつて武田家の家臣だった人間を集め、寵臣の井伊直政の部下とします。そして、井伊家は赤一色で鎧の色を統一しました。それが彦根のキャラクターひこにゃんのかぶとの色にもなっています。

真田丸44話築城では、真田丸の築城と真田の赤備えが揃いました。真田丸44話築城の感想。真田丸築城と赤備えが揃い、戦いが始まるということですね。徳川方も関ケ原の戦い以降に、有能な指揮官などが多く亡くなっています。平和な時間軸の中で天下統一の総仕上げを行う徳川家康。豊臣家再興をかける秀頼と幸村。

これからが楽しみです。真田丸44話築城の感想を書きました。真田丸45話は完封です。45話では真田丸が徳川軍を完封するのでしょう。きょう
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真田丸(43)軍議

2016年11月06日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
NHK大河ドラマ「真田丸」、前回(10/30)は「第43回 軍議」だった。大坂城に籠城して戦うか、出て戦うか、軍議が行われる。NHKの番組HPからあらすじを拾(ひろ)うと、

徳川軍が大坂城に迫る中、茶々は幸村と密かに会い、ある願い事をする。一方、秀頼の御前で五人衆を集めて軍議が開かれる。幸村だけは、家康のいる京へ攻め込むことを主張するが、みな反対する。次第に(毛利)勝永は幸村の意見を認めるようになるが、又兵衛だけは籠城すべきだと猛反対し続ける。そして、ついに秀頼が決断をくだすときが訪れる。

先月(10/24)、関ヶ原の合戦後に流された九度山から、兄・信之に仕える義兄の小山田茂誠(しげまさ)に宛てた長文の書状の原本が見つかったというニュースが流れた(Yahoo!ニュース)。これも「真田丸」で真田が注目されるようになった賜物だろう。録画して「真田丸」を見たという「タイムシフト視聴率」が6.7%にのぼり、ナマで見た人との合計は20.9%にのぼる、というニュースも流れていた。「真田丸」人気も、ここまで来たか…。

閑話休題。「第43回 軍議」の話である。私は昨年に読んだ司馬遼太郎の『城塞』の印象が強すぎて、茶々(淀殿)をどうしても悪者に見てしまう。茶々を中心とした女衆が権力を握り、陪臣は無能。勇ましい牢人たちがそれに振り回される、という構図だ。つまり大坂城を仕切っていたのは秀頼ではなく母・茶々とその周辺だったのだ。だから冬の陣のあと、家康の謀略にまんまとひっかかってしまった、というストーリーだ。まぁ、それは歴史が証明していることなのだが。

 城塞 (上巻) (新潮文庫)
 司馬遼太郎
 新潮社

この回で私が注目したのは、井上順扮する織田有楽斎(うらくさい)。奈良にゆかりの有楽斎、何だかうさんくさい様子であるが、井上がうまく演じていた。有楽斎の風貌が残された肖像画にそっくりで、笑ってしまった。しかし井上の声が妙に枯れていて「これも加齢(枯れ)なのかなあ」とつまらないダジャレを思いついてしまった。

この織田有楽斎について、藤丸タダアキさんが「真田丸に登場する織田有楽斎について」というブログ記事を書いている。とても興味深いので、全文を紹介する。

織田有楽斎は織田信秀の十一男として生まれます。同じ兄弟には次男の信長や三男の信行や四男信包などもいます。彼は織田政権下では信長の嫡男信忠の傘下の武将として働いていたようです。信忠は甲斐武田攻略の甲州征伐に参加しています。

有楽斎は本能寺の変の際でも信忠と共に京都にいました。信忠は、当時500余りの手勢しかいなかったそうです。明智光秀は約1.3万人の軍勢を引き連れています。信忠は逃げることもできましたが、側近と議論している間に明智に包囲されます。信忠と側近衆はほぼ討ち死にしますが、信忠の嫡男三法師は脱出しました。そして織田有楽斎。彼も力戦した後に脱出しています。しかし、脱出した人物は僅かだったため、有楽斎は非常に目立ちます。有楽斎は信忠に自決を進めたのちに逃げたと揶揄されます。



その後、甥の織田信雄(のぶかつ)に従っていましたが、後に秀吉から摂津に土地を拝領します。そして姪の茶々(淀君)が大坂城にいたために、よく交流していたようですね。

織田有楽斎といえば、茶道の印象が非常に強い人物です。彼は、千利休の高弟の一人でした。有楽斎は関ケ原の戦いで東軍につきます。彼は石田三成の重臣、蒲生頼郷を打ち取ります。そして、息子の長孝は大谷吉継の与力の戸田重政を槍で打ち取ります。西軍の名のある人物二名を打ち取った織田有楽。その手勢は800ほどだったといわれていますので、大活躍です。その槍を家康に見せると、その手元から落ちて、家康が怪我をしたそうです。徳川家に祟りを起こすといわれている伊勢(三重県)の刀で妖刀と呼ばれた村正でした。

その戦功により奈良の柳本・戒重など3万石を領することになります。この後、全国の大名は徳川家を盟主として臣従します。しかし、有楽斎は信長の弟ということもあり、家康に命令されなかったのでしょう。その後も豊臣家に出仕し、茶々(淀君)の相談相手であり続けます。そこに起こった大坂の陣。有楽斎は非常に厳しい立場に追い込まれます。有楽斎は家康とも非常に親しかったでしょう。

茶人としての有楽は多くの大名などの関係を繋ぐ役目を果たしていたでしょう。信長の弟である織田有楽斎。織田政権・豊臣政権・徳川政権。どの政権でも彼は特別の立場でした。

豊臣家と徳川家の手切れ。有楽斎には家康の意向も聞こえてきたでしょう。姪の茶々とその息子の秀頼。有楽斎の役目は戦争回避だったでしょう。しかし、それは徳川方のさまざまな策略でだめになりました。そして大坂の陣を迎えます。



真田丸の有楽斎は、積極進撃策を却下し、怪しげな言動を繰り返します。これは意地悪に捉えれば家康が思う大坂城に閉じ込めたいという考えに従ったように見えます。しかし同情的にみると、豊臣方の組織力では野戦の得意な家康には叶わないと思っていたのではないかと思います。

牢人衆とは話が合わず、孤立化を進めます。そして、有楽斎よりも息子の長孝が牢人衆と対立を深めます。しかし、茶々(淀君)の親族としての立場は揺ぎ無かったようです。徳川方が大坂城に攻め寄せた際に、有楽斎の持ち場だけ、空鉄砲を打っていたといわれています。そこで、他の持ち場から応援が駆けつけて事なきを得たそうです。

しかし、それは軍議では議論の対象とはなりませんでした。大坂冬の陣が講和で終わった際、有楽斎は家康の許可を取って退城します。
ここでも意地悪く見れば裏切りの証拠となります。しかし、彼は家康に挨拶をしただけなのではないかとも思います。しかし、結果的に、大坂方から見ると有楽斎は裏切りだったでしょう。ただ現役の大名である織田有楽斎と、運に恵まれずというか失職した牢人たち。

真田丸でも今後は退去や裏切りに向けた雰囲気に演出されるでしょう。真田丸では千利休もそうでしたが、有楽斎などの茶人は悪く描かれています。茶道を嗜んでいる者からいうと、ちょっと違和感を感じたりします。今の日本社会でも茶道などは古臭いという印象があるのでそう捉えているのでしょうか。

しかし、茶道とは人と人を繋げる素晴らしいコミュニケーションツールでもあります。それを身につけて、大名間の橋渡しを行ったであろう織田有楽斎。井上順さんをキャストに持ってくるあたりがこの真田丸たるゆえんですね。真田丸の織田有楽斎を紹介しました。


藤丸さんは「千利休もそうでしたが、有楽斎などの茶人は悪く描かれています。茶道を嗜んでいる者からいうと、ちょっと違和感を感じたりします」とお書きだが、第三者的に見て、そんなことはない。たまたま「真田丸」ではそんな役回りだったが。桂文枝とか井上順という配役にあるように、武家とは少し違った立場から戦国の世に関わった者として描かれているだけだと思う。おっと、ここまで書いたところで、すでに長文の記事となってしまった。おしまいに、再び藤丸タダアキさんのブログを紹介して締めとしたい。



真田丸43話軍議の感想・籠城を主張する茶々のトラウマと有楽斎の思惑。豊臣方は総大将を決めずに大坂五人衆といういびつな形になりました。真田丸43話軍議の感想を書きます。

信繁から幸村となり豊臣方となった源二郎。一方の、真田信之の息子の信吉や信政は徳川方として出陣します。病気がちの信之は姉の松(木村佳乃)に大坂へ行ってもらうようにお願いします。弟の幸村が14年間の苦労を発散できるように、信之の息子たちを見守ってやってほしいと。いい兄ですね。素敵です。

徳川家康は二条城にて息子の将軍秀忠を待ちます。二条城へ出仕した片桐且元に家康は且元に丁寧に接します。家康は且元に大阪城内の兵糧について尋ねます。小心者の且元は長い間の後に返答します。豊臣方は牢人が以上に多く集まり、兵糧は持っても半年…。ちなみに、且元の大坂城退去の際に且元をかばったのは織田有楽斎です。これも裏切者有楽斎が且元に行った親切でした。

茶々(淀君)は武器庫に幸村を呼び、勝てるのかを聞きました。真田丸43話は‘軍議’です。茶々と幸村の軍議。茶々は秀吉を愛していないといいます。そして秀頼が死ななくてもよくなるように幸村にお願いします。孤独な茶々。

織田有楽斎と大蔵卿局(治長の母)は大野治長から情報を聞き出します。有楽斎は茶々の叔父です。その立場を利用して、茶々の籠城主張に合わせて籠城で方針を決めます。真田丸43話の題名は軍議です。その軍議が始まります。

出席者は秀頼・大野治長・織田有楽斎・木村重成・そして大坂五人衆。豊臣家の直臣たちは籠城を主張し、反対するのは幸村1名。有楽斎は籠城を主張します。そして籠城で決定しようとした時に幸村は九度山へ帰ると言い中座します。その幸村のもとへ、木村重成が訪ねてきます。

会議が再開され、幸村は京都への進撃策を説明します。籠城はいつでもできるので、まずは進撃するべきだと主張します。毛利勝永が幸村案に賛成したところで、有楽斎は休憩を提案し会議は中断します。

大坂五人衆は軍議部屋の外の廊下で軍議再開を待ちます。勝永と幸村は話をします。勝永は幸村案の京都への進撃を自分がやりたいと言います。一方で、明石や長曾我部は反対の理由がありました。明石と長曾我部は大野治長から反対するように指示されたといいます。明石はキリスト教布教のため、長曾我部はお家再興のために豊臣方に参加しました。そこで、幸村は戦に勝たなければその望みは叶えられないと伝えます。そして、この2名は翻意しました。

大蔵卿局は大野治長に牢人のいうことを聞かないように釘を刺します。そして軍議は再開します。豊臣直臣の木村重成は籠城を主張します。幸村は大坂城は最強の砦だが最後の砦であると主張します。戦争は定石通りではいかないという幸村の主張に納得します。

籠城策に納得いかない後藤又兵衛は賛成せずに自分は天下の城で死ぬといいました。幸村は勝つために戦うと主張しますが、又兵衛は勝てるわけがないといいました。幸村は生きる望みのために大阪に集まってきた、負ける気がしないと。その言葉に又兵衛は納得して座りました。積極策を取るような雰囲気になりました。

しかし、織田有楽斎は籠城で決定していると言いました。それに後藤又兵衛が怒り有楽斎に食って掛かります。有楽斎は牢人は金で雇われているだけであると言い放ちました。大野治長は、牢人は豊臣家の大事な客分で非礼があってはならないと言います。ご裁断するのは右大臣秀頼であると。そして秀頼は出戦を宣言しました。有楽斎は席を蹴ってしまいました。

大坂五人衆はほぼ、心の一致ができました。そこで勝永は幸村が大坂に来た理由を訪ねます。幸村は実は自分にもわからないといいました。

秀頼は茶々に報告します。毛利勝永率いる2万人が京都に出陣すると伝えます。茶々は幸村以外は金で雇われているだけでいつ裏切るかわからないといいます。そして出陣は許さないと言い放ちました。その決定を大野治長は幸村に伝えにいきます。幸村はそれならば籠城でできることを考えますと伝えます。落胆的な形で終わりました。

さて、真田丸43話軍議の感想です。息子を思うあまりに危ない戦場に行かせたくない茶々。姪の茶々の意見を尊重しているように見える有楽斎。有楽斎は家康が豊臣方が城から出るのを嫌がっているのを知っていたでしょう。家康にすれば大坂城だけに閉じ込めれば戦いは楽だったのでしょう。家康は妥当な考えの多い人間です。変幻自在の相手は苦手だったのでしょう。それを有楽斎は知っていたのでしょう。

茶々と有楽斎は籠城を主張していますが、その思惑が違います。しかし、大坂城城主は秀頼ではなく事実上は茶々です。その茶々が叔父として頼りにしている有楽斎。ここが豊臣方の限界ですね。茶々や大蔵卿局や大野治長程度の経験では家康には勝てません。

茶々はかつて2度の落城を経験しています。実父の浅井長政は姉川の戦いに敗れ、その後に小谷城は落城します。さらに母の再縁相手の柴田勝家も賤ヶ岳の戦いに敗れ、北ノ庄城は落城します。茶々は出戦がトラウマだった可能性が高いですね。浅井長政や柴田勝家をどのような心境でその出戦を見送ったのか。

真田丸43話軍議の感想は籠城を主張する裏切者の有楽斎の思惑が勝ったなあと。しかし、幸村はバラバラだった大坂五人衆をまとめることに成功します。この大坂五人衆がどうなるのか。今後が楽しみです。

真田丸第44話は築城です。真田家得意の築城能力が44話では紹介されるでしょう。真田丸43話軍議の感想を書きました。
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真田丸(19)恋路

2016年05月22日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
今年の「紀州九度山 真田まつり」には約5万人が来場し、大いに賑わったそうだ。実家に電話すると「長年会ったことのない町民がたくさん来ていて、驚いた」という。「祭りが終わった今も、たくさんの人が来ている」そうで、これは有り難いことである。高野山とセットで訪ねる人も多いそうだ。わかやま新報「週末5万人で活気 九度山真田まつり」によると、

NHK大河ドラマ「真田丸」で注目を浴びる九度山町で7、8の両日、毎年恒例の「紀州九度山真田まつり」が開かれ、県内外から来場した約5万人(2日間、主催者発表)で活気にあふれた。記録に残されているだけでも大正時代から続く伝統の祭り。8日はドラマに出演している草刈正雄さん(真田昌幸役)、中川大志さん(豊臣秀頼役)も武者行列に参加し、人口約4500人の小さな町に、例年の倍以上の来場者が押し寄せた。

初日はメーン会場の道の駅「柿の郷くどやま」で信州真田鉄砲隊、大阪城鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊による演武もあり、真田の三段射法など、迫力の銃声が鳴り響いた。鉄砲隊演武と真田ミュージアムを見ようと兵庫県尼崎市から家族4人で初めて同町を訪れていた阪上徹君(12)は、「思ったより大きな音ですごかった」と感動した様子だった。


あの「鉄砲隊演武」は、音もすごいが火薬の臭いもすごいのだ。さて前回(5/15)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第19回 恋路」だった。戦国ものらしからぬロマンチックなネーミングで、これは茶々(のちの淀殿=淀君)をめぐる恋路である。NHKの公式サイトから、あらすじを拾うと、

信繁は茶々にせがまれ、大坂城の中を二人きりで案内する。まだ若い茶々が過酷な運命を生き抜いていたことを知った信繁は、奔放に振る舞う茶々に対し好意を抱いてしまう。九州平定を目前にした秀吉は茶々を側室にしようと考える。秀吉の周囲は信繁と茶々の仲をいぶかり始める。一方、家康は信幸と、忠勝の愛娘・稲姫との政略結婚を持ち掛ける。


茶々(浅井茶々)は、確かに「過酷な運命」を生き抜いてきた。織田信長の姪として生まれ、その叔父の命で父・浅井長政が殺される。その軍を率いたのが秀吉だ。その後秀吉は、養父・柴田勝家と実母・市(お市の方)を殺す(じつは秀吉は市にあこがれていた)。そんな親の敵・秀吉に見初められ、側室になるというのだ。そんな茶々に対して秀吉は言う。死ぬ前には「茶々は日の本(ひのもと)一、幸せなおなごでした」と言って死んでくれ、と。そんな茶々が息子の秀頼とともに(しかも信繁と同じ日に)死んだのは、大坂城落城のときだった…。全く「過酷な運命」である。

今回、家康が信繁の兄・信幸に本多忠勝の娘(稲姫)をとらせる話が出てくる。結局、この政略結婚により関ヶ原のあと真田昌幸と信繁の命が助けられることになるのだから、運命というのは分からない。では最後に藤丸タダアキさんのブログから、彼の感想を紹介しておく。近江衆と尾張衆の話など、とても興味深い。

天真爛漫な茶々。それを追いかける秀吉。茶々について信繁は忠告を受けました。忠告主は片桐且元です。それは豊臣政権に大きく影を落とす話になっていきます。

秀吉は名古屋出身(尾張)です。彼の親類はほとんど名古屋(尾張)の人間なのですね。尾張時代、秀吉の家来は200-300人ぐらいだったでしょう。それに対して、秀吉は初めて信長からお城をもらいます。それが滋賀県長浜です。そして20万石近い領地を与えられます。20万石近い領地では5000人は家臣が必要になります。そこで大量の家臣を募集します。片桐且元はそこで応募してきた滋賀県出身者です。そんな近江衆にとって、茶々とは旧主浅井長政の長女なんですね。秀吉が信長から与えられた長浜界隈は浅井家の領地でした。

秀吉は茶々が最後に亡くなる前にこう言って欲しいと言っていました。「茶々は日ノ本一幸せなおなごでした」。真田丸のエンディングでは茶々が登場します。真田丸のエンディングは大坂夏の陣です。大坂夏の陣では信繁が戦死した後に茶々(淀君)も死去します。「茶々は日の本一幸せなおなごでした」。とはとても言える最後ではありませんでした。最後にナレーションでこんな言葉が流れました。「豊臣政権崩壊の始まりでした」。


そうでしょう。茶々には秀吉が長浜時代に雇用した侍たちの旧主筋の人間。石田三成や片桐且元・大谷吉継もそれにつぎます。これを近江衆と言っていいでしょう。彼らの多くは事務に堪能な官僚肌が多かったです。それに対して寧々の元には多くの尾張衆がいます。加藤清正・福島正則などがそれに当たります。これを尾張衆と言っていいでしょう。

彼らの多くは戦場で汗を流すいわば営業部隊です。結局はこの近江衆と尾張衆が関ヶ原でぶつかります。他の家臣団もこのどちらかの派閥に参加して戦います。近江衆には降伏後事務処理で助けられた外様大名の多くが付きます。島津・毛利・宇喜多・上杉。尾張衆は数で言えば、近江衆より少し劣ります。しかし、そこに徳川家康が乗ってしまいます。

家康は尾張衆を味方につけて関ヶ原を勝ち抜きます。そしてそのまま徳川幕府を作ってしまうのでした。秀吉の魔術的な政略・外交のおかげでできた豊臣政権。その家来達は経験値等で家康の敵ではありませんでした。それにしても、三谷幸喜は演出がうまいですね。逸話や小話をうまく話しの中に入れてきます。

徳川と真田の縁組の話がありました。縁組とは、力のある大名同士が縁を結んでお互いの力を高めるために行われます。そして、家康は当初、本多忠勝の娘をそのまま真田に嫁がせようとします。それに真田昌幸は激怒したと言われています。「小さいなりとも自分は大名である」「大名の嫡男の嫁に大名の家来筋から嫁をもらえるか」そう怒ったという話が残っています。家康は仕方なく自分の養女にして真田に嫁がせたそうです。これをうまく演出しきっていたのが印象的でした。

真田信繁は時代のクライマックスのど真ん中にいます。彼が戦国安土桃山時代の最後の主人公になっていきます。次回も楽しみですね。
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真田丸(15)秀吉

2016年04月22日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
日曜日(4/17)のNHK大河ドラマ「真田丸」は「第15回 秀吉」だった。NHKのHPからあらすじを拾うと、

秀吉は初めて出会った信繁(幸村)をなぜか連れ歩く。戸惑う信繁。実は秀吉は(真田)昌幸が上洛の命令に従わないことにいらだっていた。徳川家康が再び真田を攻めようとしていることに対し、上杉景勝に昌幸を助けてはならぬと命じる秀吉。秀吉が正室の寧たち家族とともに無邪気にはしゃぐ裏で自分の故郷と一族を窮地に追いやろうとしていると気づかない信繁は…。


これら2枚は4/6(水)、桜満開の大阪城で撮影、その他はNHKのホームページから拝借

桂文枝演じる千利休に、秀吉は「(上杉景勝の様子を見て)どう思った?」と聞くシーンがあった。秀吉が利休をそのように利用していたことが見て取れ、逆に利休のそのような鋭さがのちに秀吉に疎(うと)まれ、死に追い込まれるのだな、ということが分かる。

また「天正かるた」を使った神経衰弱にはしゃぐ秀吉は、茶々が隣室の美青年(立花権三)とアイコンタクトしていることに気づき、心の中でメラメラとと嫉妬の炎を燃え立たせる。それに気づいた信繁は驚愕。このように、この回では秀吉の二面性がよく描かれていた。では恒例により、藤丸タダアキさんの感想をFacebookとブログから引用しておく。



真田丸を録画で見たので、アップするのが遅くなりました。秀吉は家族の中の自分としての素顔と政治家としての顔を使い分けます。信繁は翻弄されていきます。しかし、なんでこんなに真田丸のことを書いているかというと、昔から真田幸村が好きだったんです。関連書籍は20冊ぐらいは持っています。

真田丸の感想・15話について書きました。大坂についた真田信繁は秀吉に翻弄されます。秀吉は人間としての素の部分と政治家としての仕事の部分をうまく使い分けて見せます。
きりなどはすっかり人間の素の部分しか見ることができないですね。日本の社会はほんの一握りの時代を除けばやはり男社会だったと思います。真田丸の感想ですが、15話のポイントは秀吉の素顔と政治家としての顔だと思いました。一握りとは源頼朝と北条政子の時代です。この点についてはまた書きたいと思います。

政権が安定すると、人と人を繋ぐ役割として女性の活躍する場所ができてきます。秀吉の正室「寧々」や側室となる淀君、そして秀吉の母である大政所などよく出てきます。また、親族の男性も多く出てきました。


秀吉の死後、豊臣政権は1598年の秀吉の死後、16年で豊臣家が滅ぶため、ほとんどの人が
その後20年も生き続けることができませんでした。それはにわかに勃興した秀吉政権の弱点ですね。家康の方には親子代々、徳川家の家来で、しつけや教育には一定の規範があったでしょう。秀吉政権の短命は急成長して政権を取ってしまった余波ともいえるでしょう。

また、秀吉自身が遊郭に遊びに行くというような描写もありました。実際には秀吉の身分では遊郭まではいけなかったでしょう。大騒ぎになったでしょう。この場面は福島正則という感情の豊かな人間を登場させるための演出だったのかなと。

一方で、政治家としての秀吉の仕事はこの時期クライマックスに入っています。1584年には徳川家康との小牧長久手の戦いが起こります。この時、越中の佐々成政や四国の長曾我部元親・紀伊の豪族などが家康側につきました。1885年には四国征伐において四国ほぼ全土を手中に収めていた土佐の英雄長曾我部元親を屈服させます。上杉景勝の上洛は1886年6月です。家康は同年10月に上洛しています。

家康の臣従後、1887年には九州征伐を行っています。上杉景勝が秀吉に臣従するかしないかというような描写がありました。しかし、実際には上洛することはそのまま臣従することだと当時は認識されていたでしょう。対等であれば会いたいのであればそちらから出向いてこいというのが常識だと思います。


そして、茶道がその世界を繋げていきます。千利休という人が茶道という世界を大成させます。茶道は当時爆発的な経済成長における物事の価値観の多様化を統一することに非常に意義がありました。その中で、利休は価値観を道具だけでなく、人の所作などにも求めました。そして秀吉がそれを政治に利用したのでしょう。

千利休はこの5年後に政治に介入しすぎたというような言いがかりをつけられて切腹を命じられます。秀吉は小田原北条氏を征伐した後、晩年にはいります。そして極度に老化します。そして朝鮮征伐などのあまり秀吉政権にとってメリットのないことを繰り返します。それが豊臣政権に対する諸大名の心が離れる原因の一つでした。

そんな政治的事情がありました。この束の間の家族の空間は彼らにとって一番幸せな時間だったという描写がありました。私もそう思います。本来はこの家族の席には他にも養子や猶子(=兄弟・親族の子などを自分の子として迎え入れたもの)としてきた人間も多かったでしょう。真田丸の感想 15話について書きました。


いよいよ4/24(日)は「第16回 表裏」。秀吉が上杉景勝に「真田昌幸に援軍を送ってはならぬ」と命じたことを知り、愕然とする信繁。果たして昌幸は…。皆さん、次回もお楽しみに!
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