団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「招き猫に関する伝説」について考える

2013-04-10 10:05:48 | 似顔絵

■「豪徳寺」の起源説

江戸時代1650年代の末頃、当時貧乏寺だった「弘徳寺」の住職は一匹の猫をとても可愛がっておりました。

ある夏の日、門前に鷹狩り帰りの武将の一向が訪れ、「寺の前を通ったら猫が仕切りに手を挙げて招くので訪ねてみた。鷹狩り帰りで疲れているし、しばらく休憩させてくれ。」と言われます。

Photo そこで住職は一向を奥へ通して、渋茶などをふるまっていると、空が突然暗くなり激しい夕立になりました。そこで、一向は外に出られなくなり、住職は一向に説法を聞かせます。

それに感激した武将が実は自分は彦根の城主井伊掃部頭直孝であると素性をあきらかにし、「猫に招かれ、雨にも打たれず、ありがたい説法を聞く事もできた。これも何かの縁、今後ともよろしく頼む」と以降井伊家の菩提所ととなり、その法名から「豪徳寺」と改称し栄えたのです。

これも皆、武将を招き入れてくれた猫のお陰と、住職はその猫の没後、墓を建て手厚く葬り、後にこの猫をモデルにして「招福猫児(まねぎねこ)」という名前の人形を作り、それに願掛けすると吉が舞い込むと言い習わしたそうです。

これが現代の招き猫の元祖です。

鷹狩の帰りと覚しき武士五六騎、門前に馬乗り捨てゝ入り来り和尚に向い請えるよう

『我等今当寺の前を通行せんとするに、門前に猫一疋うずくまり居て我等を見て手をあげ頻りに招くさまのあまりに不審ければ訪ね入るなり。暫らく休息致させよ』

とありければ、和尚いそぎ奥へ招じ渋茶など差出しける内、天忽ち曇り夕立降り出し雷鳴り加りしが、和尚は心静かに三世因果の説法したりしかば、武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむ。

やがて『我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり。猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預ること是れ偏へに仏の因縁ならん。以来更に心安く頼み参らす』とて立帰られける。

いい‐なおたか【井伊直孝】

15901659]江戸初期の武将。直政の次子。近江国彦根藩主。大坂夏の陣に功を立て、徳川秀忠・家光・家綱3代に仕えた。

大辞泉

ごうとく‐じ【豪徳寺】

東京都世田谷区にある曹洞宗の寺。山号は大谿山。開創年代は文明年間(14691487)、開基は吉良忠政。もと弘徳寺と称し臨済宗。江戸時代に井伊直孝の菩提所(ぼだいしょ)となり、その法名から豪徳寺と改称。

大辞泉

また、同じ豪徳寺説でも別の話も有ります。直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていました。直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちました。雷に打たれずにすんだ事を感謝し、直孝は豪徳寺に多くのの寄進をした…という話です。

幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にあるそうです。

今戸神社が発祥の地説

Photo_2 いわゆる招き猫の登場は江戸時代で、一方、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりといわれております。

伝わるところでは、江戸末期の話で、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って言いました。自分の姿を今戸焼で造りなさい。そうすれば必ず福徳が授かるでしょうと言いました。

そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判だったとのことです。

今戸焼は、このあたりで16世紀頃から伝わる、素朴さに味のある焼き物です。落語ファンなら「今戸の狐」でおなじみですね。実際、江戸時代には狐や力士を象った土人形が好まれたそうです。

今戸神社

今戸神社(いまどじんじゃ)とは、東京都台東区今戸一丁目にある神社である。御祭神 御祭神として、応神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・福禄寿を祀っている

また、豪徳寺の招き猫は「徳招き猫」で、今戸神社のものは「福招き猫」と呼ばれたそうです。

Photo_3 Photo_6 Photo_5 Photo_4

この招き猫は挙げている手によって、その意味が変わります。

右手を挙げている招き猫はお金を招く昼の商売」、「左手を挙げている招き猫はお客を招く夜の商売」と言うのが現在一般的に定着している説の様です。

また手の高さにも意味があり、「耳より高い位置まで手を挙げているものは、遠くの福・大きな福を招くと言う意味があり」、「耳より下の位置で手を挙げているものは、身近な福・ささやかな福を招く」と言われています。

昔は「お手上げ」に通じるとして、忌み嫌われていた「両手挙げ」の招き猫も、この不況続きの日本では、そのイメージを払拭して最近では時々見かける様になりました。

招き猫には色にも意味があります。

白は福招き黒は除難免災赤は疫病避け、そして金はズバリ金運を招きます。

招き猫(まねきねこ)は、前足で人を招く形をした、猫の置物。猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあったが、養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物とされている。

Wikipediaより

Photo_7

したっけ。

コメント (12)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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