年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本歴史 1962年 11月号

2021年05月01日 | 宅老のグチ
4月1日にコロナ明けと言う感じで、都立中央図書館で日本歴史1962年11月号と言う本を借り出した。この本の中に高野長英のことを書いた文章があるのを鶴見俊輔全集本で知り、気になっていたのでこの本を見たいとコロナ明けまで待った。
 図書館で出された本に該当する文章の項目が無かったので焦ったがじっくりペ-ジをめくり、コラムみたいな記事があった。幕末俊傑 高野長英は著者が青果園となっているが、講談師松林伯円のことで、口述筆記を本にしたようだ。出版時期が気になるが、講談にしたのは藤田茂吉の文明東漸史の出版の後だろう。この本の蔵書を探したら、古書店で販売していた。
 幕末俊傑 高野長英
書籍情報:青果園,春江堂書店,明治42年 B6 218頁
解説:蔵書印、ヤケ、地に書名書き、背の下部欠け
とプリントされた紙に書いてあった。送料込みで4千円弱。100年前の本だ。電車賃等と食費を考えると別に高くは無いと判断し購入する。送られた古書は熊本からやってきた。震災支援金となった。またこの本は国会図書館デジタル本で読むことが出来るが結局印刷して読むので古書と言う感じがしない。高野長英の明治以後の研究は生き残った蘭学者の思い出話から来ているものが多い。基礎資料は長英の家に養子となった高野長運氏の研究だが、調べてゆくうちに長運氏の調査は思い込みがあって、必ずしも正しいとは限らないという。さらに漏れもあって、福神漬を調べてゆくうちにこの漏れの原因は何処から来ているのだろうと考えている。
 歴史から高野長英の投獄は水野忠邦のアヘン戦争の結果から、西欧諸国の軍備力の危機感から始まり、燃料・野菜等の食料・水を求め、秘密裏に日本に上陸した異国人と交流していた事件(水戸藩大津浜事件)などから、祖法としていた幕府による交易統制が簡単に破られるという現実の危機感があった。一般人が小笠原渡航計画を考えているのを聞き込み、今に残る文献から事件として発展させたのが、蛮社の獄の始まりとなる。従って、鳥居 耀蔵 が過酷な弾圧者と記憶に残るが正しい理解とは言えないようだ。水野の天保の改革は結果として幕府崩壊を速めた様だ。
 なぜ福神漬を調べていると天保の改革が出てくるかと言うと、築地市場の移転問題の基本は嘉永4年頃の株仲間再興令から調べないといけないと感じていた。そこで株仲間を禁止した天保の改革を知る必要が出た。
 井関隆子日記より、後に浦賀奉行となった戸田伊豆守氏栄が天保の改革の事業の一つの印旛沼開削工事に突然に目付となって史料に現れる。彼の経歴では昌平坂学問所で史料編纂して、実務に適していたか今でも解らない。死去した大坂町奉行の業績も記録は無いに等しい。同様に駿府町奉行時期の業績が解らず、日光奉行へ転任し、すぐに老中阿部正弘によって抜擢され浦賀奉行となった。(浦賀の郷土研究家の説によると石川和介の推薦と言う)今まで知ったことから、有能な幕臣とは思えず、日本史研究家の興味もない様だ。簡単な評伝が1冊しかない。
 ここまで来ても福神漬と関係は見えないが、明治の事物起源を著した石井研堂の缶詰の始まりの記述の所で福神漬を書いてあって、そこに箱館五稜郭で行徳漬物商人が浦賀奉行与力と共に戦死している。水戸藩・土浦藩・行徳などの関連から江戸時代末期の利根川水運の関係が見えてくる。当時は重いものは水運が基本で、記録も多く残っている。

コメント
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