都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「ペンギン」の語源はラテン語の「pinguis(肥満)」によるという説があります。
15世紀後半以降、大西洋を横断したスペインのタラ漁師が、北西大西洋のニューファンドランド島周辺に生息する飛べない潜水性の海鳥である「オオウミガラス」をスペイン語で「penguigo(ペンギーゴ:太っちょ)」と呼んだそうです。
16世紀にこの語が英語圏に入って「penguin(ペンギン)」となったとする説です。
「オオウミガラス」を「ペンギン」と呼び始めた頃、南半球を探検していたヨーロッパ人は、「オオウミガラス」に良く似た形態・生態をもつ海鳥を発見したそうです。この時、「オオウミガラス」と特に区別されず同じく「ペンギン」と称されていたようです。
この海鳥が、今で言う「ペンギン」だったのです。
「オオウミガラス」と「(南の)ペンギン」が「ペンギン」と呼ばれるようになったのはほとんど同時期だそうです。
この「オオウミガラス」は非常に「ペンギン」に似ています。現在の「ペンギン」と同じように海鳥で、空は飛べません。体長は約75cm、体重5kg程度だった言われています。
この鳥は250年もの間、人間に乱獲(らんかく)され続けたのです。警戒心がまったくなく、人を見ると興味を示し寄ってきたそうです。
珍しくもない鳥だったので、研究もされずに、満足な標本もなかったそうです。産業用(油をとるため)、食用だったのだそうです。
「オオウミガラス」は乱獲により17世紀ごろから激減し、初めて絶滅の危機に気づいたそうです。
このことが、かえって悲劇を招いたのです。各地の博物館などで標本が必要になり、コレクターにも高値で売れるようになってしまったのです。その行為がますます絶滅に手を貸してしまったのだ。
イギリス人は死体であっても高値をつけ、捕獲のために漁師をやとって容赦なくとり続けたそうです。
1820年頃、遂に「オオウミガラス」の繁殖地はアイスランド沖のウミガラス岩礁(Geirfuglasker)だけになった。この島は周囲を崖で囲まれていたため、人が近づくことができなかったそうです。
しかし、1830年に海底火山の噴火にともなう地震により、その小島が海に沈んだのです。この災害から生き残った50羽ほどが、近くのエルデイ(Eldey)という岩礁に移っりました。
この世に残った最後の二羽の「オオウミガラス」はそのエルディで抱卵中であったそうです。そこを捕獲のために上陸してきた漁師に襲われたのです。「オオウミガラス」は卵をあきらめて逃げようとしましたが、1羽は棍棒で殴り殺され、もう1羽は絞め殺されたそうです。そして抱卵中だった最後の卵も漁師に踏み潰されてしまったのです。
漁師たちは、それが最後の個体だということは知らなかったのです。
こうして、かつて北半球で「ペンギン」と呼ばれていた「オオウミガラス」は1844年6月4日(3日とも)に完全に絶滅したのだそうです。
これにともない、「ペンギン」は「南のペンギン」のみを指す言葉になったのです。
ですから、本来「ペンギン」と呼ばれた鳥は、現在存在していないのです。
北海道旭川市の「旭山動物園」では、冬期限定で「ペンギンの散歩」が見られます。
したっけ。