goo blog サービス終了のお知らせ 

 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 68

2010年01月19日 | 福神漬
気になるのは創業が明治18年の明治屋である。磯野計(いそのはかる)は明治13年に三菱の給費留学生としてロンドンに派遣され4年間商業実務を習得後日本に帰り三菱に入りました。明治18年日本郵船の発足と共に独立し船舶納めの横浜で明治屋を開業しました。磯野は経理畑の人間でしたから、当時の三菱・郵船荘田平五郎・浅田正文とも交流があったでしょう。又磯野計はキリンビールの拡販者(キリンビールの命名者は荘田平五郎)としても知られていますがエビスビールの馬越恭平(当時は三井物産横浜)は横浜で富貴楼のお倉のところで浅田と交友があったし、後にビール販売合戦ともしらず横浜で共に遊んでいたかもしれません。
 明治18年明治屋はシップチャンドラー(横浜に入港する船舶のために食糧や消耗品・船具・ 船舶機械部品等の船用品・食材・飲料の納入、免税酒類・免税煙草・肉類他の卸売を商う)として発足しました。当然日本郵船の船舶にも納品していました。明治屋は輸入食品の草分けですが日本郵船の乗組員には日本人もいますので漬物の沢庵漬や梅干も日本郵船に納品されていたと思われます。

 明治18年に横浜で開業したシップチャンドラーの明治屋は日本郵船にあらゆる物を納品したと思われます。後に明治屋は海外の高級食品輸入の会社になって行きますが当然日本人乗組員のための味噌醤油米等も納入したと思われます。その中に酒悦の福神漬が入っていた(インド洋で遭難した常陸丸に酒悦の福神漬が積載されていた)。

明治屋73年史・百年史より
明治屋の創業は明治18年10月頃で磯野計は郵便汽船三菱が明治18年9月30日に解散する以前に三菱を退社したと思われる。磯野計は三菱の給費留学生としてロンドンに派遣された。彼は日本における複式簿記の先覚者でもあった。ロンドンから日本に帰国する時郵便汽船三菱会社(現、日本郵船)の新造船「横浜丸」を英国のグラスゴーから横浜へ事務長として回航した。船舶事務長の仕事は船舶に必要な物資を調達する業務を執り行うがとかく現在でも不正が付き物の仕事であった。この船には川田竜吉(第三代日本銀行総裁川田小一郎の子息)も乗っていた。彼はこの仕事の経験から横浜に帰ると横浜で居留地の外国人商人にシップチャンドラーの仕事を独占されていて暴利を取っているのを知り、三菱の近藤廉平に働きかけ、日本郵船の発足と共に日本人による船舶納品業を始める機会と思って三菱を退社し明治屋を創業した。

明治屋食品辞典 昭和11年より 
明治屋1930年頃取り扱い食品プライスリスト396項目から 
ふくじんつけ 福神漬
国会図書館にあるこの本はマイクロフィッシュ化されていて検索に慣れるまで時間がかかった。最初から辞書を探ったので「ふ」の項目までかなりの時間がかかった。あとで気がついたのだが明治屋食品辞典は漬物の扱いがページ数が少なく、同時に日本古来の食品の説明もあっさりしている。しかし輸入食品に関しての説明はくわしい。その中で〖福神漬〗の項目の量が多いのは異常である。何か理由があるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする