都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
七夕(しちせき)は、旧暦の7月7日の夜のことであるが、日本では明治改暦以降、お盆が7月か8月に分かれるように7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕が行われる。五節句の一つにも数えられる。北海道では一部地域を除いて8月7日に行われる。
雛祭ってなんだ。五節句って何だ。
http://blog.goo.ne.jp/tudukimituo1028/d/20090219
古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や棚幡と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいうことです。
織女と牽牛が天の河を越えて逢うという話は古代中国で成立した『星合伝説』とよばれるもの。そして、七夕の原型になった乞巧奠(きっこうでん)は,実は『星合伝説』とは別物として南北朝時代の中国で行われていたもの。この二つが7世紀に中国の唐王朝からわが国に相前後して伝えられ、奈良時代以降にお互い融合しました。
さらに日本(倭)に古来より伝わる棚機津女(たなばたつめ)の神事とも結びついて、平安時代になると、織女と牽牛が前面に現れて「たなばた」という名称で呼ばれる乞巧奠(きっこうでん)の宮廷行事が行われるようになったというわけです。これが、いわゆる日本独自の七夕行事の始まりとされます。
きっこう‐でん〔キツカウ‐〕【×乞巧×奠】
陰暦7月7日の行事。女子が手芸・裁縫などの上達を祈ったもの。もと中国の行事で、日本でも奈良時代、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機女(たなばたつめ)の伝説や祓(はら)えの行事と結びつき、民間にも普及して現在の七夕行事となった。乞巧祭会(きこうさいえ)。きこうでん。《季 秋》
大辞泉
元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。
棚機津女(たなばたつめ)は、古事記に記されている伝承です。
七夕とは「田の端」「種播(たなはた:水口のこと)」の転じであるとも言われ、水にとても関係が深いのです。
手巾(たな)とは神の纏う(まと・う)物忌み布の事で、それを織る娘を棚機津女(たなばたつめ)と呼びます。
伝承では、棚機津女は巫女とされています。棚機津女は年ごとに村の中から一人選ばれ、旧暦の7月7日に人里離れた水辺の機屋の中で、その夫たる神様をその衣を織りながら待ちます。訪れた夫神は棚機津女の村に豊穣を授け、代わりに穢れを持って立ち去ります。
夫たる神の役目は誰が行ったかは分かりません。古代宗教において性はタブーではありません。田植神事でも、田んぼで男女が交わり豊作を祈願しました。
たな‐ばた【棚機・七夕】
(棚すなわち横板のついた織機の意)
「たなばたつめ」の略。古事記上「あめなるやおと―のうながせる」
五節句の一。天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に1度相会するという、7月7日の夜、星を祭る年中行事。中国伝来の乞巧奠キコウデンの風習と日本の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭。 秋 。蜻蛉日記上「祓ひのほども過ぎぬらん、―は明日ばかりと思ふ」
広辞苑
小説「七夕・隣の客」の中で七夕について書いていますので参考にしてください。
http://blog.goo.ne.jp/tudukimituo1028/d/20090707
したっけ。