転居後にTVが無くなってほぼ2年になる。コロナ期間でTVの話題が今日の感染者数の話題で今から思うとあんな報道に価値があったのだろうか。岩手県の初感染者騒動の記憶がある。当人だって他人から感染したのに重罪犯のような扱いだった。特に初期には物流関係者と医療従事者へ目が厳しかった。
結局今の統計ではコロナで亡くなった、またはその疑いのある死は顕著な激増とならず、微増という感じと思う。今でも病院等がマスク着用要請があるが、電車内では異国人観光客のマスク姿は見えない。日本人は半分くらいマスク姿と見える。
どこかに日本のコロナ後遺症があって、すぐには気が付かない。先日日暮里に行った時、バス停付近に店舗を構えていた、マキ・イトウ毛皮店が見当たらなかった。日暮里繊維街にある、端切れの皮を売っている店で、偶然知り合って、2~3回言葉を交わした。風貌から引退時期も間もないと思っていたが。店が消えていた。皮の端切れ店はまだ日暮里繊維街にはあるがやはり減るということは寂しい。手芸ということは趣味の一つであって、ありあわせの素材で不要の品を生かせる。しかし断捨離の時代では残されたものがゴミ屋敷の仲間入りとみられることを想定する時代になった。テレビを買う金はあるがあと二度ほど転居を予定しているので、サイズ不安でまだ買えない。
それにしてもテレビ局の経営が悪そうで、この前に築地場外市場へ行く時、新橋駅から電通のあるビルを通り抜けていったのだが、寂寞感があった。この電通のビルにアドミュ-ジアムという広告の図書館がある。
中国ヨイショの人達の困惑が今度の春節に日本を訪問する人たちの行動で判る気がする。金を持っていても将来不安でコンビニで働く日本人高齢者を中国の小金持ちはどう見るのだろうか。