今日(11/3)は文化の日なので、文化的な話題をひとつ。
先日、正岡子規の句碑が奈良市雑司町に建立されたと知り、現地を訪ねてみた。建てられたのは、日本料理店「天平倶楽部」の敷地内に整備された庭園の一角である。
※奈良新聞の記事(10/25付)
http://www.nara-np.co.jp/n_soc/061025/soc061025c.shtml
看板(銅板)に、こんな説明書きがあった。タイトルは「子規の庭」だ。
この地は江戸末期から明治、大正にかけ奈良を代表する老舗旅館「對山楼・角定」のあった所で、政府要人や学者、文人など明治の各界を代表する著名人が数多く宿泊しました。中でも俳人正岡子規は、明治28年10月26日から4日間滞在、この近辺を散策し、多くの句を残しました。(後略)
というわけで、「秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味」という子規直筆の句碑(高さ1.8m×幅1.2m)が建てられたのだ。なお「對山楼・角定」は「たいざんろう・かどさだ」と読む。もと「角定」という旅館に、山岡鉄舟が「對山楼」と命名したそうだ。伊藤博文、山県有朋、滝廉太郎、岡倉天心、フェノロサなど、多くの名士が泊まった名旅館だ。
有名な「柿食えば…」の句も、この旅館で食べた柿と、聞こえてきた東大寺の鐘の音がヒントになっているという。
※「鐘が鳴るなり東大寺」(ブログ内 7/22)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/90e36e1194e0014fbf1057735d23a8ec
私が訪ねたのは10/29(日)だったが、庭の入口に通せんぼがしてあって、こんな張り紙が出ていた。
「子規の庭」は、発掘調査のため工事中です。「子規の庭」の一般公開は平成18年11月18日からとなっております。 入場無料
天平倶楽部 店主
子規の庭は、店横の細長い路地のような小道を入って石段を昇る。写真はムリして入口付近から望遠レンズで撮ったものだ。向かって右奥に句碑と柿の木があるはずだが、残念ながら見えない(左奥は、店から見渡せる以前からの庭園)。
天平倶楽部は建ぺい率・容積率が制限されているのか、広い敷地のほとんどが客用の駐車場で、奥にデンと大きな建物が建っている。転害門近くの分かりやすい場所なので、11/18以降、ぜひ皆さんもお訪ねいただきたい。
先日、正岡子規の句碑が奈良市雑司町に建立されたと知り、現地を訪ねてみた。建てられたのは、日本料理店「天平倶楽部」の敷地内に整備された庭園の一角である。
※奈良新聞の記事(10/25付)
http://www.nara-np.co.jp/n_soc/061025/soc061025c.shtml
看板(銅板)に、こんな説明書きがあった。タイトルは「子規の庭」だ。
この地は江戸末期から明治、大正にかけ奈良を代表する老舗旅館「對山楼・角定」のあった所で、政府要人や学者、文人など明治の各界を代表する著名人が数多く宿泊しました。中でも俳人正岡子規は、明治28年10月26日から4日間滞在、この近辺を散策し、多くの句を残しました。(後略)
というわけで、「秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味」という子規直筆の句碑(高さ1.8m×幅1.2m)が建てられたのだ。なお「對山楼・角定」は「たいざんろう・かどさだ」と読む。もと「角定」という旅館に、山岡鉄舟が「對山楼」と命名したそうだ。伊藤博文、山県有朋、滝廉太郎、岡倉天心、フェノロサなど、多くの名士が泊まった名旅館だ。
有名な「柿食えば…」の句も、この旅館で食べた柿と、聞こえてきた東大寺の鐘の音がヒントになっているという。
※「鐘が鳴るなり東大寺」(ブログ内 7/22)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/90e36e1194e0014fbf1057735d23a8ec
私が訪ねたのは10/29(日)だったが、庭の入口に通せんぼがしてあって、こんな張り紙が出ていた。
「子規の庭」は、発掘調査のため工事中です。「子規の庭」の一般公開は平成18年11月18日からとなっております。 入場無料
天平倶楽部 店主
子規の庭は、店横の細長い路地のような小道を入って石段を昇る。写真はムリして入口付近から望遠レンズで撮ったものだ。向かって右奥に句碑と柿の木があるはずだが、残念ながら見えない(左奥は、店から見渡せる以前からの庭園)。
天平倶楽部は建ぺい率・容積率が制限されているのか、広い敷地のほとんどが客用の駐車場で、奥にデンと大きな建物が建っている。転害門近くの分かりやすい場所なので、11/18以降、ぜひ皆さんもお訪ねいただきたい。