年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬物語 62

2010年01月13日 | 福神漬
日本郵船に福神漬が積まれたことの謎
どうして福神漬が外国航路、特に欧州航路に積載されていたかが問題である。
 漬物は今でも昔でも消費者、つまり食べる人からお金を原則として受け取っていない。そのような食べ物を新しく導入するにはかなり世間に評判が経ってからになる。または試食提供とか宣伝して強引に販売させるしかない。または地道な営業努力でもなければならない。ただ良い食品だからから売れることは昔からない。おいしいものはすぐに同業他社が真似してより良いものを出してくるかより安い物をだして競争することとなる。
 福神漬が郵船に積まれたのはどのような理由であろうか。人間関係で船に積載されたかもしれない。明治時代に始まった食の洋風化は肉食・牛乳飲用などの記事を読むと消費拡大には苦労していて天皇の権威を利用していた。

別冊サライ 大特集「カレー」平成12年(2000年4月)
松浦裕子文
明治時代の酒悦においての福神漬の缶詰の作り方
『明治の頃の缶詰、茶筒のような形の缶に詰め、熱して空気を逃し、あいている穴にハンダで止める。』
なぜ酒悦が福神漬を缶詰にしたかというと酒悦店頭で対面販売したところで発売当時は人力車の時代で販売数量はたかが知れているので、持ち運びの移動に便利、荷積みが容易であること、長期の保存が出来ることで福神漬を缶詰としたと言う。
このことによって船舶に積むことが出来たし、戦争時の携帯食として軍隊に普及した。日本缶詰協会の専務理事さんの話で『福神漬』は『水分活性』の問題で加熱殺菌を酷くしなくても良かったという。塩分のおかげで粗末な技術でも缶詰『福神漬』が出来た。


漬物のおけいこ 井上秋江著 国会図書館デジタルライブラリーより
明治38年2月出版

本に載っている福神漬の宣伝文
陸海軍御用
登録商標 マークがある
福神漬
弊店製品の福神漬は当神田市場に各地の特産を材料として製法を改良を加えたれば在来の旧製品とは違い風味滋養に富むのみならず四季の変動に逢うも決して変質腐敗のなきにより日常の御食料には勿論御旅行の副食にまたは御進物等に適し、至極軽便なればなにとぞ御使用の上ご愛用あらんことを希望する。
葡萄酒缶詰製造
西村小市商店
東京市神田須田町

福神漬は缶詰で販売していた。

コメント
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