年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 60

2010年01月11日 | 福神漬
日本郵船70年史 128頁
日本郵船100年史には記述がない。
大正の常陸丸遭難事件の記述は3行しかない。
『常陸丸は大正6年9月26日欧州航路・往航の途次、インド洋にてドイツ仮装巡洋艦ウォルフの砲撃を受け拿捕されて、その後爆沈され、船長は自決した。』たったこれだけである。第一次世界大戦といってもこれだけとは富永常陸丸船長の悔しさが感じる。

1917年(大正6年)第一次大戦下、ドイツ海軍が無制限潜水艦作戦を開始した。しかしインド洋では危機が迫っているとは思われなかった。インド洋で行方不明となったのはこのような危機意識だったので油断していたのである。長谷川伸著『印度洋の常陸丸』によると、日本から欧州に向かった寄港地にドイツのスパイがおり、通報されていたのだろうと記している。
 常陸丸の行方不明が日本で新聞紙上において騒がれ始めたのは、10月22日頃からである(東京朝日新聞)。平成の現在の新聞記事と同じように関係者のコメントが載っている。この時点では情報が少なく戸惑っていた。

無制限潜水艦作戦とは、戦争状態において、潜水艦が、敵国に関係すると思われる艦艇・船舶に対して目標を限定せずに攻撃するという作戦である。ドイツのこの作戦によりアメリカが参戦し、1918年《大正7年》11月第一次大戦が終わる。

 漬物のような食品は文献も少なく調査に苦労します。しかし、単なる食品のため歴史事実の歪曲の対象から離れて、かえって実像が現れている気がします。福神漬がなぜ日本郵船に積載されカレーライスに付いていったか判明していません。しかし第一次大戦でインド洋での常陸丸事件と日本郵船百年史の思い出募集には何らかの関連があると思います。カレーライスと福神漬の記事は博物館の学芸員の話によると『日本郵船には記録がないが多くの日本郵船の関係者に記憶がある。』と言っていました。
 第一次大戦は日本が参戦したにもかかわらず印象が薄く忘れ去られています。その中にも殉職した商船員がおります。神奈川県横須賀市の観音崎に第二次大戦で亡くなった商船員を慰霊する場所があります。慰霊する殉難商船員の範囲ももう少し広げていただけませんか?

コメント
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