tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

雨の神さまの磐座(いわくら)「くつな石」/龗(おかみ)神社(明日香村阪田)

2024年09月01日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先月(2024.8.22)掲載されたのは、〈雨の神の大石祭る/龗神社(明日香村)〉、執筆されたのは同会会員で、大阪府堺市にお住まいの柳原恵子さんだった。
※トップ写真は、くつな石(中央)と木の鳥居

くつな石の「くつな」は、くちなわ、つまり蛇のことだろう。ご祭神の高龗神(たかおかみのかみ)は、山峰の水を掌る蛇体の神さまのことだ。今は麓の葛神社に合祀されているということなので、龗神社跡と言うべきかも知れないが。では、全文を以下に紹介する。

雨の神の大石祭る/龗神社(明日香村)
龗(おかみ)神社は、明日香村の石舞台から南の細川山の東の谷間にひっそりと鎮座しています。社殿はなく、ご神体は「くつな石」と呼ばれる磐座(いわくら)で、雨の神として祭られ、現在はふもとにある葛(くず)神社に合祀(ごうし)されています。

龗神社へは別名「金鳥塚」と呼ばれる都塚古墳が目印で、都塚古墳の近くにくつな石への案内板があります。阪田の棚田を眺めて登っていくと、防獣柵があります。柵の先は緑に包まれ、水の流れる音と小鳥の鳴き声のみが聞こえる静寂な空間です。

三つの穴が開いた苔(こけ)むした砂防ダムがあり、まるでアニメの世界に迷い込んだようです。山道を100㍍くらい登ったところに磐座と小さな木の鳥居があります。

昔、ある石屋がこの大きな石に目をつけ、切り出そうとノミを打ち込んだところ、その割れ目から赤い血が流れ、血まみれの蛇が現れました。驚いた石屋は大慌てで逃げ帰りましたが、その晩から高熱と腹痛に襲われて、とうとう死んでしまいました。

それ以来、村人たちは神の宿る石として祭ったといわれ、また現在祝戸の各戸には蛇(巳)が祭られています。参拝後、防獣柵を出てすぐの小道を左へ上がると、棚田の向こうに畝傍山、二上山まで見渡せる絶景が広がっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 柳原恵子)

(住 所)明日香村阪田
(祭 神)高龗神
(交 通)近鉄橿原神宮前駅東口か飛鳥駅前から赤かめ周遊バス「石舞台」下車、徒歩約40分 
(拝 観)自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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「筒井筒の井戸」に「夫婦竹」、業平の屋敷跡と伝わる在原神社(天理市櫟本町)/毎日新聞「やまとの神さま」第92回

2024年08月03日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2024.8.1)掲載されたのは〈業平邸跡に建立と伝承/在原神社(天理市)〉、執筆されたのは同会理事で、安堵町にお住まいの西川年文さんだった。西川さんは「飛鳥地域プロガイド」としても、活躍されている。では、全文を紹介する。

業平邸跡に建立と伝承/在原神社(天理市)
在原(ありわら)神社は天理市北部の櫟本(いちのもと)町に鎮座します。創建には諸説有りますが、880年5月28日に在原業平が病没したため、その邸を寺にして在原寺と号したと伝わります。

後に神社も設けられ、江戸時代には、本堂、庫裏、楼門等があり、在原千軒と称せられるほどにぎわいましたが、明治元年の神仏分離令により在原神社のみとなりました。

ご祭神は、在原業平とその父である阿保(あぼ)親王(第五十一代平城天皇の第一皇子)です。皇統が嵯峨天皇に移ったため業平は826年に兄の行平らと共に臣籍降下し、在原姓を名乗ります。その情熱的な作風の歌により、「六歌仙」に名を連ね、時代を代表する歌の読み手となります。

また業平は、日本最古の歌物語といわれた『伊勢物語』のモデルとも、作者であったとも伝わります。境内には、伊勢物語に登場する「筒井筒の井戸」や謡曲『焉(えん)』に歌われた「夫婦竹」なども見え、文学に長(た)けた業平を偲(しの)ぶことができます。

毎年4月26日に例祭の「業平祭」が行われ、本殿前には祭神の阿保親王像と業平像が祭られ、美男の誉れ高い業平とのご対面がかないます。奇しくも来年2025年は、業平生誕1200年の特別な年を迎え「業平祭」もにぎわうことでしょう。(奈良まほろばソムリエの会理事 西川年文)


コメント (2)
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飛鳥川沿い、風神と雷神「気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡」(明日香村)

2024年07月24日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に、「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.7.18)掲載されたのは、〈かつて雷神祭り 雨乞いも/気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(明日香村)〉、執筆されたのは同会会員で桜井市にお住まいの瀨川泰紀(せがわ・やすのり)さんだった。
※写真は、気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(北より臨む)

この神社、かつては「延喜式神名帳」に記載された名神大社だったが、現在は廃絶され、田んぼの中の大木のある場所が跡地とされている。では、以下に全文を紹介する。

かつて雷神祭り 雨乞いも/気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(明日香村)
気吹雷響雷吉野大国栖御魂(いぶきいかづちなるいかづちよしのおおくずみたま)神社は「延喜式神名帳」に記載された名神大社でしたが、現在廃絶社となっています。

明日香庭球場の西側、田んぼの中の高まりにエノキとセンダンの大樹が寄り添う場所が神社の跡地とされています。近くを飛鳥川が流れており、地元の人の話では、元々は少し上流の雷丘(いかづちのおか)の近くにあったものが、洪水でこの場所に流れ着いたものと伝承されています。

祭神は気吹雷神と響雷神の二神です。「気吹」とは神の吐く息を意味し、風のこと、「響」は雷鳴のことです。つまり「風神雷神」のような神様だと想像します。

ところで明日香村にある神社に何故、吉野、国栖の地名が入っているのでしょうか。かつてこの場所に九頭(くず)明神を祭る社があり、干ばつの時に雨乞いをしていました。国栖は九頭と同様に「クズ」の呼称を持つことから、この神社も龍神など、水との関わりが深い神社だったのでしょう。

また、吉野の国栖と言えば、大海人皇子を助けた逸話で知られる、壬申の乱を想起させます。現在痕跡のない神社跡ですが、近くに雷丘、天香具山。少し南に歩いて西を眺めると畝傍山、二上山が、飛鳥時代と変わらぬ、万葉集にも歌われた美しい姿をとどめます。(奈良まほろばソムリエの会会員 瀨川泰紀)

(住 所)明日香村雷
(祭 神)気吹雷(いぶきいかづち)神、響雷(なるいかづち)神
(交 通)橿原市コミュニティバス(大和八木駅~橿原神宮前駅・土日のみ)、または赤かめ周遊バス(飛鳥駅~橿原神宮前駅東口)で、明日香小山下車。徒歩約5分


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養蚕・絹織物ゆかりの神を祭る「比売久波(ひめくわ)神社」(磯城郡川西町)/毎日新聞「やまとの神さま」第90回

2024年07月14日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.7.11)掲載されたのは〈蚕飼い 絹織った女神祭る/比売久波神社(川西町)〉、執筆されたのは同会会員で、今回が初の執筆という川端眞知子さんだった。
※トップ写真は、春日造の比売久波神社本殿=川西町唐院で

難しい神社名だが、久波は「桑」なので、養蚕や絹織物に関わる神さまである。同じ町内にあり、寺川の対岸にある糸井神社とも関係する。では、以下に全文を紹介する。

蚕飼い 絹織った女神祭る/比売久波神社(川西町)
比売久波(ひめくわ)神社は、川西町唐院の国史跡・島の山古墳の西側にあります。平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載のある式内社で、由緒ある神社です。祭神は久波御魂神(くわみたまのかみ)・天八千千姫(あまはちちのひめ)で、古事記や日本書紀に記載の神ではありません。

比売久波の久波とは蚕桑(さんそう)を意味し、古くは桑の葉をご神体としたとの伝承や、天八千千姫は、桑の葉を香具山に植えて蚕を飼い絹を織ったという伝承から、同じ川西町にある糸井神社と共に、養蚕・絹織物の生産に関わる地域であったと考えられています。

檜皮葺(ひわだぶき)一間社春日造の本殿(県指定文化財)は、江戸時代初期に春日大社若宮神社本殿を移されたものと伝わり、現存する春日大社古社殿のうちで最古のものの一つです。

本殿と拝殿の間にある平石は、島の山古墳から持ちだされた石で、後円部頂上の竪穴(たてあな)式石室に使用された天井石であることがわかっています。

江戸時代に唐院村の村人らによって「黄檗(おうばく)版大般若経」が奉納されました。後に建てられた経蔵は近年に倒壊し、大般若経は現在、唐院自治会で保存されています。

本殿西側には「きりんじ」と呼ばれる神宮寺の箕輪寺(みのわでら)がありましたが、今では境内に基壇跡を残すのみとなっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 川端 眞知子)

(住 所)磯城郡川西町唐院473
(祭 神)久波御魂神・天八千千姫
(文化財)本殿(春日造、県指定文化財)
(交 通)近鉄結崎駅から徒歩約30分
(拝 観)自由。秋祭りは 10月第2土曜・日曜
(駐車場)なし


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白い硅石(けいせき)をご神体とする劔主(つるぎぬし)神社(宇陀市大宇陀宮奥)/毎日新聞「やまとの神さま」第89回

2024年07月10日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.7.4)掲載されたのは、〈ガラス原料・硅石がご神体/劔主神社(宇陀市)〉、執筆されたのは同会副理事長で宇陀市にお住まいの松浦文子さんだった。
※トップ写真は、劔主神社の正面=宇陀市

この神社のことは全く知らなかったし、宇陀市内に同名の「劔主神社」があと2つもあることも、知らなかった。地元民ならではの情報提供だった。では、以下に全文を掲載する。

劔主神社(宇陀市)/ガラス原料・硅石がご神体
劔主(つるぎぬし)神社は宇陀市大宇陀宮奥(元中宮奥)に鎮座しています。古くから「白石(しらいし)明神」と称し、ガラス原料の硅石(けいせき)からなる白石群をご神体としてお祭りしています。

創立の年代や祭神はよくわかっていません。神社の石灯籠(いしとうろう)に刻まれた年が貞享3(1686)年であることや、倒木のおそれのあった境内の杉を切ると400近い年輪があったことから江戸時代に造営されたと思われます。

瑞垣(みずがき)に囲まれた本殿の後方及び西側に大きな白石が鎮座し、西側の前方の石は1㍍、後方の石は本殿の石とつながり、3㍍ほどの大きさの石が地面から出ています。

さらに本殿の西北約500㍍の山上には、白い巨岩がそびえ立っていて、その中の最も高い所にある巨石(幅が7~8㍍、高さが5㍍ほど)が磐座(いわくら=神が宿る石)として祭られ、奥宮と称されています。

この磐座のある山上と神社の間の山の背は「明神の尾」と呼ばれていて、例祭にはここを通り、奥宮に参拝参籠(さんぱいさんろう=ある期間こもって祈願)することが慣例となっていました。しかし、近年は神社で神事が執り行われています。なお宇陀市内には、下宮奥と半阪に同名の「劔主神社」があります。(奈良まほろばソムリエの会副理事長 松浦 文子)

【メモ欄】
(住 所)宇陀市大宇陀宮奥116
(祭 神)不詳
(交 通)近鉄榛原駅から奈良交通バス「大宇陀」行きで終点へ。南西へ徒歩約50分
(拝 観)拝観自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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