個人は借金を踏み倒すことは犯罪に近いが、日本国はその歴史から借金を踏み倒すことが多々あったという事になっている。このことは学校でも歴史ドラマでも伝えるには都合の悪いようだ。文献を見ていると財政の厳し時は役人の発想法がいつも似ていると感じる。
先日、振り込みで10万円を超したので、行ったとき店内が暇そうなので銀行の人と雑談した。やはり、福島の震災後のように増税となる話題となった。コロナで財務官僚はどのようにして日本国民から金を巻き上げるのだろうか。戦後生まれの人数の多い人たちが75歳になって高齢者の医療費が激増すると予想され、医療費削減の要求は強よくなるだろう。コロナで医師業界保護の姿勢が明らかになり、立場が弱くなった医師会はどう難局を逃げるのだろうか。今の財政では全員をベッドに括り付ける時代が終わり、命の選別が叫ばれると予想する。これは一人の命を大切にする戦後の行動規範と反することで日本人が一番議論することが苦手でいつも先送りしている。もう時間がないようだ。いつかは人は死ぬのだ。どこまで医療費をかけるかはとなると若い人優先となるに違いない。貧困ビジネスで医療費を搾取していることが次の標的となるがどう共産党は対処するのだろうか。本当の困民者は救済しなければならないが偽困窮者とどう区別するのだろうか。この辺が一番現場に近い公務員が苦労している。
変なたとえだがタイタニック号は緊急時の命の選別のドラマと見たほうが良い。隣国で船長が乗客の安全確保より乗客避難誘導より先に逃げた例があった。最近図書館で借りた( 船長論-引き継がれる海の精神-)逸見 真著2018年出版
という本では船長は後で事故報告する義務があって生き残ることが必要と書いてあった。
企業も個人より踏み倒しの確率は少ないが株式会社の歴史の始まりは、東インド会社はアジア貿易の会社でリスクを取った制度だった。明治期は結構頻繁に銀行が破綻し、庶民の乏しい金が消えた。今の中国の認可されていない金融で高利につられて、庶民のお金が消えている報道を見ると、日本の明治から昭和にかけてあった記録と同じと思う。
先の大戦で日本国が国民に買わせた戦時国債は半ば強制的で、戦後に見事に紙切れとなった。今でも戦時国債が骨董品とか苦い記憶の記念品となっている。明治以前も為政者の借金の棒引きの徳政令があって、その後の為政者に対する不信感が残る。敗戦時にも不在地主の農地が没収された。他の土地は基本は残った。そこに土地神話が発生し、バブル崩壊まで日本の信用の基本となっていた。日本の土地神話は今では韓国・中国に変異した不動産神話が伝わる。日本は敗戦まで異国人の支配を受けていないので不動産の取り扱いの慣習が法律以前の慣行として残る。漁業権・水利権・入会権等は今でも相続の対象で、国や企業がその権益を取り上げようとすると急に価値が出て相続人が多数出てくる。
この制度も本来は権利と義務があって、登記しないと権利の主張が出来ないようにしなければならないと思う。それには年金記録のように定期的に登記の確認公示をするべきだろう。個人情報の問題もあるが管理施設で身分を明らかにして、パスワ―ドを獲得すればよい。漏れている人の異議申し立ての時効は20年とすれば良いと思う。
この辺の追求が野党は甘い。これだけ借金が積み上がると徳政令的考えが出そうだ。先の大戦で国民に強制的に買わせた国債が今では記念品として残る。デノミで箪笥の金を引き出すか、高額紙幣をデジタル化という名目で廃止するとかの例もありそうだ。北朝鮮やインドで行われた。中国では紙幣を使うのが高齢者と外国人という。偽札が多いという理由のようだ。
医療崩壊というけれど昨年の死者は予想より減っていた。コロナ死よりインフルエンザ肺炎で死者が減った。75歳以上の高齢者の治療で不必要な医療で利益を上げていることが国民に知れてしまったようだ。若い人の勤労意欲を減らす税制は本末転倒となる気がする。将来の不安が出産意欲を減らすし、大人となった人の責任は親と社会が負うという考えにならないと当面子供は増えないだろう。今は情報隠ししても記録が残り、後世に批判される。