tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良マトリョーシカ展、4月25日(土)~5月10日(日)まで!(2015Topic)

2015年04月15日 | お知らせ
マトリョーシカ(マトリョーシカ人形)とは、入れ子人形のことである。Wikipedia「マトリョーシカ人形」によると、
※写真3点は、すべて奈良マトリョーシカ展のFacebookから拝借

マトリョーシカ人形は、ロシアの木製の人形。単にマトリョーシカともいう。マトリョーシカという名称は、ロシア女性の名前からきている。それぞれの人形には女性像が描かれているのが本来のものであるが、大統領など有名人が描かれたものや、動物など人間以外のものが描かれたものなど、絵柄は各種に広まっている。日本にもマトリョーシカ人形と同じ作りで、だるまなどの入れ子人形がある。

胴体の部分で上下に分割でき、中には少し小さい人形が入っている。これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる入れ子構造になっている。入れ子にするため腕は無く、胴体とやや細い頭部からなる筒状の構造である。6重以上の入れ子である場合が多い。



奈良をテーマにデザインしたオリジナルのマトリョーシカ作品を展示販売する「奈良マトリョーシカ展」が、4月25日(土)~5月10日(日)まで、ならまちのアートギャラリー「ギャルリ・サンク」(奈良市西寺林町28-6)で開かれる。同展のFacebookによると、

奈良をテーマにしたオリジナルのマトリョーシカの展示。鹿や大仏さん、古事記、万葉集などなど、自由な発想の奈良らしいマトリョーシカがズラリ勢揃い。ここでしか手に入らない1点ものですが、なんとぜ~んぶ買えちゃいます! お気に入りの“奈良マト”を見つけてくださいね。

【出展作家】
浅田としこ/アジコ/上村恭子/うさぎ/KANAKO/カワかわワイわい/高市俊子/田守英里子/だんちの/津田早規子/中郷由紀子/中村俺様/5*SEASON/ふうせんかずら/福崎翼/毎野月胡/松尾美沙鈴木/まりりん/三田宏行/ラッキー植村 (20名)



産経新聞の取材の様子

今朝の産経新聞奈良版に、《「マトリョーシャカ」に「マトリョー鹿」 多彩なマトリョーシカ展》の見出しで、この展示が紹介されていた。企画したパステル画家・大八木恵子さん(5*SEASON)のコメントも載っている。《大八木さんは「奈良は奥ゆかしくて、大阪や京都ほどの派手さはないが、貴重な文化資源が豊富。展示会は、地元の作家たちも奈良を見つめ直す機会になると思う」と話す》。

展示は5月10日まで(無休)。正午~午後7時。問い合わせはギャルリ・サンク(0742-31-8029)。ゴールデンウィークの1日、ぜひ足をお運びください!
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日本仏教のあゆみ(NHKこころの時代)、4月19日(日)午前5時!(2015Topic)

2015年04月14日 | お知らせ
NHK Eテレ「こころの時代」(1時間番組)で、月1回・全6回シリーズの「日本仏教のあゆみ」が今月から始まる。第1回は4月19日(日)午前5時~6時で、「日本仏教の夜明け」として、聖徳太子の思想と奈良仏教が紹介される。NHKのHPによると、

こころの時代 シリーズ 日本仏教のあゆみ~信と行~ 第1回「日本仏教の夜明け」

日本仏教のあゆみを、「信」と「行」の観点からたどっていく6回シリーズ(毎月1回放送)。飛鳥時代に伝来した仏教は、法華思想、密教、浄土教、禅などに展開していく。

6世紀、東アジア諸国は仏教による文明国家を築いていた。日本を先進国たらしめようとした聖徳太子は積極的に仏教を導入し、経典の注釈書を作ったり、自ら宮中で経典を講義したりするほど教義に精通したという。

奈良時代になると、仏教は鎮護国家の柱となり、僧により高度な教理が研究され、後の世の信仰や修行を生みだす母胎を育んだ。和国の教主とたたえられる聖徳太子の思想と奈良仏教による学問としての日本仏教の夜明けを見る
【出演】仏教学者…竹村牧男,【きき手】草柳隆三

これは必見だ。仏教伝来から奈良仏教(南都仏教)まで、大和を舞台にした仏教受容の歴史が語られるのである。皆さん、タイマー録画をお忘れなく!
コメント (4)
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大台ヶ原に神武天皇像を建立した古川嵩(産経新聞「なら再発見」第111回)

2015年04月13日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載された「なら再発見」、惜しまれつつこの3月末の115回で連載が終了した。まだ当ブログで紹介していない記事があるので、日付順に紹介していく。今回は2月14日(土)に掲載された「大台ケ原 神武天皇像 古川嵩の足跡」、執筆されたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の藤村清彦さんである。大台ヶ原は皆さんもよくご存じだろう。
※トップ写真は、牛石ヶ原の神武天皇像

上北山村のHPには《(日本百名山)吉野熊野国立公園に指定される“大台ヶ原”は、年間降水量5,000mmと世界有数の降水量を誇り、この恵まれた大量の雨が湿潤な気象条件を生みだし、日本を代表する原生林を形成し、貴重な動植物の楽園となっています》。

さらに環境省のHPには《大台ヶ原は、日出ヶ岳や大蛇ぐらなど主要な展望地がある東大台と、原生的な森林が広がる西大台の2つに大別されます。このうち、西大台に入るには事前手続きが必要です(東大台には一切の手続きなしで入れます)。これは、西大台の豊かな自然をいつまでも守り続けていくための法律に基づく制度です》。

奈良まほろばソムリエの藤村さんは、この山を開いた古川嵩(ふるかわ・かさむ)と、彼が推進して建立した神武天皇像(銅像)に注目した。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』には《岐阜県郡上郡美並村の人・古川嵩が明治24年(1891)に大台ヶ原に入山、3ヶ月にわたって現在の東大台・西大台を踏査して開山の第一歩を記した。古川は明治34年(1899)に大台教会を開設、気象観測や自然保護にも力を尽くした》とある。では記事全文を紹介する。


 
 大台ケ原とは吉野熊野国立公園の一部で、標高1500メートル前後の山々と、その山々に囲まれた台地状の地帯をいい、奈良県と三重県にまたがっている。東大台周遊路(行程約9キロ、所要時間4時間)の牛石(うしいし)ケ原に、眼下の熊野灘を望んで立つ神武天皇像の建設者に迫ってみよう。
      ※   ※   ※
 山頂の駐車場から歩いてすぐの大台教会を守りながら、食堂「たたら亭」を営んでおられる田垣内(たがいと)惠美子さんに、大台ケ原の歴史をおうかがいした。 


大台教会。写真は「金剛山の四季~コウのブログ~」から拝借

 建設を推進したのは、神道系の神習教(しんしゅうきょう)福寿大台教会を創立した古川嵩(かさむ)教長=万延元(1860)年~昭和5(1930)年=で、像の除幕式は昭和3(1928)年。今のような道路や建設機械、車のない時代、このような高地に銅像を建設するには途方もない費用と時間、推進者の熱意がなければできるものではない。
 神武像は2メートルを越す長身で、本体重量45トン。金鵄(きんし)と弓が68キロ、太刀83キロ、製造は大阪市の大谷鋳造所だ。銅像は6分割され、三重県の尾鷲(おわせ)から30人の労務者の人力で運び上げられたという。



大台教会の奥にたたら亭がある。写真は「ショウタンの山歩録」から拝借

 古川嵩は、明治23(1890)年の夏に98日間、翌24年の12月から3か月間、単身大台ケ原に入り荒行を積んで地元の信頼を勝ち取り、同32年には大台教会を完成させた。
 彼の教えは、「人は素直に大自然に教えを乞い、大自然とともに生きる」というのが基本だ。彼は、神武天皇が大和への東征において熊野から大台ケ原を越えたとすれば、天皇こそがこの地の開山者であり、天皇が腰掛けたと伝わる「御輿石(みこしいし)」に銅像を建設するのがふさわしいと考えたのだ。

 費用は山林王土倉庄三郎(どくらしょうざぶろう)をはじめ地元の理解者の呼びかけで集められた浄財があてられたが、運搬においては予想外の費用が掛かったようだ。古川嵩には、人をひきつけるものすごい力と魅力があったのだろう。
 大台ケ原は週のうち半分以上は霧が出るので、かつては「魔の山」と呼ばれ、昭和34(1959)年の伊勢湾台風、同36年の第二室戸台風で、トウヒの針葉樹林が倒壊する以前は昼なお暗い原生林であったという。
 魔の山であっても、昔から猟師や薬草採り等が入っており、彼らだけが知る道がある。吉野―大峯を経て熊野灘沿岸に出るには大台ケ原を通るのが最短で、かつては牛石ケ原に近い尾鷲辻から尾鷲まで山腹を通る道が通じていたという。
 今も尾鷲への道の傍には、源義経が食べた塩干し鯛の伝説に由来する「片腹鯛池(かたはらたいいけ)」があり尾鷲道の存在を伝えている。
 また現代においても、今のような車による物流が普及する以前は、熊野灘沿岸部と奥吉野地域との交易は盛んであったという。今でも店の買い出しのために麓まで6時間をかけて徒歩で下り、冬もこの地で越すという田垣内惠美子さんが語る道の話は、具体的で圧倒される。

ニホンオオカミ夫婦の版画(田垣内惠美子さん提供)。雄(左)と雌が描かれている。

 昭和初年の神武像建設と鎌倉時代の義経逃避行、古代の神武東征伝承が海と山を結ぶ道を通じていきいきと身近に迫ってくる。
      ※   ※   ※
 さらに私が心を動かされたのは、古川嵩が大台ケ原へ入ったときニホンオオカミの夫婦が彼の道案内をし、彼もオオカミ夫婦を「神の使い・大神(おおかみ)」と考えて共同生活をしたという事実だ。
 彼は雄を「剛太(ごうた)」、雌を「えい子」と名付けたという。ニホンオオカミは明治38(1905)年1月に絶滅したことになっているが、古川嵩はその時以降にオオカミ夫婦に再会しているのだ。
 大台ケ原の歴史は深い。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)


うーん、これはすごい話である。古川は単身、大台ヶ原に入って神道の教会を建て、死の2年前、2mを越すような大きな銅像を山の上に建立したのだ。また、今もこの教会を守りながら食堂「たたら亭」を営んでいる方(田垣内惠美子さん)がいらっしゃるとは、驚きだ。ブログ「私を登山に連れてって」には、

買い物は大淀まで行くことや、冬は車が動けないので国道まで6時間歩くこと、住所は大台ヶ原で通じること 暖かく、美味しい鴨の出汁が香る丼に顔をつけながら、お母さんからいろんなお話を聞いていた 『 そういえばお母さん、NHKにいっぱい出てましたね~ 』私がNHKで放映されたドキュメンタリーのことをふると『 あれは、イヤイヤ出たんやって~』と可愛く照れる お母さんいわく、愛犬ハチをテレビに出してやりたくて、それを条件で、無理やり出演したとのこと


たたら亭の店内と名物・鴨うどん。これら2点の写真は「私を登山に連れてって」から拝借



しかし一番すごいのは、わざわざ大台ヶ原まで出かけて取材し、健筆を揮われた藤村清彦さんである。確か、もう前期高齢者だったはず…。藤村さんは、次の回の「椿井城跡」も書かれていた。

藤村さん、こんなすごいお話をご紹介いただき、有難うございました!
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東大寺本坊ふすま絵の一般公開は、今日(4/12)まで!(2015Topic)

2015年04月12日 | お知らせ
東大寺本坊のふすま絵奉納式(産経新聞 2010.4.20)


この時期恒例の「東大寺本坊襖絵(ふすまえ)一般公開」は、今日(4/12)までです! 東大寺本坊大広間では、故・小泉淳作画伯が描かれた見事な襖絵 40 面(2010年)および聖武天皇・光明皇后の御影(みえい)2幅(2006年)、そして林美光(はやし・びこう)作の金銀銅杢目金製(きんぎんどうもくめがねせい)薫炉 華厳1口(2015年)。このほか本坊内の天皇殿でも、豪華な展示が拝観できます。東大寺のニュースリリースによりますと、

東大寺本坊襖絵(ふすまえ)一般公開 開催概要

名 称:「聖武天皇・光明皇后御影並びに東大寺本坊襖絵一般公開」
期 間:平成 27 年 4 月 10 日(金)~4 月 12 日(日) 10 時~17 時(入場は閉門 30 分前まで)
場 所:華厳宗大本山東大寺本坊 (奈良市雑司町 406-1 電話 0742-22-5511)
受 付:東大寺本坊勅使門(ちょくしもん 南大門を入ってすぐ右側)
拝観料:大人 1,000 円(中学生以上) 小学生以下無料 団体割引なし
※当公開では「障がい者手帳」を提示いただいた御本人、並びに同伴者 1 名まで拝観無料。
主 催:華厳宗大本山東大寺 共 催:日本経済新聞社
協 力:近畿日本鉄道株式会社・岡村印刷工業株式会社・一般財団法人奈良県ビジターズビューロー
※収益金が得られた場合は、全額災害支援金とさせていただきます。

《拝観・展示等の内容》
東大寺本坊大広間
聖武天皇・光明皇后御影2幅(2006年 小泉淳作画)
襖絵 40 面(2010 年 小泉淳作画)
金銀銅杢目金製薫炉 華厳 1 口(2015年 林美光作)

東大寺本坊内天皇殿
聖武天皇坐像 1 軀(1689年 法印尭海作)
菩提僊那(ぼだいせんな)僧正坐像 1 軀(2002年 上原三千代作)
銀大香炉 1 口(大正天皇ご下賜)
青龍香炉 1 口(1980 年 帖佐美行作)
白(はく)鳳凰華瓶(けびょう)1 対(1980 年 帖佐美行作)
輿(こし)(1914 年)
東大寺本坊校倉(奈良時代・国宝)外構

「聖武天皇・光明皇后御影」は、平成 18 年に行われた聖武天皇 1250 年御遠忌法要を記念して、また、「東大寺本坊襖絵」は平成 22 年に行われた光明皇后 1250 年御遠忌法要を記念して東大寺に奉納されました(施主:横河電機株式会社・企画:日本経済新聞社)。ともに日本画家、故小泉淳作画伯による作品ですが、特に「蓮」・「桜」を中心とする 40 面にもおよぶ襖絵は、5 年もの歳月を費やして描かれた力作で、まさに華厳経の世界観にも通ずるような、生命感あふれる作品です。

本年は、大仏殿明治大修理落慶法要(1915 年(大正 4))より 100 周年にあたり、当時、大正天皇より下賜された「銀大香炉」、この法要のために制作されたと伝えられる「輿」を展示致します。

更に、大仏殿昭和大修理落慶法要(1980 年(昭和 55))に奉納された大作「青龍香炉」「白鳳凰華瓶一対」(帖佐美行氏作)なども展示致します。また、今年 1 月に秋田の鍛金工芸家・林美光氏により制作・奉納された「金銀銅杢目金製薫炉華厳」も、一般に初お披露目されます。そのほか東大寺本坊内にある聖武天皇殿を参拝いただけるとともに、国宝の「校倉」(奈良時代)の外構もご覧いただけます(共に平素非公開)。

《併催 公慶上人坐像(重文)特別拝観》
期間中の 4 月 12 日には東大寺公慶堂の特別拝観も行われ、江戸時代に大仏さまを復興された公慶上人の坐像(重文)を参拝していただけます。
期 間:4 月 12 日(日)10 時~16 時 場 所:東大寺公慶堂(大仏殿西 50m)
拝観料:大人 500 円(中学生以上) 小学生以下無料 団体割引なし


私も昨日、拝観してきました。豪華華麗な「東大寺本坊襖絵」には目を見張りました。お庭のしだれ桜もきれいに咲いていて、日頃は入ることのできない本坊のたたずまいをのんびりと味わうことが出来ます。

一般公開は今日まで。県立美術館ともども、ぜひ足をお運びください!
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リニアを奈良に!鉄道写真コンテスト、5月10日(金)必着です!(2015Topic)

2015年04月11日 | お知らせ
リニア新駅の誘致に取り組んでいる奈良市(観光経済部リニア推進課)は、こんな写真を募集している。5月10日(金)必着で、早くも5月17日(日)には「ならファミリー イベント会場」で結果が発表される。要領は以下のとおりである。

作品募集中!写真コンテスト 鉄道写真家・広田尚敬さんらが審査!
リニア新駅を奈良市に!未来に残したい、奈良を感じる鉄道写真コンテスト
5月17日(日)ならファミリー イベント会場で金賞・銀賞・キッズ賞発表

奈良市では、リニア中央新幹線の新駅誘致に取り組んでいます。将来、リニアをはじめとした様々な鉄道が走る、豊かな奈良市になる事を願って、この度、写真コンテストを開催します。鉄道写真家・広田尚敬氏に直接作品を見ていただくチャンスです。皆様の力作、ご応募お待ちしています。

奈良県内で撮影された「奈良を感じる鉄道写真」もしくは、リニア中央新幹線の写真を募集します。鉄道の写真だけでなく、駅舎、線路、駅標識、大仏鉄道跡などの廃線、車窓の風景、昔懐かしい鉄道風景など、鉄道にゆかりのある奈良の風景や、魅力あるリニアの写真を募集します。

応募内容
写真作品と、コメント200文字以内を募集します。一般部門、キッズ部門(中学生以下対象・中学生以下であっても一般部門への応募は可能)の2部門です。

応募期間
平成27年3月20日(金)~平成27年5月10日(日)必着

応募資格
どなたでも応募できます。国籍などは問いません。

審 査
選考者 広田尚敬氏(鉄道写真家)、斉藤雪乃氏(タレント)
賞 品
 リニア新駅を奈良市に!金賞 1名 (旅行券10,000円・広田尚敬氏&斉藤雪乃氏直筆サイン)
 リニア新駅を奈良市に!銀賞 2名 (旅行券5,000円)
 リニア新駅を奈良市に!キッズ賞 1名(奈良市リニア招き鹿:りにまねぬいぐるみ・L0系車両グッズ)
 ※金賞・銀賞については広田氏、キッズ賞については斉藤氏による選考となります。

審査基準
(1)鉄道風景を通じて、奈良の魅力が伝わることを審査基準とします。
(2)リニア中央新幹線の魅力が伝わることを審査基準とします。

結果発表
平成27年5月17日(日)「リニアを奈良市に招こう!鉄道フェスタ」
ならファミリーイベント会場(13時半~14時半)


詳細は奈良市の公式HPに出ている。リニア新駅(中間駅)については、京都から横やりが入っているほか、県内でも奈良市、大和郡山市、生駒市が綱引きを続けているところだ。県民としては、とにかく「最低でも県内」と訴えたい。

今回のコンテストは、携帯やスマホの写真でも応募できるので、「たまたま撮れたいい写真」も歓迎だ(300KB以上)。皆さん、ぜひご応募を!


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