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田中利典師の「仏法は時によるべし」

2024年10月12日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈仏法は時によるべし〉(師のブログ 2016.11.2付)。これは日蓮上人の言葉で、「仏法は、時宜に即して実践すべきである」ということである。
※トップ写真はウチの近隣公園の桜。コロナで「Stay Home」渦中の2020.3.30に撮影

もと原稿を書かれた2000年(平成12年)、師は「役行者1300年遠忌」という大事業を成し遂げられた。この年、師は45歳の働き盛り。そのあと「修験道ルネッサンス」活動に邁進され、大きな成果を上げられたことは、皆さんご存じの通りである。では、以下に全文を紹介する。

「仏法は時によるべし」ー田中利典著述集281102
過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。今日のは、これも古いエッセイです。平成12年に行われた「役行者1300年遠忌」を終えての感想で、日蓮上人の文言をお借りしてます。

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役行者大遠忌遠忌事業を終えて四ヶ月。山上ヶ岳の合同法要から早一ヶ月半。色んな思いで過ぎ越してきた役行者遠忌の日々を今は思い返してしている。「仏法は時によるべし」とは日蓮上人の言であるが、このミレニアムの二千年紀に役行者1300年大遠忌を迎えたことには、正に「時」を得たという思いを強く感じている。

たとえば三本山御遠忌連絡会というのがある。筆者は立ち上げ当初から関わらせていただいたが、これなどは正に時を得たからこそ、歴史的な醍醐寺・聖護院・金峯山寺の修験三本山合同法要や数々の共同事業が成し遂げられることとなった。時を得た人との出会いは繋がりを拡げ、次々に伸展していったのである。

奈良県と吉野町と一緒に行った「役行者ルネッサンス実行委員会」などという、かつてない外からの遠忌法要を推進する力を得ることも出来た。私一人の力など知れているのである。多くの人々の力の結実があったからこそ、評価に値するようなことが成し得られるのである。時を得たから、人を得ることが出来たのであった。これを役行者の思し召しと言わずしてなんと言おうか。

筆者は何度も実感した。現代社会は役行者を、そして修験道の持つ世界観を、枯渇した大地が水を待つように欲していると。枯渇しているからこそ、今回の遠忌が多くの人々に受け入れられ、また多くの力を得るところとなったのである。正に「仏法は時によるべし」の、その「時」であったのである。

反省は、受け入れ側に沢山の課題を抱えていることであった。現代の日本は何処の組織、何処の社会をとっても、共通してそうであるように、時代の変革について行けていない。固定化し、老朽化したまま、昨日出来たことは今日も出来ると勘違いして、足下からわき上がってきている変化に気づいていない。

しかしながら悔やんでばかりいるのではない。そういう認識が生まれたことが大きな進歩であり、遠忌の余禄とも言える成果であったとも思っている。これもまた役行者の思し召しなのであろうか。

当初から今回の遠忌行事は変革への第一歩だと位置づけてきた。しかし行く先の道の長さを思い知らされたのも事実である。そんなふうに悲喜こもごも、過ぎ越してきた日々を思い眺めている。
ー「金峯山時報370号(平成12年10月号)所収、蔵王清風」より

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「修験道ルネッサンス」活動にこのあと私は邁進するが、その大きなきっかけとなった「役行者1300年大遠忌」。役行者ルネッサンスが、修験道ルネッサンスを大きく動かしていった。読み返すほどに、懐かしい文章である。
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