昨日の会津大学での自然観察会で、池のまわりに「会津第七木・要七木の由来」説明板があり、それらの木々が展示植栽されていることを知った。
池にはトンボの観察に何度も訪れていたのに、それら植栽に目が向かなかった。
江戸時代初期に会津藩主保科正之(1611-72)が山林資源と藩用材の確保を目的に
「会津事始(慶安2年(1645))」の中に「七期八草竹林御定法之事」を定めた。
案内板には、その「七期八草竹林御定法之事」が載っていた。
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「七期八草竹林御定法之事」
覚
一、 漆木・桑・明桧・杉・槻・松・モチノ木以上第七木と称し下知なく猥に伐べからず。
一、 カヤ・胡桃・朴木(ほうのき)・桐木・栗・榛(はんのき)・梅以上要七木と称し四民これを設置し子孫に伝うべく事。
一、 牡丹・芍薬(しゃくやく)・蓮・桔梗・蕨・山葵・独活・砥草以上八草と称し人家用足しの者無用に捨てるべからず。
一、 李・梨・柿・竹以上四壁竹木と称し、裏地屋敷成りとも長ずべし。
右条に四民永代になし要物仰せ出され処念を入れ堅く相守るべく者也。
慶安二年十二月
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会津藩が 「山林保護」「殖産効果」「災害等による建築材、治水材の確保」等のためとして定めた理念に感銘を受けた。
実に400年も前の、正に自然保護の思想でもある。
そしてこれらは現在も会津地域の山林保護に引き継がれていると思う。
7日に体験する「ウルシ林見学会」もその一つでもあるのだろう。