都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
猿といえば、赤い顔、赤いお尻、人間によく似た動物です。
インドでは、猿(ハヌマンラングール)はハヌマン神の使いであり、アフリカでは、猿(ヒヒ)は神聖なもの、中国では神秘な存在とみなされています。
古代エジプトでは、ヒヒは神や神の使者として崇められ、ミイラも作られました。
サルはウマを守ると言われ、厩(うまや)の守護とする伝承は、古く、広範囲に見られます。
孫悟空が天界に召されたとき、「弼馬温(ひつぱおん)」として天馬の厩を任されますが、これはインドの古いことわざ「ウマの病気がサルの頭上に集まる」というものが中国に伝来し、生まれた話のようです。
玉帝の御前にやってきた地上の妖仙、孫悟空。
御馬監の執事のポストがひとつあいていたので、「弼馬温(ひつばおん)」なる役職がつくられ、そこにおさまりました。
悟空は天馬たちの世話を熱心にやき、半月経過。仲間たちが歓迎会を開いてくれました。
たのしく飲んでいた悟空ですが、「弼馬温」という役職が下っ端の馬番だと知り、大激怒。
古来日本では、猿は神の使者と信じられています。そして、「サル」と「去る」の語呂合わせから、災いを取り去るという縁起物として知られています。
また、サルは馬を病気から守る動物として信じられ、室町時代(1392~1573)には猿を馬屋(厩)で飼う習慣があったそうです。
有名な日光の東照宮には、神馬(白馬)の馬屋があります。その出入口の上方の欄間にも猿の彫刻があり、中でも三猿(さんさる)はよく知られています。
この彫刻は「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三態を現し、世渡りの大切なポイントを暗示したといわれる傑作といわれています。
これも「サル」の語呂から「~ざる」と言ったしゃれた言い回しをしています。
■飛騨高山の「さるぼぼ」
「さるぼぼ」とは、飛騨高山で生まれた郷土人形で、その昔子供が産まれたときの御守として、玩具の代わりに与えられたそうです。
おばあちゃんが子供や孫にこつこつ作ってあげた「さるぼぼ」は子供たちの遊び道具として長く親しまれてきました。
「日本で一番古いぬいぐるみの原型」とも言われ、奈良時代に中国から伝わり、貴族の間で重宝されたようです。
また「さるぼぼ」とは、飛騨高山の言葉で「猿の赤ん坊」という意味になります。赤い顔と体が猿の赤ん坊に似ていることが由来です。
「猿」という読みをかけて、「災いが”さる”」、「家庭”猿”満(かていえんまん)」、「”猿(えん)”むすび(縁結び)」など、厄除けや縁結び、女性の安産のお守りとしても、「さるぼぼ」は重宝されています。
したっけ。