tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

てんま天神梅まつり

2006年02月18日 | 日々是雑感
「木の花は、濃きも淡きも紅梅」(『枕草子』第35段)とある。紅梅は、それまでの白梅に対し、平安時代になって新たに中国から輸入されたものだ。同じ段で後に出てくる梨の花・桐の花も中国渡来の花で、清少納言のハイカラ趣味がうかがえる。

さて写真の紅梅は、大阪天満宮(大阪市北区天神橋)の盆梅だ。今ここで「てんま天神梅まつり」として、梅にまつわる多彩なイベントが催されている。
※天満宮の公式サイト
http://www.tenjinsan.com/

今日(2/18)は午後1時から本殿正面の舞台で「水墨画奉納式」が行われ、大勢の人を集めていた。三味線と和太鼓の演奏に合わせて、大きな台紙に梅の絵を描いていく。

ふと昔、鼻歌を歌いながら切り絵(紙切り)をする芸人をよくテレビで見たことを思い出した。あんな感じで、巧みに巨大墨絵を描いていく。出来上がった作品は、黒い枝に紅い花がよく映える逸品だった。

百畳敷の参集殿では、50鉢以上の大盆梅展が開かれていて(3/12まで)、また今日は古本市の最終日で、境内にたくさんのテントが張られ、学術書からトンデモ本まで、たくさんの古書籍・雑誌が並んでいた。

神社の受付では、たくさんの人がお札を授けてもらっていた。考えてみれば天神さんは学業成就の神さま。今は受験シーズンだから賑わっているのだ。
母親と娘、女子高生のグループなど、ほとんど全員が女性だったのは、女性の方が信心深いゆえか、神頼みの意識が強いゆえかは、定かではない。
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同時進行!平城遷都1300年(1)

2006年02月13日 | 平城遷都1300年祭
2010年(平成22年)、奈良市・平城宮跡周辺で「平城遷都1300年記念事業」が催される。これについて県下では様々な動きが出てきている。

思い返せば1988年(昭和63年)開催の「なら・シルクロード博」の準備期間中には、会場が平城宮跡から奈良公園に変更されたり、奈良公園では天然記念物のナギ(梛)林伐採問題が浮上したりと、てんてこまいだった。

シルク博のそんな経緯は私の記憶からも風化しつつあるが、1300年事業でも、またぞろ同様の課題が浮き沈みしている。で、この際これらをほぼリアルタイムで書き留めておかねば、と思い立った。初回の今日は、これまでの動きを一挙にまとめて書いておく。

公式ホームページにもあるが、始まりは97年(平成9年)3月14日の「平城遷都1300年を考える奈良の会」の設立だ。この日、里中満智子さんら奈良ゆかりの38人が意見交換した。この会の提言で99年(11年)10月13日、「平城遷都1300年記念2010年委員会」が設立された。

00年(12年)、県は「あなたが考える平城遷都1300年の夢」を募集、同年10月4日に結果を発表した。最優秀賞は該当なし。優秀賞は、東アジアの若い芸術家からデザインを募り、大仏や興福寺五重塔などに風船や色つきシートで装飾を施すというもの。「面白い発想はたくさんあったがオリジナルな発信が総体的に不足」(審査委員長・木村尚三郎氏)とされた(10月5日付 朝日新聞)。何となく前途多難を暗示している。

02年(14年)5月16日、2010年委員会の第4回総会で、復元される大極殿院(平城宮跡)に歴史野外劇場を造ってオペラなどの創作劇をするなどの構想が決まった。

03年(15年)7月29日、こんな見出しの記事が出た。「平城宮跡に新駅構想、市民団体は反発 柿本・奈良県知事表明」(朝日新聞)。知事選を11月に控え、柿本知事は公明党との政策協定のなかで新駅建設を表明したのだ。宮跡は近鉄西大寺駅と新大宮駅のちょうど中間にあり(両駅から徒歩10分くらい)、この話は今も尾を引いている。

さて05年(17年)5月16日「平城遷都1300年記念事業協会」が設立された。以後この協会が中心となって記念事業が進められる。で、06年(18年)2月7日、基本計画が策定された。平城宮跡を3つのゾーンに分けて整備し、華やかな歴史と文化の祭典をくり広げるという。いよいよ目鼻がついてきたぞ。続きは次回に。

※写真は平城宮跡・朱雀門(05.4.24撮影)。門を透かして見えるのは、復元工事中の大極殿院。
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奈良・菅原の里 盆梅展

2006年02月12日 | 日々是雑感
菅原の里とは、菅原家発祥の地で、道真の生誕地ともいわれる奈良市菅原町周辺のこと。ここの「喜光寺(きこうじ)」と「菅原天満宮」で毎年盆梅展が催される。今年の会期は2月5日から3月5日まで、入場料は各500円だ。

昨日(2/11)、喜光寺の盆梅展を見てきたが、今年は寒さのため開花が遅れている。堂内では半分近くの鉢で花が見られたが、屋外(境内)で咲いていたのは2鉢だけ(=写真)。菅原天満宮も境内だけぐるりと回ってみた。100本近い梅の木が植えられているのだが、開花はこれからだ。

暖冬だった昨年は開花が早すぎて、盆梅展が終わる前に花が散ってしまったのだが。
※参考「菅原の里・盆梅展」(昨年投稿した『JanJan』の記事)
https://www.janjan.jp/culture/0502/0502113497/1.php

北極振動の異変か、はたまたミニ氷河期の影響か。「年々歳々花相似たり」というが、花の咲くのは、お天道さまのご機嫌次第なのだなぁ。
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お綱祭り

2006年02月11日 | 日々是雑感
寒さが和らいだ建国記念日の今日(2/11)、「お綱(つな)祭り」を見てきた。大和川の支流・初瀬(はせ)川の南北にある桜井市大西・江包(えっつみ)両地区で行われている伝統行事だ。奈良県指定文化財で「お綱はんの結婚式」として知られている。

神代、上流から流れてきた櫛稲田姫(くしなだひめ)を大西が、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を江包が助け、2人がお正月に結婚式を挙げたことに由来する祭りだ。両地区が新藁(わら)を持ち寄り、大西が市杵島(いちきしま)神社で女綱(めづな 女性のシンボル)を、江包が春日神社で男綱(おづな 男性のシンボル)を作り、それらを江包の素戔嗚神社まで運んで合体させる。合体の儀式は「入舟の儀式」と呼ばれる。

つまりは五穀豊穣を祈願する神事で「田遊び祭りの一種」だそうだ。もとは旧暦正月10日に行われていたが、今は毎年2月11日に行われている。

私はこの日、大西地区の女綱について歩いた。写真は出発したばかりの女綱(長さ6m 重さ600kg)だ。細長いので最初は男綱かとカン違いしていたが、これは巻いてあるだけで、ほどくと三角形のリング状になる。若い男性がかつぎ、尻尾の長い綱(100m以上!)を男性の住民が持つ。数十人が協力して運ぶのだ。

午前9時に市杵島神社を出発した女綱は、川をはさんで目と鼻の先にある素戔嗚神社へ、ゆっくりゆっくり練り歩く。途中、休憩してお酒を飲んだり、田んぼの中で泥んこになりながら相撲をとったりもする。これも豊作を祈る行事だそうだ。やっと11時過ぎに素戔嗚神社に着いたが、男綱はまだ到着していない。こちらものんびりと泥んこ相撲をとっている。

やっと男綱(頭部の直径2m・長さ4m、重さ600kgの円錐形)が素戔嗚神社に到着したのは午後1時近く。木に架けてあった輪っか(女綱)に男綱が合体して、巨大なしめ縄となった。めでたし、めでたし。

それにしても中世から続いているというこのお祭り、住民総出の大イベントだ。綱を作るだけでも大変なご苦労だろう。沿道で住民の方が、ほかほかのみたらし団子やラーメンの模擬店を出してくれていたのも、有り難かった。

都市部で廃れている住民同士のつながりの大切さを、改めて実感した伝統行事であった。
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氷の世界

2006年02月10日 | 日々是雑感
先日、新聞の片隅に載っていた外電を見て、わが目を疑った。タイトルは

6-7年後「ミニ氷河期」入り!?

ロシア通信が送った「フジサンケイビジネスアイ」(旧日本工業新聞 06.2.8付)の記事だ。太陽活動の停滞で6~7年後に世界の気温が低下しはじめ、「ミニ氷河期」に入る可能性があるそうだ。ロシアの天文学者アブドサマトフ氏の話だ。

今冬の寒波も「地球冷却現象の可能性がある」そうだ。20世紀の地球温暖化は、太陽エネルギーの増大によるもので、これがピークを過ぎ、2035~45年には「最寒冷期」になるという。かつて「ミニ氷河期」といわれた1645~1705年には、オランダの運河が凍結したり、グリーンランドの島民が移住したそうだ……。

ここへきて「地球寒冷化」とは、驚きだ。
何しろ昨夏は私の勤務先も「クールビズ」となり、ネクタイも上着も外した。軽くて涼しくて夏物スーツ代も浮いた。これで懸案の地球温暖化が防げるという、良いことずくめのアイデアだった。それなのに、これから地球が寒冷化するという説があるとは。
記事の見出しに「!?」がついているから、まだ定説ではないのだろう。それにしてもな話だ。歴史年表を繰ってみると、確かに1645~1705年頃は日本(江戸時代)でも冷害や大雪の記録が残っている。うーむ、それが「ミニ氷河期」の仕業だったとは。

思い出すのは養老孟司さんの話だ。
「温暖化も寒冷化も、歴史上しばしば起こったことである。二酸化炭素問題として、温暖化をもっぱら人間活動のせいにするのも、いまの人が人間中心にものを考えていることの一例かもしれない。(中略) カゲロウの一日と人の一生と、大自然から見れば、さして変わりはない。長い目でものを見ようではないか」(06.1.29付 朝日新聞「私と環境」)。

暑くなるぞといわれたり、いやいや寒くなるといわれたり、それにしてもお騒がせな「カゲロウの一日」ではある。

※写真は柳生の里(奈良市)にある円成寺(えんじょうじ)境内の池。この日はとても寒く、雪と氷の世界だった。モノクロのように見えるが、カラー写真である(05.1.1 撮影)。
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