2月8日(日)、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が企画した「なら記紀万葉を味わい楽しむ」シリーズ講演会の第1回を開催し、「記紀万葉の愉しみ―はじまりの土地・飛鳥から―」の演題で、井上さやかさん(奈良県立万葉文化館主任研究員=トップ写真)にご講演いただきました。275人(当会会員109人・一般参加166人)もの方にご参加いただき、幸先の良いスタートを切りました。
めんどや(明日香村岡)で卓話。隣は大山理事
単なる講演会ではなく、当会の各グループ・各サークルがそれぞれ工夫を凝らし、講演会と連動した企画(ウォーキング、見学会、食べ歩き会 など)を併催し、たくさんの方にお楽しみいただきました。
地元の野菜たっぷりの飛鳥鍋、底には地鶏が。うーん、これは旨い!
前川さんの名ガイド。朝からの雨も、すっかり上がっていた
私は同会「啓発グループ」が開催した「飛鳥鍋ランチの食事会」に参加し、めんどや(明日香村岡)で美味しい飛鳥鍋とひょうたん弁当をいただきました。「奈良県の食」に関する卓話もさせていただきました。食後は当会の前川光正さんのガイドで、飛鳥板蓋宮跡、酒舟石、亀型石造物などをご案内いただきました。
県立万葉文化館・稲村館長の冒頭挨拶
万葉文化館に到着すると、ホール(企画展示室)はほぼ満席の状態でした。井上さんのご講演から、「『古事記』『日本書紀』『万葉集』読み比べ」のひとコマを紹介します。万葉集・古事記・日本書紀で、それぞれ雄略天皇の描かれ方が違うのです。『万葉集』では、巻頭の歌で
明日香村の森川村長も挨拶に駆けつけた
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも
良い籠と掘串を持って岡で菜摘をしている娘に、名前と家柄を教えてと呼びかけるこの歌は求婚の歌です。天皇のナイーブな優しさが伝わってきます。しかし、『古事記』では、少し違います。引田部の赤猪子の話です。県民だより(2012年3月号)から現代語訳を拾うと、
長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)で天下を治めていた雄略天皇は、あるとき美和河(みわがわ)(初瀬川の下流)で見目麗(みめうるわ)しい少女に出会います。天皇は一目で気に入り「おまえは誰の子か」と尋ねると、少女は「私は引田部の赤猪子と申します」と答えました。「おまえは誰にも嫁がずにいなさい。そのうち私が宮中に召そう」と、彼女との結婚を約束して、天皇は宮に帰りました。
その後、赤猪子は天皇の言葉を信じてお召しを待ちますが、何の音沙汰もないまま、なんと八十年もの年月が過ぎてしまいます。そこで彼女は、せめて待ち続けた誠意だけでも天皇に打ち明けたいと思い、意を決して宮中へ参内します。天皇は彼女のことをすっかり忘れていましたが、事情を聞いて約束を思い出し、赤猪子を不憫(ふびん)に思って歌と品物を贈ったということです。
井上さやかさん。この写真のみ、県立万葉文化館のFacebookから拝借
一方、日本書紀にはこんな話が出て来ます。Wikipedia「春日大娘皇女」から現代語訳を紹介しますと、
雄略天皇は采女の童女君がたった一夜で身ごもったために、生まれた春日大娘皇女が自分の娘であるかどうかを疑い、養育されなかった。あるとき物部目大連が庭を歩くある少女の姿を見て、天皇の姿によく似ていると述べた。天皇はそれで、彼女の母が一夜で身ごもったのは異常であるため、自分の娘であるか疑っていると答えた。
物部目大連は天皇に一夜のうちに何度童女君を召したかを尋ねた。天皇は7度召したと答えた。物部目大連は天皇を諌めて、身ごもりやすい人は褌が体に触れただけで身ごもりますと述べた。そこで天皇は少女を認知し皇女とし、母の童女君を妃とした。一方『古事記』にはこの出自の記述が見られず、雄略天皇の段にも母・娘ともに名を欠いており、仁賢天皇の段にやっと皇后として名が挙げられるにとどまる。
さらに日本書紀にはこんなエピソードも。HP「萬葉人物列伝」から現代語訳を拾うと
馬飼は、雄略天皇2(458)年10月3日に行われた吉野行幸に供奉する。そして、同月6日、御馬瀬で行われた狩猟の際に事件が起こる。大量の獲物を前にして、雄略天皇が「膳夫をして鮮(なます=刺身)を割(つく)らしむ。自ら割らむに何與(いか)に」、自らに付き従う者たちに上機嫌で質問したのである。「料理人が作るのがいいか?自分で作るのがいいか?」を尋ねたのである。これに、誰も即答することが出来なかったところ、天皇は烈火の如く怒り出し、手にした太刀を抜くと、傍にいた馬飼の頚(くび)を跳ねたのである。
奈良まほろばソムリエの会・鈴木副理事長の閉会挨拶
また井上さんには、文学研究者と歴史学者の見方の違いなどもお話しいただきました。「なら記紀万葉を味わい楽しむ」講演会は今後3年間かけ、10回のシリーズ物として展開します。第2回は5月30日(土)午後1時30分から、奈良ロイヤルホテルで稲畑ルミ子さん(奈良県立美術館 学芸係長)による講演「絵画に表された記紀の物語」が行われる予定です。以降は、葛城市、桜井市などでも開催します。
皆さん、今後とも「なら記紀万葉を味わい楽しむ」講演会をよろしくお願いいたします!
めんどや(明日香村岡)で卓話。隣は大山理事
単なる講演会ではなく、当会の各グループ・各サークルがそれぞれ工夫を凝らし、講演会と連動した企画(ウォーキング、見学会、食べ歩き会 など)を併催し、たくさんの方にお楽しみいただきました。
地元の野菜たっぷりの飛鳥鍋、底には地鶏が。うーん、これは旨い!
前川さんの名ガイド。朝からの雨も、すっかり上がっていた
私は同会「啓発グループ」が開催した「飛鳥鍋ランチの食事会」に参加し、めんどや(明日香村岡)で美味しい飛鳥鍋とひょうたん弁当をいただきました。「奈良県の食」に関する卓話もさせていただきました。食後は当会の前川光正さんのガイドで、飛鳥板蓋宮跡、酒舟石、亀型石造物などをご案内いただきました。
県立万葉文化館・稲村館長の冒頭挨拶
万葉文化館に到着すると、ホール(企画展示室)はほぼ満席の状態でした。井上さんのご講演から、「『古事記』『日本書紀』『万葉集』読み比べ」のひとコマを紹介します。万葉集・古事記・日本書紀で、それぞれ雄略天皇の描かれ方が違うのです。『万葉集』では、巻頭の歌で
明日香村の森川村長も挨拶に駆けつけた
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも
良い籠と掘串を持って岡で菜摘をしている娘に、名前と家柄を教えてと呼びかけるこの歌は求婚の歌です。天皇のナイーブな優しさが伝わってきます。しかし、『古事記』では、少し違います。引田部の赤猪子の話です。県民だより(2012年3月号)から現代語訳を拾うと、
長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)で天下を治めていた雄略天皇は、あるとき美和河(みわがわ)(初瀬川の下流)で見目麗(みめうるわ)しい少女に出会います。天皇は一目で気に入り「おまえは誰の子か」と尋ねると、少女は「私は引田部の赤猪子と申します」と答えました。「おまえは誰にも嫁がずにいなさい。そのうち私が宮中に召そう」と、彼女との結婚を約束して、天皇は宮に帰りました。
その後、赤猪子は天皇の言葉を信じてお召しを待ちますが、何の音沙汰もないまま、なんと八十年もの年月が過ぎてしまいます。そこで彼女は、せめて待ち続けた誠意だけでも天皇に打ち明けたいと思い、意を決して宮中へ参内します。天皇は彼女のことをすっかり忘れていましたが、事情を聞いて約束を思い出し、赤猪子を不憫(ふびん)に思って歌と品物を贈ったということです。
井上さやかさん。この写真のみ、県立万葉文化館のFacebookから拝借
一方、日本書紀にはこんな話が出て来ます。Wikipedia「春日大娘皇女」から現代語訳を紹介しますと、
雄略天皇は采女の童女君がたった一夜で身ごもったために、生まれた春日大娘皇女が自分の娘であるかどうかを疑い、養育されなかった。あるとき物部目大連が庭を歩くある少女の姿を見て、天皇の姿によく似ていると述べた。天皇はそれで、彼女の母が一夜で身ごもったのは異常であるため、自分の娘であるか疑っていると答えた。
物部目大連は天皇に一夜のうちに何度童女君を召したかを尋ねた。天皇は7度召したと答えた。物部目大連は天皇を諌めて、身ごもりやすい人は褌が体に触れただけで身ごもりますと述べた。そこで天皇は少女を認知し皇女とし、母の童女君を妃とした。一方『古事記』にはこの出自の記述が見られず、雄略天皇の段にも母・娘ともに名を欠いており、仁賢天皇の段にやっと皇后として名が挙げられるにとどまる。
さらに日本書紀にはこんなエピソードも。HP「萬葉人物列伝」から現代語訳を拾うと
馬飼は、雄略天皇2(458)年10月3日に行われた吉野行幸に供奉する。そして、同月6日、御馬瀬で行われた狩猟の際に事件が起こる。大量の獲物を前にして、雄略天皇が「膳夫をして鮮(なます=刺身)を割(つく)らしむ。自ら割らむに何與(いか)に」、自らに付き従う者たちに上機嫌で質問したのである。「料理人が作るのがいいか?自分で作るのがいいか?」を尋ねたのである。これに、誰も即答することが出来なかったところ、天皇は烈火の如く怒り出し、手にした太刀を抜くと、傍にいた馬飼の頚(くび)を跳ねたのである。
奈良まほろばソムリエの会・鈴木副理事長の閉会挨拶
また井上さんには、文学研究者と歴史学者の見方の違いなどもお話しいただきました。「なら記紀万葉を味わい楽しむ」講演会は今後3年間かけ、10回のシリーズ物として展開します。第2回は5月30日(土)午後1時30分から、奈良ロイヤルホテルで稲畑ルミ子さん(奈良県立美術館 学芸係長)による講演「絵画に表された記紀の物語」が行われる予定です。以降は、葛城市、桜井市などでも開催します。
皆さん、今後とも「なら記紀万葉を味わい楽しむ」講演会をよろしくお願いいたします!
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