tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の『山に祈る~峯寺(みねじ)老僧随想録~』レビュー

2024年01月21日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈『山に祈る~峯寺老僧随想録~』を読んで…〉(師のブログ 2015.2.25 付)である。真言宗の機関誌「六大新報」に寄稿された書評である。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

『山に祈る』著者の松浦快芳大僧正は、峯寺(島根県雲南市)の名誉住職である。利典師は〈山あいの風土に溶け込んだ老僧の人柄と、まさにローカリズムを生きることの豊かさを教えてくれる〉と評されているように、いかにも「近代と戦う山伏」らしい書評をお書きである。以下に全文を紹介する。

先日少し書いた『山に祈る~峯寺老僧随想録~』の書評が、六大新報の2月25日号に掲載された。ちょっと分量が多すぎたので、200字ほどカットされたが、読み返して、まあ、頑張って書いていると思う。以下、オリジナルの文章を貼り付けます。掲載された方が良い仕上がりになってはいますが、よろしければご覧下さい。

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松浦快芳著『山に祈る~峯寺老僧随想録~』(山陰中央新報社刊)を読んで…
知人を介して、峯寺の名誉住職松浦快芳大僧正が刊行された随筆集『山に祈る~峯寺老僧随想録~』(山陰中央新報社刊)の書評を書いてくれないかと申し出があった。

小生のような愚禿(ぐとく)が、先徳の著書に書評など、おこがましいことだと逡巡していたが、手元に届いた玉稿を読ませて頂いて、私自身、とても大きな教えを得ることが出来た。とても有り難かった。そのお話を書こうと思う。

私の生涯のテーマは「修験道を通してみた近代主義との戦い」である。私は奈良県吉野山にある修験道の根本道場・金峯山寺に暮らしているが、修験道は明治初年の神仏分離政策と、そのあとにつづく修験道廃止令によって大法難に遭遇する。金峯山寺も一時期廃寺とされ、また全国にあった修験霊山の多くは解体されて、修験道そのものが廃絶の危機を迎えたのである。

さてこの神仏分離政策、修験道廃止とはいったいなんだったのかを考えると、行き着くところは日本の近代化という背景にぶち当たる。欧米諸国による植民地化が進むアジアにおいて、植民地にされないためにも、その当時の国策として日本は近代化による富国強兵を急がないといけない事情があった。

そのためには国民国家への社会機構や習俗の作り替えが急務とされ、その精神的な支柱である国家神道確立に伴う、神仏分離や修験道廃止が必然となった。幸い、日本はアジア諸国でいち早く近代化に成功し、それにより植民地となる難を逃れたのも事実である。

ところで、その近代化がもたらした欧米主義によるグローバリゼーションによって、世界は本当に幸せになったのだろうか。近代社会が人類を幸福に導くという幻想は、そろそろ終わりつつあるのだはないか、という現実に我々はいま直面している。

過度な物質文明社会は人間性を疎外し、理由なき殺人を行う若者や尊属殺人を生み、また文明社会の精緻を集めた原子力発電は、福島原発事故に際して先祖代々受け継いで来た土地を奪われた同胞たちを生んだ。

さらに世界に目を向ければ、文明の衝突とも言える、欧米諸国とイスラム世界の絶望的な相克を思うとき、私たち人類の未来に希望の光はあるのだろうかと、立ち尽くす日々である。

翻ってみれば、近代がヨーロッパ社会で生まれて以降、世界はユニバーサル、あるいはグローバルという美名のもとに、一つの価値観で画一化することを目指してきた。ユニバーサルもグローバルも普遍性を持っているという理解なのである。

そして現にいまもグローバリゼーションという嵐によって、その土地の文化、その土地の風土が世界中で破壊され続けている。

修験道もまた日本の近代化の生け贄とされたのだった。しかしその風土、その土地で生まれたものを大事にすることのほうが、人類や地球にとっては普遍的なことなのではないか、私はそう気づいたのである。それを私は「近代主義との戦い」と呼んでいる。

日本も又、明治以降、近代化の美名のもとに欧米的な価値観を植え付けられてしまったわけだが、いままさに、あらためて自分たちの風土を見つめ直して、その文化を耕していくことが求められていると言っていいだろう。その鍵を握るのは私はグローバルからローカリズムへの転換だと思っている。私にとっての「修験道を通してみた近代との戦い」とは新たなローカリズムへの目覚めという段階までに進んできた。

ところが、実はそれをどう具現化するのか、戦後のグローバル洗脳世代の私にはなかなか難しい課題である。その難問に見事に答えていただいたのが、本書『山に祈る』であった。

峯寺は修験道の開祖役行者の由緒も伝える出雲の国の山間に位置する古刹である。その峯寺に住し、四季折々の移ろいの中で、壇信徒とともに自然に学び、茶道をたしなみ、長年にわたりユースホステルを営み、訪れる若者や、お迎えしたチベットの高僧たちとの交流を楽しむ。

そこには愛犬ポチがいて、出雲神話も息づいている。その日々は山あいの風土に溶け込んだ老僧の人柄と、まさにローカリズムを生きることの豊かさを教えてくれる。本書のあじわいはそこにあると私は感じている。

文中に出る一節がある。〈小坊さんが大きくなっていかっしゃる間には、難儀なこともある。困ったときはね、この山に登って胸を張ってね。大きな息をしてみなはい」。正月の山頂は、風が冷たく身に沁みる。今川おじさんは話に一区切りをつけると、「さあ」と、私の背中をおしてくれて下山の途に就いた…〉。

冒頭から「近代との戦い」などと大仰なことを言ったが、時代はかわり、生活も大きく変化していくといえども、里山や四季の寒暖のなかで、細やかに生きる風景を私達は失ってはいけないと、そう教えていただいたのだった。 (金峯山寺宗務総長 田中利典)
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2月11日の奇祭・砂かけ祭で知られる廣瀬大社(河合町)/毎日新聞「やまとの神さま」第70回

2024年01月20日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。早いもので、今回(2024.1.18 付)で70回を迎えた。今回は〈河川群交わる地に水神/廣瀬大社(河合町)〉、執筆者は同会会員で、京都市在住の砂田信夫さんだった。
※トップ写真は、廣瀬大社の拝殿=河合町川合で

廣瀬大社は古くから「水の神」として知られ、「風の神」の龍田大社(三郷町)と合わせて祭られ、かつては2つの神社に毎年4月と7月、勅使が遣わされていた。では、全文を紹介する。

廣瀬大社(北葛城郡河合町)
廣瀬大社(河合町)は、大和川、飛鳥川、曽我川など奈良盆地を流れる多くの河川が合流する地に鎮座します。このため、主祭神は水をつかさどる若宇加能売命(わかうかのめのみこと)(大忌神=おおいみのかみ)です。山谷の悪水を良水に変え、河川の氾濫を防ぐ神であり、五穀豊穣(ほうじょう)と人々の食物を守る「御膳神(みけつかみ)」としても信仰されています。

大社の縁起では、紀元前89年、龍神から「沼から去る」とお告げがあり、一夜にして沼が陸地に変わり、橘(たちばな)の木が数多く生えたため、崇神(すじん)天皇が社を創建されたと伝わります。今でも砂地の境内にご神木の橘があります。

日本書紀によると、その後、天武天皇は「風水を治めれば天下が安泰する」との信仰から、朝廷より官人を遣わし、龍田大社(三郷町)の龍田風神(たつたかぜのかみ)と一対の神として大忌神をこの地「廣瀬乃河曲(ひろせのかわはら)」に祭りました。これが「大忌祭(おおいみのまつり)」の始まりです。かつては毎年4月4日と7月4日に行われましたが、現在は8月21日に開かれています。

大忌祭の中で砂を掛け合う一行事が、2月11日に行われる奇祭「砂かけ祭」(御田植祭)として今に継承されています。何度も激しく宙を舞う境内の砂は、恵みの雨水に見立てられ、田植えの無事を祈る人々の強い祈りが込められています。(奈良まほろばソムリエの会会員 砂田信夫)

(住 所)北葛城郡河合町川合99
(主祭神)若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
(交 通)近鉄池部駅から北東へ徒歩約20分、JR法隆寺駅から南東へ徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0745・56・2065


コメント (2)
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田中利典師の「能 春日龍神」鑑賞記

2024年01月19日 | 田中利典師曰く
「田中利典師曰く」、朝日新聞連載の紹介が終わったので、今回から師のブログ記事の紹介に戻る。今日は「能 春日龍神」(師のブログ 2015.1.21 付)、NHK奈良放送局による「能 春日龍神」(於:奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~)の鑑賞記である。
※トップ写真は、フリー素材サイト「ぱくたそ」から拝借した

師は〈昔の人たちは、とても細やかに生きていたのだなあという感想である。近代の幕開け以降、年を経るほどに、日本人の消費生活が蔓延して、おおざっぱで無教養な生活が広がっているように思えてならない〉とお書きである。確かにテレビをつけると「おおざっぱで無教養な」番組が多いので、それが原因かも知れない。では以下に全文を紹介する。

「能 春日龍神」
今日は奈良県新公会堂で行われた「能 春日龍神」に招かれて、行ってきた。大変勉強になったし、素晴らしい公演と催しだった。昨夜の睡眠不足で、第1部「観世流 能 春日龍神」は前半部分で気絶するような睡魔に襲われていつものように恥ずかしながら、しばらく墜ちたが、後半の春日龍神が出てくるところからは刮目して観劇した。

また幕間のトークセッションと能楽ワークショップもよかったが、第2部の対談「春日龍神と大和の能」西山厚 vs 大倉源次郎両師の対談はとりわけ素晴らしかった。西山先生はあいかわらずずぬけて面白く深い。また大倉宗家のお話も深くてわかりやすかった。宗家には時間がちょっと足りないかなと思った。

第3部の幽玄×デジタルの春日龍神は新しい試みとして、能の現代的な可能性に挑戦した映像作家・花房伸行さんと能楽師・武田宗典さんとのコラボもよかった。いずれにしろ、今回呼んでくれたNHK奈良放送局の荒木アナの企画と進行役としての活躍を賞賛したい。

10数年前に企画した金峯山寺での蔵王権現能の催行以来、能楽などまったく門外漢にもかかわらず、能楽とのご縁が続いている。権現能は昨年、大槻文蔵・裕一さん親子の「二人静」奉納舞台を行うなど継続しているし、能楽をテーマにしたトークセッションやシンポにもときどき呼ばれるようなことになっている。なにしろ国立能楽堂のリーフレットの冒頭文章を書いたことさえある。

しかしそれでもなかなか能楽はいまだ難しい、というのが正直な感想。自分の不勉強と教養のなさを棚に上げて申し訳ないが、それでもまあ平均的日本人としてはましな方だと思う私が難しいのだから、日本国民の多くがそう思っているといってもいいかもしれない。そういった中で、今回のNHK奈良放送局による試みは能楽振興にはとても大きな一歩を記すことになるのではないかと思った。

それから、能楽を見ていつも思うし、今回も思ったが、昔の人たちは、とても細やかに生きていたのだなあという感想である。近代の幕開け以降、年を経るほどに、日本人の消費生活が蔓延して、おおざっぱで無教養な生活が広がっているように思えてならない。

私のテーマである「近代との戦い」は私にとって、「グローバルとローカルを考える」というキーワードまでたどり着いたが、能楽もそこを抜きには語れないのではと、新たな学びをいただいた今日の観劇であった。
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おめでとうございます、鶴舞東町の「万惣」さんが40周年!

2024年01月18日 | 奈良にこだわる
日曜日(2024.1.14 11:00~16:00)、「小粋料理 万惣(まんそう)」(奈良市鶴舞東町2-26 サンクレイン201)さんの開店40周年記念パーティが、「奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~別館」(もと奈良公園シルクロード交流館)で開催された、おめでとうございます!写真で、楽しかったパーティの模様を振り返ることにしたい。


開会のご挨拶、ご店主・長田耕爾さんと奥さん


主賓として挨拶された石村由起子さん(くるみの木代表)と、乾杯ご発声の仲川げん市長

当日のご参加者は、スタッフを含めて約160人だった。飲食コーナーでは、約10店舗が料理を提供された。お酒もたっぷりあった。いただいたご案内状に、お店の名前が出ていた。









Bar Savant(バー・サヴァン)、焼肉とみや、中華料理 桂花、元町 NEWS、寿司れんと、クレープ faji、642ピザ、too-hua、キッチンカーcucu、唐揚げ紅鶏冠、万惣







途中から、長田さんによる列席者の紹介があった。奈良市内の高級店でよく顔を合わせるお客さんや、同業者の方もたくさん来られていた。国会議員は、自由民主党の小林茂樹さんと立憲民主党の馬淵澄夫さん。


どじょうすくいのパフォーマンス


別所有可さんも、お見えになっていた



この日の新たな発見は、上の写真の「豆花(トゥファ)」という台湾のデザートだった。固めた豆乳の上に小豆やさつま芋の団子、ピーナツの載せ、シロップをかけた冷製スイーツである。台湾では時期を問わず、いつでもよく食されているそうだ。

それにしても160人もの人が駆けつけたとは、長田さんの吸引力はスゴい。これからも皆さんのお力に支えられて、末長くおいしいお料理を提供し続けていただきたいものだ。長田さん、ご招待、ありがとうございました!
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田中利典師の「修験道ルネサンス」(朝日新聞「人生あおによし」第20回)

2024年01月17日 | 田中利典師曰く
田中利典師の「人生あおによし」(朝日新聞奈良版に2014年11月9日から20回掲載)、私は2023年12月4日から断続的に紹介させていただいたが、いよいよ今日で最終回となった。最終回にふさわしく、タイトルは「修験道ルネサンス」だ。
※写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

修験道では、人工物ばかりの都市で病んだ心を修行で回復させる。私は、これは養老孟司氏の『唯脳論』(ちくま学芸文庫)での主張と同じだ、と気がついて〈「脳化社会」と修験道〉という文章を奈良新聞に寄稿したことがある。近代と戦う山伏・利典師の面目躍如である。以下に全文を紹介する。

修験道ルネサンス
暑ければ冷房、寒ければ暖房、移動は車や飛行機で、電子レンジに冷蔵庫……便利なもの、体が楽をできるものばかりが増えました。高度な物質文明社会の発展は肉体が楽することばかりを優先する結果、主であるべき精神が肉体に隷属する社会を現出させています。肉体の楽を優先する社会は心が置き去りにされる社会でもあります。そしてついには魂をもって生きている現実感さえ喪失させてしまいます。

山に入って過酷な日々を行ずると、日常生活が怠惰であればあるほど、肉体の痛みや苦しみを伴います。峻厳な山や谷を駆け抜けるとき、肉体と心が対峙して葛藤する。それが高まると、自分の存在を超えた神仏や曼荼羅の世界が目の前に出現します。そこで初めて、人間の命のありがたさやその肯定が始まるのです。

大峯奥駈への参加希望者の多くは、日常からの現実逃避ではなく、息苦しい現代社会の中で自分を前向きに変えたい、打開したいという気持ちからの参加です。「心の時代」と言われて久しい中で、私は「修験道ルネサンス」を提唱してきました。ポスト近代への、生命と魂の反撃が始まったのだと感じます。

修験道の賞味期限はまだまだ切れていません。物質文明社会が行き詰まり、自然が猛威を振るう今の時代だからこそ、その精神が求められていると私は思っています。
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