都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
信楽の狸は、信楽初代狸庵陶芸家「藤原鐵造(三重県の槙山生まれ、1876~1996)」の体験から生まれたそうです。
若くして京都で修行していたある夜のこと、不思議な大狸小狸が月光に照らされて、腹鼓を打っていたのを見たそうです。
親方に話すと、「それは滅多に聞けぬ狸の腹鼓だ」と教えられたそうです。
それ以来自分で小狸を飼い、観察してから後1935年、本格的に縁起物としての狸を作り出したとのことです。
福々とした狸が編み笠を被り少し首をかしげながら徳利と通帳を持って突っ立っている型が定番となっています。
置物狸の原型は、江戸の手まり歌に、「雨のしょぼしょぼ降る晩に 豆狸が徳利もって酒買いに・・・」という一節があり、それをヒントに作られたそうです。
信楽焼の狸は「他を抜く」と言う洒落で「商売繁盛」として店の軒先に置かれることが多いです。
信楽焼の狸には「信楽焼八相縁起」と呼ばれる決まり文句があります。
① 「笠」は災難から身を守るもので用心や準備
② 「目」は物事を正しく見つめ気配りが出来る目
③ 「顔」は愛想良く誠実にふるまう笑顔
④ 「腹」は大胆な決断力
⑤ 「徳利」は人徳
⑥ 「通帳」は信用
⑦ 「金袋」は金運
⑧ 「尾」はしっかりと身を立てることが真の幸福
また「杖」を持つことで転ばなくて済み、幸運をつかむという意味があります。
これはご存知かと思うのですが、昔タヌキの皮は、金箔を作るのに使われていました。
小さい金の玉(一匁目)をタヌキの皮に包んで、小槌で叩いて伸ばすと、八畳敷きまで伸びるとされて、「金袋」が金運の縁起となりました。タンタンタヌキの・・・・・
■おまけ―タヌキの腹鼓―
明治十七年(西暦一八八四年)の『郵便報知新聞』に、タヌキの記事が載りました。ある家で飼われるタヌキが、腹鼓を打ったというのです。 その家は、清水東谷という人の家でした。清水氏は、日本の写真師(写真家)の草分けの一人です。記事には、タヌキが腹鼓を打つ様子が、克明に書かれています。たいへん具体的なので、本当のことではないかと、ちょっと考えてしまいます。 この「腹鼓を打つタヌキ」は、夜に、その様子を目撃されています。明治時代の夜は、今よりずっと、暗かったでしょう。電灯など、ありませんからね。家の中で、何かの音がしても、その正体を見極めるのは、難しいです。ごそごそ動くタヌキを見て、「腹鼓を打っている」と、勘違いしたのではないでしょうか。
ちなみに、「タヌキの腹鼓」の俗信は、タヌキが夜行性であり、夏祭りの夜にたまたまタヌキに出会った人が「祭の太鼓」を勘違いしたのでは・・・、といわれています。
したっけ。