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都月満夫の短編小説集2

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「蜻蛉玉(とんぼだま)・美しき縁起物」について考える

2013-04-22 10:08:23 | アート・文化

蜻蛉玉(とんぼだま)」とは一般的に、「色ガラスでいろいろな模様をあしらった、穴のあいたガラス玉」のことを意味します

Photo_4 かつて「蜻蛉玉」は模様や形によって呼び名が分けられていましたが、現在では無地の玉も含めて、穴のあいた手作りのガラス玉を総称して、「蜻蛉玉」と呼んでいます。

起源は、紀元前16世紀のシリア・メソポタミアで、3000年以上にも渡り現在まで各地で作り続けられてきました。

ローマンビーズやシェブロンビーズというように、アンティークの「蜻蛉玉」には名前がついているものも多くあります。

Photo_2 ローマンビーズ

紀元前100年代から後300年代、アレキサンドリア(現エジプト). ゴールドバンド(アベンチュリン) Gold Band (Aventurine ). 金の粉などを溶かし込んだ金色のガラスを折り込む方法。

シェブロンビーズ

Photo_3 15世紀-19世紀1490年頃、ムラーノ島(イタリア)のマリア・バロヴィエ-ルという女性によって生み出されたビーズで、古代文様ロゼッタの花(小さなバラ)に由来して"Rosetta(ロゼッタ)"と呼ばれています。

通称名の"Chevrons(シェブロン:山型)"は、穴の部分を上から見たときに色の層のジグザグの形状に由来。上から見るとそれが星の形にも見えることから、中世よりスター・ビーズ(Star Beads)とも呼ばれています。

何層もの色ガラスを重ねて数メートルに引き延ばし、冷ました後にカット・研磨して作る、断面にある鋸歯のようなジグザグの模様が特徴のビーズ。7層のものが一番古いもののようですが、一番よくみかけるものは4層~6層の青色系のビーズで、層が多いものほど高価。

ガラスに色を付ける為にラピスラズリなどの鉱石を使っていた「蜻蛉玉」は、装飾品として珍重されたのはもちろんのこと、交易品として世界中に渡り、奴隷と交換されたこともありました。

日本では江戸時代に一般に知られるようになり、「蜻蛉玉」という日本特有の呼び名(欧米ではガラスビーズ)もこの頃からのものです。

Photo_5 ちなみに「蜻蛉玉の」「とんぼ」という呼び名は、昆虫のとんぼの複眼のようなとんぼ柄」をした美しい玉に由来し、江戸時代中期には、すでにその名称が一般的に使われていました。

享保17年(1732年)の『萬金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』(三宅也来 編)という当時の物産案内書に、とんぼ玉について次のような記述があります。

とんぼ玉

地は瑠璃、

或は白きに赤き花の散らし紋あり。

焼物の如く見えて、

至極うつくし。

深い赤味のある青や白色の地色に、赤い花の散らし模様がついている玉」、これを「蜻蛉玉」と呼んでいたことが分かります。

これらの「蜻蛉玉」や、蜻蛉玉が付いたかんざしや根付などは、江戸幕府の贅沢禁止令により、処罰の対象になりました。

何人もの蜻蛉玉職人たちが捕えられ、命を助けられても生涯蜻蛉玉を創ってはいけないと、誓約書まで書かされたようです。

Photo_6 そこで江戸の人たちは、かんざしの先に耳かきを付け「これは耳かきです」とごまかし、幕府の目を逃れたそうです。江戸庶民の反骨精神は痛快です。

現在でも、かんざしに耳かきが付いていることが多いのは、その名残なのです。

古事記』の雄略天皇の条に、吉野に狩に出かけた時腕にとまった虻(あぶ)を蜻蛉(とんぼ)が飛んできて食べたとあり、その時以来トンボは「勝利を呼び込む縁起のいい虫」すなわち「勝虫」とされているそうです。

また、蜻蛉は素早く飛び回り害虫を捕食し、また前にしか進まず退かないところから「不転退( 退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして武士に好まれたそうです。

Photo_7 紀元前のメソポタミアに発祥したとんぼ玉は、中国から弥生時代に日本に伝わったそうです。

古代は装飾品として、戦国時代はお守りとして珍重されてきました。

現代では縁起の良いアクセサリーとして愛されています

「蜻蛉玉」は、英語では「Glass Beads(グラスビーズ)」、「Lampwork Beads(ランプワークビーズ)」、

中国語では「玻璃珠(Bo li zhu」、「琉璃珠(liú lí zhu」などと呼ばれています。

現在も世界中で作られており、製作者によって一つ一つ個性的な風合いをかもし出す手作りのガラス工芸品です。

Photo

したっけ。

コメント (10)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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