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都月満夫の短編小説集2

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「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

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「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「ひな祭りの起源と歴史」について考える

2012-03-01 07:38:08 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

今日から、いよいよ三月です。全国では春の足音が一段と高くなってくることでしょう。北海道はもう少し先になると思います。そこで今日から三日間は「ひな祭り」にかかわる話を書いてみます。

ひな祭り」は「五節供/五節句」のうちのひとつです。五節句とは、日本の季節の節目にお供え物をして、今までの感謝と今からの実り多き暮らしになるよう願う日本の心を表す伝統文化です。

一月七日の「人日の節供」、三月三日の「上巳の節供」、五月五日の「端午の節供」、七月七日の「七夕」、九月九日の「重陽の節供」の五つです。

三月三日の「上巳の節供」は、「桃の節句・ひな祭り」ともいわれます。これらの節日(せちにち)はいずれも中国伝来の要素が見られます。

一月七日は中国で「人日(じんじつ)」という。これは「東方朔(とうぼうさく/漢の文人)」の占書に、正月1日に鶏(とり)を占い、2日には狗(いぬ)を占い、3日には羊を占い、4日には猪(いのしし)を占い、5日には牛(うし)を占い、6日には馬を占い、7日には人を占うとあることによるものです。

Photo_3 三月三日は「上巳(じょうし)」といい、本来は3月初めの巳(み)の日で、五月五日の端午も五月初めの午(うま)の日だったそうです。「七夕(しちせき)は七月七日であり、九月九日の「重陽(ちょうよう)」は九が陽数でありそれが重なるからだったそうです。

日本におけるこの五つの節供は、文献によるとかならずしも固定したものではなかったようです。しかし、のちに「上巳」、「端午」はそれぞれ3日、5日と固定されるようになりました。

せち‐く【節供】

節日(せちにち)に供える供御(くご)。元旦の膳(ぜん)、正月15日の七草粥(ななくさがゆ)33日の草餅(くさもち)55日の粽(ちまき)77日の索餅(さくべい)10月初めの亥()の日の亥の子餅(もち)などの類。おせち。

大辞泉

中国には「曲水の宴(きょくすいのえん)」という、水辺に出て禊ぎ・祓いを行う風習があったそうです。これは、「秦の昭王の時代(?~前251)」から始まったといわれています。

「曲水の宴」は33日あるいは3月の上巳の日に催され、『蘭亭序』に353年の33日には曲水の宴が開かれたとあります。

らんていじょ【蘭亭序】

王羲之(おうぎし)が蘭亭の会のときに成った詩集「蘭亭集」に行書で書いた序文。原本は唐の太宗の陵墓に殉葬されたとされるが、種々の模本が伝わり、蘭亭帖・禊帖(けいじょう)ともよばれて行書の手本とされる。

大辞泉

この「曲水の宴」は日本にも伝わり、4853月に宮廷の儀式として催されたことが、「日本書紀」に記されているそうです。

曲水の宴」は水辺で杯を流し、詩を読むものだそうです。ゆるやかな水の流れに乗り杯が自分の前を通り過ぎるまでに詠めなければ、その杯に入ったお酒を飲むという風流な宴だったようです。

水の精霊に対する祭りのひとつとして、罪や穢れを流水に託して除去することが宴に変化していったのでしょう。

Photo_2 この曲水の宴は多く絵画化されていて、京都御所の御常御殿の襖(ふすま)にもその様子が描かれています。現代では、3月の最初の日曜日に太宰府天満宮でも『清らかな水の流れに、盃を流して禊祓の儀式』として催されています。奈良時代にはすでにこの宴は盛んであり、平安時代に入ってもますます盛大に行われていたようです。

その頃、上流の少女たちの間で「ひいな遊び」というものが行われていたことがわかっています。

Photo_4 紫式部の『源氏物語』に『ひひなあそびにも絵画い給うにも・・・』とあるそうです。

清少納言の『枕草子』にも「すぎにしかた恋しきもの、枯れ たる葵、ひひな遊びの調度」と記され、幼き日々の楽しい思い出となる遊びであることが書かれているそうです。

「ひいな(雛)」とはお「人形」のことです。紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶものだったようです。こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭りとなったとかんがえられます。

上巳の節句」が三月三日に定まったのは、室町時代(約600年前)頃のことと思われます。しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ今のひな祭りとはかけはなれた、「祓いの行事」の日でした。

この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、世の中が平和になった江戸時代からのことです

Photo

したっけ。

コメント (12)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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