【弾けはじめたサンシュウの花】
前に拙ブログ(「求めない すると-」2008-03-09)で「老子」について書いた。
また、(「「閑」を求めて」2008-03-28)の続きだが、加島祥造の著書「伊那谷の老子」に、彼の「老子」体験談がありとても興味深いものがあった。(初の老子体験)
その中で、寺田寅彦の随筆に「老子」は漢学者の訳では理解できなかったがドイツ語訳を読んでおもしろくよくわかったことが書かれていた。加島自身も「老子」の英語訳を読んで、偶然寺田とまったく同じような体験をしていた。日本の「老子」訳や注釈文より明快であったことが書かれていた。
ブルーナーはその著「教育の過程」の中で、どんなに難しいことも、どんな年齢の、誰にでも教えることができるとの命題からいろいろなテーマを論じている。
そうであれば、我々凡人にも理解できるようなかみ砕いた教材が欲しいところである。
今、かみ砕かれた加島の現代詩で「老子」を読むことができ、ありがたいと思っている。「老子」をもっと身近にしたいと思っているが、「老子」の示す心の動き、豊かな生き方に通じる心が少し分かってきたような気がしている。
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3/30
今日、親類のKさんの奥さんの告別式に参列した。昨年お盆のお墓参りにはお目に掛からず、そのころから体調を崩されたようだ。式では、一緒に俳句を愉しんいたお仲間からの弔辞、弔句が捧げられた。晩年はよく吟行を楽しんでいたと聞いた。
いつも別れは辛いが、翻り、いつも今を精一杯に生きなければとの思いを強くしている。