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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江古田で廃業した漬物業者と会う。

2024年01月17日 | 宅老のグチ
大江戸線新江古田で昨年の終わり頃、中野区立歴史民俗資料館で開催されていた(2024年2月11日まで)七人の福神たちを見に行った。ネットで見ると正月の飾りに七福神の絵を飾る風習とか今の商売でカレンダ-を配るように七福神の絵を贈答していた。
 大江戸線新江古田駅の一駅前に電車内の予告放送で(つぎはしんえごだ)と聞こえた。おもわず西武線の江古田は確かエコタだった記憶があった。調べると江古田の読み方は『「えこだ」と「えごた」の二種類がある 西武池袋線江古田駅は練馬区にありますが、実は江古田という地名がつくのは中野区。 読み方も異なります。 練馬区では「えこだ」と読むのが一般的ですが、中野区では正式名称として「えごた」と読みます。』 と出てきた。この分け方は中野区と練馬区民は常識なのだろうか。少なくとも公共交通機関は分けている。
 七人の福神たちの展示を見た時、確か1年ちょっと前に新江古田駅の付近のモスバーガ―で福神漬の製造を廃業して、新江古田駅の近所に住んでいる人と話したことを思い出し、再び会うことになった。午後1時の待ち合わせで戦前の福神漬の作り方を聞いたが、やはり情報が無かった。知っている人はいないかと聞いても、戦後と戦前は国が違うくらい漬物の作り方が違っていて、情報もない。古い漬物屋が知っているのではないかと聞くと例えば京都のつけ物業者が古く感じるが、実際は戦後に繫栄していた。それでは戦前はというと戦争で人手不足で、ほぼ自家製で業者として成り立っていない。戦後に生き残った漬物業者が京都市内の共同小売市場(イメ―ジ的には錦市場)で売りつつ、修学旅行生の宿泊施設に京都の漬物を供給し、さらに京都のお土産として今に残る。感じとして京都の土産お菓子は高いし、茶席用のお菓子だったと思うが誰か戦後事情を知っているのだろうか。京都の漬物の本物を食べるにはそれなりの金銭を用意する必要があるが菓子よりは安い。京都に商品こだわりがあって、他の地域には節操がない。これが自分が築地で安いものを売っていたことの反省でもある。量販対応するには中国産原料の量と品質(契約品は低農薬)を使わないと欠品となる。
 中国と対立すると日本の低所得高齢者が小麦系とイモ食に向かうしかない。
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