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人間にとって成熟とは何か by 曽野綾子

2013年08月04日 | ブック・レビュー
 人間にとって成熟とは何か (幻冬舎新書)
 曽野綾子
 幻冬舎

胸のすくような快著を読んだ。曽野綾子著『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書)798円 である。「BOOK」データベースによると、

【内容情報】
人はみな平等に年を取るが、しだいに人生がおもしろくなる人と、不平不満だけが募る人がいる。両者の違いはいったい何か。「憎む相手からも人は学べる」「諦めることも一つの成熟」「礼を言ってもらいたいくらいなら、何もしてやらない」「他人を理解することはできない」「人間の心は矛盾を持つ」「正しいことだけをして生きることはできない」等々、世知辛い世の中を自分らしく生き抜くコツを提言。まわりに振り回され、自分を見失いがちな人に贈る一冊

【目次】
正しいことだけをして生きることはできない/「努力でも解決できないことがある」と知る/「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする/身内を大切にし続けることができるか/他愛のない会話に幸せはひそんでいる/「権利を使うのは当然」とは考えない/品がある人に共通すること/「問題だらけなのが人生」とわきまえる/「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る/辛くて頑張れない時は誰にでもある/沈黙と会話を使い分ける/「うまみのある大人」は敵を作らない/存在感をはっきりさせるために服を着る/自分を見失わずにいるためには/他人を理解することはできない/甘やかされて得することは何もない/人はどのように自分の人生を決めるのか/不純な人間の本質を理解する

【著者情報】
曽野綾子(ソノアヤコ)
1931年東京都生まれ。作家。聖心女子大学卒。1979年ローマ法王によりヴァチカン有功十字勲章を受章、2003年に文化功労者、1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。1972年にNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」(通称JOMAS)を始め、2012年代表を退任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

7/31(水)の読売新聞で本書の全5段ブチ抜きの広告を見て、その日の会社帰りに買って帰り、一気に読んだ。急いで読んだのでマーカーも付箋もつけなかったため、あとで2度ほど読み返すことになった。

奥付によると、本書はもともと幻冬舎のPR誌『星星峡』に「成熟した大人、未成熟の大人」として、2011年から3年にわたって連載されたエッセイをまとめたものである。だから大仰な「人間にとって成熟とは何か」論ではなく、「成熟した大人とはどんな大人か」「未成熟の大人とはどんな大人か」ということを、身近な実例を挙げながら紹介された文章である。本書には「まえがき」も「あとがき」もない。とても分かりやすく、思わず「まさにその通り」「いるいる、こんな人」「これは自分でも気をつけないと」などと膝を打ちながら読み進めた。その一部を紹介すると、

 老いの才覚 (ベスト新書)
 曽野綾子
 ベストセラーズ

第12話「うまみのある大人」は敵を作らない
私の心にしきりに浮かんだのが、人間はみんな、「ひび割れ茶碗」だ、という思いであった。私のような年のものは、ことにその思いが深い。私はまあ、今のところ、軽い膠原病が出ているだけで、これは直接的な死に繋がる病気ではないというのだが、現実に無理な生活をすると、死んでしまうような病気を持っている人はよくいる。

そうでなくても、どの家庭も、どこかに弱い人を抱えているものだ。一見まとものような家庭でも、お父さんが不眠症で深刻な精神状態だったり、お母さんの母親が徘徊(はいかい)老人だったり、息子が下宿先で火事を出したり、妹が交通事故に遭ったりしている。

人生はそういうことがあって普通なのだ。だから急な生活上の、ことに経済的変化は出なくてもいい病人や死者を出すことになりかねない。壊れるまでは行っていなかった家庭が急に崩壊し、正常にみえた神経が突如ぶち切れたりする。だからどの家庭も家族も、多かれ少なかれ「ひび割れ茶碗」なのだ。それでもまだ水は漏っていない。しかし卓上に置く時、少しそっとしてやる方が長持ちする。


 親の計らい (扶桑社新書)
 曽野綾子
 扶桑社

しみじみと心に響く言葉である。曽野綾子は1931年生まれ、ということは今年で82歳。今年84歳の私の母と同じ世代である。だから「私のような年のものは、ことにその思いが深い」という気持ちもよく分かる。それにしても 「人間はみんな、ひび割れ茶碗」とは、よく言ってくれたものである。

瀬戸内寂聴(1922年生まれ)にしても、少しタイプは違うが金美齢(1934年生まれ)にしても櫻井よしこ(1945年生まれ)にしても、テレビや新聞のコラムで「なるほど!」と納得するような話は、このようなおばさんたち(失礼!)が発する話がほとんどである。瀬戸内寂聴の法話や人生相談など、「こんないい話のできるお坊さんは、奈良にいるのだろうか?」といつも不安に思ってしまう。
閑話休題。『人間にとって成熟とは何か』に戻る。

第17話人はどのように自分の人生を決めるのか
ほんとうに人の一生というものは、最後の最後までわからない。「団塊の世代」が最近ではもう六十路(むそじ)を歩むようになった。彼らもまた、人には思いもかけないようなさまざまな人生の結論があるらしいということが、現実のものとして見えて来ているだろう。

同級生で成績も就職先の社会的評判も、出世競争でもトップを走っていたように思われる友人が、体を壊して50歳前後で死んだり、再起不能の病気に罹(かか)ったりすることはよくある。あるいは、才色兼備のいい妻をもらったように見えた人が、その妻がまだ60歳になる前から知的能力に衰えを見せ、長い老後をずっとその世話をして暮らさねばならなくなるようなケ-スも決して珍しくはないのである。

長く生きるよさというのは、こういうどんでん返しが現実にあることを確実にこの眼で見られたことだと言うべきかもしれない。結論は簡単には出ない。評価も単純にはつかない。人間は、どれほども自分の眼の昏(くら)さを知って謙虚になるべきだ、ということがひしひしと感じられるのである。

第18話不純な人間の本質を理解する
いいだけの人生もない。悪いだけの生涯もない。ことに現在の日本のような恵まれた状況では、そのように言うことができる。それでもなお、多くの日本人が不平だらけなのだ。

年齢にかかわらず、残りの人生でこれだけは果たして死にたいと思うこともない、という人は実に多い。諦めてしまったのか、もしかすると、目的というものは偉大なものであるべきだ、と勘ちがいしているからか、どちらか私にはよくわからない。私の目的は、多くの場合、実に小さい。


 人間関係 (新潮新書)
 曽野綾子
 新潮社

こんな面白い話も載っている。これにも大いに溜飲が下がった。

第16話甘やかされて得することは何もない
日本の女性が、外見的にも幼くて、つまり貧弱で、とうてい成熟した女性のふくよかさを持っていない、と感じる人は最近多くなった。誰もが同じような痩せた体つきをしている。AKB48のような子供っぽい芸のつたなさや仕種を好むようになったという人もいる。

このグループが初めて登場して間もなくの時、私の知人がちょうど年末年始でもあったのでおもしろいことを言ったのを、私は今でも覚えている。「どのチャンネルを廻しても、幼稚園生のお遊戯みたいなのばかり見せられてうんざりだったわ。うちの孫のお遊戯褒めるだけで手いっぱいで、とてもテレビの番組まで楽しむ余裕ないのよ」私はその言葉に笑いこけたのだが、これはなかなか深遠な意味を持っていたのである。AKB48については、その企画者は利口な人だと言わなければならない。

最近の世の中では、少しもおかしくない「お笑い芸人」の芸さえ売り物になる。彼らは自分たちで笑い、自分が笑ったから、それはおかしいことなのだ、と思っているらしいが、何が人生でおかしいことなのかほんとうに理解するには、旺盛な批判精神が要る。本も読まず、教養を身につけようともしない人が、どうして自分や他人を笑いものにできるだろう。AKB48の場合はもっと動機が不純だ。一人の芸では、到底観客の期待に応えられないから、数を揃えて見せれば、若さという素材だけで金になる、という計算が見え見えである。

現在のAKB48の歌も踊りも、素人に近い。素人でもいいからAKB48になりたい見たいという人もいるのはわかっているが、そこにこそ不純な動機もある。もっとも、踊りに関しては私はマイケル・ジャクソンのファンなので、あの人と比べると、ダンサーと言える才能を持つ人は世間にほとんどいなくなる。しかしAKB48のダンスを孫のお遊戯と言い捨てた人は卓見だというほかはない。つまり現在の社会には、達者でない芸、1人前とは言えない教養、成熟していない精神が、あらゆる形で平気で存在できるようになったのである。

誰も言わないけれど、私はビーチバレーという競技にも、発案者の不純を感じる。私はバレーも大好き、ビーチでバレーをするのも筋肉を鍛えるのに非常にいいと思うけれど、あのビーチウェアで観客を前にビーチバレーをさせるのには、嫌らしい意図があると思っている。つまりセックスをスポーツに加味して売り物にしているのだ。その淫(みだ)らな意図を意識しないというのは、どこかに嘘があるとしか思えない。もしそうでないというなら、服装を替えればいい。つまり私は自分の娘や孫にだけは、あの服装の故にビーチバレーだけはさせたくないのである。


AKB48にビーチバレー、これもお見事というしかない。曽野綾子 は産経新聞に「透明な歳月の光」というエッセイを連載していて、こちらも愛読している。時々は物議を醸すこともあるが、私はあのストレートな物言いが好きだ。本書は間違いなくおススメの本である。皆さん、ぜひお読みください!
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