2024年1月1日夕方比較的大きいい地震があった。当日は情報不足でどの規模の地震か判らなかったが、テレビの津波の様子から、これから陸の救援だろうと思った。そこで2011年3月のブログを読んでみた。
2011年3月11日 の再掲載
どうやら今日で序幕は終わりそう.
ドンデン返しの築地の移転問題の区切りが今日で終わりそうである。今まで移転など絶対に無いと思っていた人達も東京都の計画に耳を傾けなくてはならなくなる。行くか行かないかを少ない時間で悩む事となる。仲間同士の駆け引きが次の幕のテーマとなる。幕間の時間は東京都の計画だと6月中旬までという。
今まで何度もドンデン返しがあったから今後だってこのまま順調に豊洲に行くとは限らないし、神田の移転の時と同じように業者間の反目で組合が分裂したこともあった。商売の競争は好ましい事だが移転問題の事で仲間分裂は好ましい事ではない。不毛な内部抗争は不正競争を招き、消費者の市場に対するイメージを低下させる。
こんなことを書いていたら地震が来て築地市場青果別館の外壁が一部壊れた。
このブログを読んでいて、今では意味不明と思っていたことの記憶がよみがえってきた。3月11日金曜日、地震は午後3時前、この日は3月都議会の最終日で石原知事の独断場の日だった。普通の3月都議会の最終日はもう少し会期が3月下旬までのはずと思っていたら、4月に都知事の選挙があるため、少し早めに終わった。自分は3月決算で2月に仮決算をしていて、2月末日の経験から一番不渡りが多いと注意していた。無事2月が終わり、おおよその見込みで利益が出そうで、期末のお化粧数字のため、支払い処理業務を早めに行っていた。午前中は企業向けの外資系節税保険の商談。今はこの保険は発売禁止。
震災があった後福島の原発の爆発で危機感が日々変化した。今から思うとよく体力が持った。3月12日から5月の連休明けまで、連続12時間以上の勤務。
この時はス-パ-等が特売が一切なく、日々の手配だけで済んだことが結果として体力が持った。量販店は集荷力で他店舗を差別化し、安売りが消え、チラシ代もきえ、利益が出た記憶がある。これは計画停電という理不尽な地域ガチャに堪えた結果でもある。昨年は一時節電要請があった。
2024年1月2日夜、羽田で飛行機が燃える。後でTV生中継で震災救援機と衝突という。年末年始は羽田が一番の忙しい時。経験から繁忙期はミスが多く、そこのミスの対処でさらに混乱を招く。いつも築地時は繁忙期前に雑用を出来るだけ終わらせる。東日本震災時は大方の月の仕事を10日までに終わらせていた。この後に荷主の荷物が仙台方面から戻ってきた。というより西から東北に行けず、東京に途中下車になった。これは経験が無かったので対処に苦労した。数日たって秋田から築地市場にトラックが来て、運転手にどのように来たのかと聞く。そこで生の道路状況を知る。築地に来たトラックは荷物を降ろして後に秋田で必要な青果物を積んで戻った。人は食べると安心感が出る。
事件が起きると、時系列を無視して、記憶が戻る。中国のアナウンサ-が日本の震災報道で天罰と言っていたが、福田村事件のようなことがあると、日本に観光に来ている中国人だけが次の大震災で差別されることもある。イスラエルのハマスの攻撃時に、現地に滞在している日本人で帰国希望者は韓国の飛行機に乗せてもらって戻った。どうも中国人は希望しても本国からの救援機が来ていないようだ。自力脱出という。日本は震災時でも並ばないと配給されない。そして足りない時は分かち合うこととなる。