都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
暑い日が続きます。昨日は32℃、今日は35度の予報です。アイスノンもお手上げ状態の暑さです。みなさまも夏バテなさらぬよう御注意下さい。
今日は夏野菜について考えてみましょう。
夏野菜(なつやさい)には、キュウリ、ナス、トマト、ピーマン、オクラ、トウモロコシ、カボチャ、ズッキーニなどがあります。
カロチン、ビタミンC、ビタミンEなどを多く含む野菜が多く、夏ばてなどに効果が高いといいます。夏野菜は身体の熱をとってくれるのだそうです。
中でも代表的なのが「キュウリ」。酢の物にしたり、マヨネーズをかけたり、味噌をつけたりして食べます。キュウリに味噌はたまりません。
キュウリの原産地は北部インド、ネパールにかけてと言われています。ヒマラヤ山麓のインド北東部シッキム地方には、野生のキュウリが今もあるするそうです。この野生のキュウリは苦みが強く、食用には向きません。
西アジアでは、3,000年も前からキュウリは食用として栽培されていたとの記録があるそうです。
ピラミッド時代のエジプトでも栽培され、旧約聖書にもモーゼに率いられてエジプトを脱出するユダヤ人が、キュウリを食べていたことがかかれているそうです。
一方、中国には漢の時代に、漢の武帝から西域諸国に派遣された、有名な探検家・張騫が持ち帰ったものとされていますが、実際は、それ以前から伝わっていたとも言われています。
ちょう‐けん〔チヤウ‐〕【張騫】
[?~前114]中国、前漢の外交家。成固(陝西(せんせい)省)の人。字(あざな)は子文。匈奴(きょうど)挟撃のため武帝の命で大月氏(だいげっし)に派遣され、途中匈奴に捕らえられたが脱出して大月氏へ到着。同盟が成功しなかったので、帰国途中で再び匈奴の捕虜となり、13年目に帰国。その後イリ地域の烏孫(うそん)にも派遣され、東西文化・交易の発展に大きな役割を果たした。
大辞泉
日本には中国を経て、古代に伝わって来ており、天平の古文書に黄瓜(キウリ)の名が記載されています。
キユウリは黄瓜の名で天平年間(飛鳥時代)の記録に残っていますが、平安時代の『本草和名(918年)』には、各種の瓜が登場します。青瓜、斑瓜、白瓜、熟瓜(ホソチ)、寒瓜、冬瓜などと共に、黄瓜の名も載っています。また、『延喜式(927年)』には、宮廷の内膳司の畑で茄子や葱などと一緒に熟瓜・胡瓜が作られていたとの記載があのます。ちなみに、「熟瓜」とは「まくわうり」の事です。
ないぜん‐し【内×膳司】
律令制で、宮内省に属し、天皇の食事をつかさどった役所。うちのかしわでのつかさ。
大辞泉
一般に「キュウリ」と呼ばれていますが、本来、和名は「きうり」であり、中国では「胡瓜」または「黄瓜」と書きます。この「黄瓜」を音読みしたのが、「キウリ」です。
ところで、胡瓜の「胡」の文字は、古来、中国では西方の夷(野蛮人)を指し、次いでは西域地方・シルクロード自体を意味する様になりました。だから、胡瓜とは西方の野蛮人の瓜という意味になります。同様に、「胡」の文字を含む胡桃(クルミ)、胡麻(ゴマ)、胡豆(ソラマメ)、胡椒(コショウ)なども、西域から伝わって来た作物(食物)なのです。
ところで、キュウリの果実は多肉多汁質で、その重量の95%が水分です。果肉中には小さな種子が縦に列をなして並んでいます。日本では緑の果実を、生(サラダ、酢の物等)あるいは漬物として食べますが、中国では完熟し、黄色くなったものを煮て食べるそうです。酢豚にキュウリが入っていることがありますが、本来は黄色いものなのかもしれません。
そこで黄色く熟した瓜と言う意味で、中国では「黄瓜」と書くのです。
したっけ。