都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「赤い鳥小鳥」.
北原白秋作詞・成田為三作曲
赤い鳥 小鳥
なぜなぜ赤い
赤い実を食べた
白い鳥 小鳥
なぜなぜ白い
白い実を食べた
青い鳥 小鳥
なぜなぜ青い
青い実を食べた
この歌は、みなさんご存知だと思います。
この歌には「元歌」があったのは、ご存じないと思います。
北海道伝承唯一の「童謡(寝させ唄)」と言われる「赤い山青い山白い山(ねんねの寝た間)」という歌が帯広にあります。
「赤い山青い山白い山(ねんねの寝た間)」
十勝・帯広地方
ねんねの寝た間に 何しょいの
小豆餅の 橡餅や
赤い山へ持って行けば 赤い鳥がつっつく
青い山へ持って行けば 青い鳥がつっつく
白い山へ持って行けば 白い鳥がつつくよ
ねんねの寝た間に 何しょいの
小柏切り株 切り根っこ
赤い馬が曳いてみれば 赤い土がほれた
青い馬が曳いてみれば 青い草がちぎれた
白い馬が曳いてみれば 白い根っこが抜けたよ
「小豆餅」とは、土地のごちそうであったアンコロモチのことだそうです。「橡餅(とちもち)」は、橡の実を砕いて混ぜた餅で、どちらも珍しい菓子などない時代にはご馳走だったそうです。
「赤い山」は紅葉の秋、「青い山」は緑の春と夏、「白い山」は雪の冬-日高山脈の四季が歌い込まれているとされています。
童謡の創作や研究をしていた北原白秋は、この子守唄に感銘を受け、童謡「赤い鳥小鳥」を作ったといわれています。
白秋は児童文芸雑誌「赤い鳥」の創刊号1918年(大正7)年7月で「ねんねの寝た間に」として「赤い山青い山白い山」の歌詞を紹介。
エッセー集「お話・日本の童謡」1924年(大正13年)、(のち「日本童謡物語」「日本童謡ものがたり」と改題)の中で「この、赤い山・青い山・白い山のねんねん唄ほどすぐれたお山の童謡は日本にもありません」と絶賛した上で、自らの童謡「赤い鳥小鳥」について「この謡(うた)が本(もと)になってをります」と書いたそうです。
歌詞の初出は1907年(明治40年)の「日本民謡全集」(本郷書院出版)とされ、「子守唄(十勝国)」と付記されているそうです。
歌詞が活字に定着してほぼ1世紀。ルーツは不明でも帯広地方に定着した歌であることに変わりはありません。
ただ、1962年(昭和37年)、岩波文庫「わらべうた」で「帯広附近の子守唄」と紹介されたものの、発祥の地については異論もあり、道外から持ち込まれた歌なのか、帯広で誰かが創作したのかは明らかではないそうです。
―十勝毎日新聞の記事から引用しています―
「赤い山--」は1974年(昭和49年)、「NHKみんなのうた」で小柳ルミ子さんが歌い、一躍全国区の子守歌になりました。
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YouTube: 赤い山 青い山 白い山/小柳ルミ子
ということなのですが、みなさんご存知でしたか?
したっけ。