都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「日向ぼっこ」とは、なんともうららかで気持ちのいい言葉だと思いませんか。
真夏の日向には出たくもありませんが、風のない春の日に、日当たりのいい縁台に腰掛け、うとうとと過ごすのは最高のひと時ではないでしょうか。
年寄りくさい?いいじゃありませんか・・・。
しかし、考えてみると「ぼっこ」って何でしょう。
ひなた‐ぼこり【日向ぼこり】
「ひなたぼっこ」に同じ。今昔物語集19「春の節トキになりて、日うららかにて、―もせむ、若菜も摘みなむと思ひて」
広辞苑
『今昔物語』(1120年頃)にあります(巻第19、第8:西京仕鷹者、見夢出家語)の中に「春の節に成りて日うららかにて日なた誇もせむ。若菜も摘なむと思ひて」とあるそうです。これが「日向ぼっこ」の語源だというのです。
つまり、「日向ぼっこ」は「日向誇り」が語源だというのです。「ぼっこ」は「誇り」の転訛した言葉という説です。「ひなたぼこり」、「ひなたぶくり」、「ひなたぼこう」、「ひなたぼこ」、「ひなたぼっこ」。
しかし、「誇り」といっても、「自慢に思う」ということではなく、「快適である」とか「意気揚々としている」という意味だそうです。
この説が、最有力だとされています。
ちなみに、若い女性が「ほっこり」という言葉を使うそうですが、語源は同じだそうです。
「なんかー、ほっこりしてぇー、超和むんじゃねぇ。」
これでは『今昔物語』も形無しです。
また、『杜詩続翠抄(1439頃)』八に見られる、「日向北向(ひなたほっかう)して身が暖に成りゆるゆるとなる也」が語源だとする説もあります。
「日向北向」とは、ひなたで北を向き背中を暖めるという意味だそうです。
「きなたほっこう」から「ひなたぼっこ」に転訛したというものです。
また、他の説では、「日向ぼっこ」の語源は「日向惚け在り(ひなたほうけあり)」で、日を浴びてほうけていることだそうです。これだと、日差しを浴びてボーッとしている雰囲気がありましね。
この「ほうけあり」が「ぼこり」さらに「ぼっこ」に転訛したのだというのです。
しかし、「ぼっこ」は「惚けている」という意味?これだと、うかうか「ひなたぼっこ」もしていられません。家族が心配しますから・・・。
したっけ。