都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「手毬(てまり)」の歴史は今から1200年位前の奈良時代に遡ります。当時の「手毬」は中国から渡来したといわれています。奈良時代には貴族の遊戯として鹿の皮で作られた「蹴鞠(けまり)」がありました。「蹴球(サッカー)」ではありません。
け‐まり【蹴×鞠】
1 けって遊ぶのに用いる鹿革製のまり。
2 古代以来、貴族の間で行われた屋外遊戯。数人が革沓(かわぐつ)を履き、鹿革製の鞠を落とさないように、足の甲でけって受け渡しする。ふつう、鞠壺(まりつぼ)または懸かりと称する、四隅に桜・柳・楓(かえで)・松を植えた庭で行われた。鎌倉時代ごろから体系化されて、飛鳥井(あすかい)・難波(なんば)の両流派が栄えた。しゅうきく。
大辞泉
室町時代になると足で蹴っていたものが空に投げて遊ばれるようになり革の「手毬」から絹糸を巻いて作られるようになりました。
この時代、蜘蛛舞の法師が大道芸として、手まり歌を歌いながら曲毬の技を見せたのが評判となり、広まったようです。
私たちが目にする色鮮やかな「手毬」は、かつてはお姫様の遊び道具として作られました。それがいつの間にか民家に広まり、お正月には家庭で縁起の飾りものとして、又嫁ぐ娘のために幸せのシンボルとして、又魔除けとして持たせるようにもなりました。
江戸時代になって大奥の御殿女中らによってきらびやかな手毬が多数作られたそうです。このころになると、ハマグリの殻や砂などを入れて音の出るようにしたり、大鋸屑(おがくず)を包んで反発力を出したりして現在のものに近いものになってきたようです。
「てんてん手毬のてん手毬・・」
「山寺の和尚さんは、毬はつきたし、毬はなし」
今も歌われる手毬唄がありますが機会が少なくなってきているようです。
最近では模様の美しさから贈りものとしても用いられるようになりました。
一針ずつ刺してゆく細かく手間のかかる手作りの「手毬」は、同じ模様でも作り手の色使いや一寸した針のさし方で出来上りが違い、ひとつとして同じものがないのだそうです。
うちの裏の前栽に雀が三羽とまって・・・♪
したっけ。