都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
みなさんは、「目から鱗(うろこ)が落ちる。」という言葉をご存じだと思います。また、実際に使ったこともあると思います。
何かがきっかけとなって、急に物事がよく見えるようになったり、誤りに気づいて迷いから覚めたりする時などに、「目から鱗(うろこ)落ちた!」などと表現します。
人間の目には鱗(うろこ)なんてついていないのに、どうしてこのような言い方をするのでしょう。
また、日本人の多くがこのことばは、日本や中国の故事などからきたことばだと思っているのではないかと思います。
英語でもまったく同じ表現があります。「The scales fell from my eyes!」と言うそうです。
実はこの語源は「聖書」からきているのです。
※第9章を掲載しますが、面倒なら飛ばしてください。
新約聖書『使徒行伝(しとぎょうでん)』第9章
1. さてサウロは、なおも主の弟子(でし)たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、
2. ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
3. ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
4. 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
5. そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
6. さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。
7. サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。
8. サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。
9. 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
10. さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。
11. そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人(びと)を尋ねなさい。彼はいま祈っている。
12. 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。
13. アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。
14. そして彼はここでも、御名(みな)をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。
15. しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
16. わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。
17. そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
18. するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
19. また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子(でし)たちと共に数日間を過ごしてから、
20. ただちに諸会堂でイエスのことを宣(の)べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめ