関東大震災百年と言うことで、昨年は多くの関連映画を観た。その中で福田村事件という映画で朝鮮飴が虐殺へ至る過程で重要な比喩としてあった。当時の千葉県東葛飾郡福田村(今は醤油の町として知られる野田市へ統合)付近では、総武鉄道という鉄道工事が柏付近から今の野田市駅付近まで工事中だった。その時の鉄道工事作業員に朝鮮半島から来ていた人たちがいた。多くは夫婦連れだった。朝鮮人にとって併合されていても日本は外地となる。そこで彼らはまとまり行動することとなる。日本人より低い賃金でも真面目に働くので、普通の日本人労働者は差別していたようだ。多くの社会学の研究で最底辺の所ではもめ事があるという。その内容はどちらが最底辺という格付けという。良く仕事をしているのに賃金差別があった。
我が国の商標制度は、明治初期に高橋是清(226事件で暗殺された)が中心となって商標保護法制の検討を開始し、立案作業を進め、明治17年6月7日に「商標条例」が制定されたのがその始まりです。日本酒で灘の老舗が(正宗)を商標登録しようとして、却下された。その理由は正宗は普通名詞ということで仕方なく日本の象徴というべきサクラをつけて、桜正宗とブランドにした。菊正宗も同様な判断と思われる。
朝鮮飴というブランドが比較的早く登録された。熊本の業者で今から400余年前「長生飴」として創製され、熊本藩主加藤清正公が朝鮮の役の際に持参し気候風土に変味せず、保存性がよかったことを賞賛し「朝鮮飴」と名前を変えた。この飴は日本由来となるややこしい飴。飴の作り方は時代によって異なり、砂糖が安価に入るまで、作り方がまちまちであった。飴が薬のような時代もあった。
大阪のおばちゃんが飴を配る風習がある。これは関東圏では稀に見るが大阪の気風を象徴している。
関東大震災時の朝鮮人による飴売りは品物が日本古来の飴と異なる。売れていたようだ。
飴がいまは種類が豊富で由来等が異なることを最近知った。多くの人が地域固有の飴の歴史を語る人が少ない。漬物の原材料表示を見ていると、昔と今は異なることを感じる。均等な品質を保つため、材料に持つ個別の甘味を消していると感じる。量産の時代は仕方が無いと感じる。
福神漬に甘味が入っているが今の所まだ初期の甘味分がどのようなものか判らない。味りんで甘味と照りをつけているじだいもあった。砂糖由来の甘味でないこともあると今では思っている。