都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
『円高の今、海外旅行に行くなら?』なんなんだよ。言葉を省略するなよ。なんでも省略すりやあいいってモンじゃないぜ
。
『円高の今、海外旅行に行くなら、どこへ行きますか?(場所)』とか、『円高の今、海外旅行に行くなら、なんで行きますか?(交通手段)(理由・目的)』なんとでも取れるじゃないか。
この時代、省エネは結構なことだけど、言葉の省略は誤解をうむかもしれない。特に海外となると、英語もろくに話せない。市民の喧嘩から始まった戦争もあるそうだぜ。ちゃんと意思を伝えようぜ。
あっ、そうそう『円高の今、海外旅行に行くなら?』だったな。船
で豪華に行こうが、どこに行こうが、わざわざ治安のいい日本はなれて、治安の悪い海外に行くことはないんじゃないか。テロだとか、誘拐だとか、事故だとか、いくら円高だからって、ぞろぞろでかけりゃ、鴨
が葱背負って歩いてるみたいなもんだぜ。
て、わけで出かけないだ。どうしてこんなに出不精なんだろう。
どうしても出かけろてんだったら、人口密度が低くて、涼しいトコだな。暑くてかなわんよ。ここは北海道だぜ。北海道より涼しくて、安全で、食いもんの旨いとこ・・・
。
したっけ。
「暗中模索」は字面(じづら)から見ると「暗闇の手さぐり」のこと、つまり「暗闇でわからない」のことに思えます。
日本では、暗闇の中だから、何がなんだかわけがわからず、手さぐりして何かをつかもうとしている状態の意味にとっています。
あんちゅう‐もさく【暗中模索】
[名](スル)1暗やみの中で、手さぐりしてあれこれ探し求めること。2 手掛かりのないまま、いろいろなことを試みること。「打開策を―する」
大辞泉
ところが、この言葉の出身地中国ではまるで反対の意味を表す言葉だそうです。
『隋唐佳話(ずいとうかわ)』という本にかかれた話。
唐の許敬宗(きょけいそう)という学者は、性が軽忽(けいこつ)、つまり、そそっかしく、人の顔をすぐ忘れてしまう癖があった。学者だから学問にかけては物憶えがいいのにどうしたものか、世間並みのことは非常識、人の顔を忘れたり、間違えたりする。
「あの男のそそっかしいのも困りものだ」・・・
それを伝え聞いた許先生のいわく「世に知られていないありふれた人間の顔なぞ記憶するのはむだに労力を費やすものである。私のようなあわて者だって、曾植(そうしょく)や謝霊運(しゃれいうん)(当時の有名人)と出合ったなら『暗中模索』でもわかるよ。」と言ったとあるそうです。
つまり、「暗闇の中でもすぐわかる」という意味で用いられたのです。
『隋唐佳話(ずいとうかわ)』
唐の劉錬の著。隋唐間の逸話をまとめてある
日本では、「五里霧の中にいる」という意味の「五里霧中」(『後漢書』張楷伝)と混同したのかもしれません。
「どこから手につけていいのやら『暗中模索』だよ。」といった場合は、中国流に解釈して、まず手さぐりしてみてでも始めてみてはいかがでしょうか。案外簡単にきっかけがつかめるかもしれません。
保証はしませんが・・・。
したっけ。