エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

文藝春秋

2009-04-14 | 文芸
           【カイドウ ヒヨドリ ジンチョウゲ】

 文藝春秋5月号が発売になった。
 いつものように短大の図書館でゆっくり読ませてもらった。満開のサクラのもと、新入生が所々に集い、お昼を食べていた。新しいスタートを切ったキャンパス風景を見た。

《ご成婚五十周年大特集》関連の記事や《小沢一郎の罪と罰》などがメインのようだが、
○半藤一利氏の「明治維新は非情の改革だった」そして、藤原正彦氏の「父・新田次郎の背を追って」は面白かった。
 他に、○櫻井よし子氏の「地球温暖化の詐欺を暴く」 ○青木新門氏の「私が出合った幸福な死 ─「おくりびと」と「納棺夫日記」」 ○中曽根康弘/金子兜太氏の「宰相は俳句で磨かれる」など、今月号は私には興味深い記事が沢山あった。

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●半藤氏の「明治維新は非情の改革だった」表題には「伊藤博文もテロリスト」「維新は権力闘争だった」などとあった。反薩長の歴史解釈が小気味よかった。
 お父さまが長岡の出身、やはり血筋がそうさせるのだろう、明治維新の戊辰戦争は東北や越後の諸藩に対する侵略戦争に他ならないと断言する。世間でまかり通っているのは、薩長が自分たちの革命を正当化した薩長史観だと薩長を痛烈に批判している。最近、薩長史観に異議を唱えて、「幕末史」を著した。是非読みたいと思っている。
  
●「父・新田次郎の背を追って」は、あの「国家の品格」の著者・藤原正彦氏が3月に大学を退官されたときの記念講演の内容だ。
これまで歩んだ道のりをふり返り、数学と文学の違いを述べていた。

・終戦後の貧しい生活の中、幼いこころに豊かさと幸せには何の相関関係もない事実がはっきり刻み込まれた。
・これからは、経済の修復より社会や人間や自然の修復が急務だ。
・数学と文学の違いは、共に永遠を希求しながら文学は有限の人生を意識し、数学は人間、時間、空間から超越している、むしろ無限を意識している。
・夜中に浮かぶインスピレーションについて、数学と文学の違い。文学の場合は夜中のひらめきが、起きてからも残っている。思考パターンが文学に関係が深いからと言う。
・数学の真理を追究する上で大切な資質はIQや偏差値ではなく美的感受性これは日本のお家芸である。
・日本人の著しい美的感受性について、それらを育んできたのは繊細で美しい自然である
・数学は日々の進歩がなく、文学にはある。オール・オア・ナッシングである数学、文学は時間をかければ誰でも才能と努力に見合った作品書ける。
・仕事を成し遂げるに大切な3要素は ①野心 ②執着心 ③楽観的であること
・人間のもっとも深い情緒は例外なく死に関係している。有限の人生を意識しているからこそ文学も芸術も永遠を希求する。数学も同じだが、有限な存在を意識せずに抽象世界を進む。
 
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