都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
すい‐こう〔‐カウ〕【推×敲】
[名](スル)《唐の詩人賈島(かとう)が、「僧は推す月下の門」という自作の詩句について、「推す」を「敲(たた)く」とすべきかどうか思い迷ったすえ、韓愈(かんゆ)に問うて、「敲」の字に改めたという故事から》詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすこと。「―を重ねる」「何度も―する」
大辞泉
時代は唐(とう:618年 - 690年・705年 - 907年)の中頃、賈島(かとう:779年~843年)は何度も科挙の試験に落第しておりましたが、出家して、無本と号して、あの空海ゆかりの長安の青竜寺に住んでおりました。ある時、都へ官吏の登用試験を受けるためにはるばるやってきた賈島が驢馬(ろば)にゆられながら1人、詩の創作にふけっていました。
「僧は推す月下の門」とできたのですが、どうも「推(お)す」を「敲(たた)く」にした方が良い気もする。さて、どっちが良いか?と迷い、驢馬の背で、推したり敲いたりを真似して考えあぐねていたところ、ある貴人の行列に行き当たってしまったのです。
そのまま衛兵に引き立てられたので、事情をつぶさに説明して非礼をわびたところ、貴人は怒るどころかしばし考え、
との答えたのです。その貴人は詩人としても名高い 韓愈(かんゆ:768年- 824年)その人だったのです。2人はそこで意気投合し、心ゆくまで詩を語り合いました。
これが「推敲」の語源となったのです。
ちなみに、その時できた詩は「李疑(りぎ)の幽居(ゆうきょ)に題す」という詩です。
閒居少鄰並,
草徑入荒園。
鳥宿池邊樹,
僧敲月下門。
過橋分野色,
移石動雲根。
暫去還來此,
幽期不負言。
閑居隣並少なく、
草径荒園に入る。
鳥は宿る池中の樹、
僧は敲く月下の門。
橋を過ぎて夜色を分かち、
石を移して雲根を動かす。
暫く去って還た此に来る、
幽期言に負(そむ)かず。
詩の背景ですが、李疑さんのところに友人の僧が尋ねるというものだそうです。
推すだと音が小さく、李疑さんは僧の来訪を知っている。敲くだと、来訪を知らずに知らせる意味がこめられている。この両方の話が思い浮かんで、どちらにするか悩んでいたようです。
賈島さんは話としていろいろ考えてしまい、韓愈は詩としての良さを考えたようです。「推す」より、「敲く」の方が、音が広がるので、詩として奥行きが出るということを教えたようです。
か‐とう〔‐タウ〕【賈島】
[779~843]中国、唐の詩人。范陽(河北省)の人。字(あざな)は浪仙。出家したが、韓愈(かんゆ)に詩才を認められて還俗(げんぞく)。五言律詩にすぐれる。「推敲(すいこう)」の故事で有名。著「賈浪仙長江集」など。
大辞泉
かん‐ゆ【韓愈】
[768~824]中国、唐の文学者・思想家。唐宋八大家の一人。昌黎(しょうれい)(河北省)の人ともいわれるが、河陽(河南省)の人。字(あざな)は退之。昌黎先生と称される。儒教、特に孟子を尊び、道教・仏教を排撃した。柳宗元とともに古文復興運動に努めた。
大辞泉
「推す」と「敲く」の違いは、言われてみると納得しますが、奥の深い話です。
「文章を書き直している」というより「文章を推敲している」といったほうが、深く考えているように聞こえませんか。言葉は不思議です。よく推敲してつかいましょう。
したっけ。